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社説:日中歴史共同研究 相互理解を進める礎に

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社説:日中歴史共同研究 相互理解を進める礎に



 日中両国の有識者でつくる歴史共同研究委員会の報告書がまとまった。歴史問題で対立し、時に不信感を募らせてきた両国の経緯を考えれば、報告書の作成と公表までたどり着いたことは、一つの前進といえる。

 研究はこれで終わりではない。今回を「第1期」とし、「第2期」へと継続していくことでも合意した。今後、双方の間に広がる歴史認識の溝を可能な限り埋め、相互理解を進める手だてとしなければならない。

 過去もさることながら、日中両国は現在、密接不可分な関係にあり、将来も続くととらえるのが妥当だからである。

 半面、難問が数多く残されていることを指摘しないわけにはいかない。中国側の要求で1989年の天安門事件をはじめ、戦後史部分が非公表となったのは、その代表例である。

 共産党による一党独裁が続く中国では、党に都合の悪い研究や報道はご法度だ。戦後史の公表によってその封印が解かれ、ひいては党の存立基盤が危うくなることを恐れたための判断とみられるのである。

 今の日本では極めて考えにくいことだ。しかし、戦前の「大本営発表」を想像すれば分かりやすい。中国では世界第2位の経済大国になろうとしている現在でも、言論や思想の自由が制限されていることを再確認しておかなければならない。

 党による政治判断や歴史解釈が戦後史以外の公表部分にも、色濃く影を落としているとみていいだろう。当然のことながら、日本側との認識や見解の隔たりが大きいのである。

 焦点の一つである「南京大虐殺」の犠牲者数で、日本側が「20万人を上限に4万人、2万人とさまざまな推計がある」としたのに対し、中国側は「30万人以上」を譲らなかった。

 日本の対外拡張政策をめぐっても、中国側は古代から一貫していたと主張。穏健な時期もあったとする日本側と異なる結果となったのである。

 逆に認識が基本的にほぼ一致した点があるのも見逃せない。日中戦争に関して「侵略戦争」(中国側)、「中国の非戦闘員に多くの犠牲を強いた」(日本側)などと表記したのだ。

 盧溝橋事件について中国側が偶発的に起きた可能性に言及したのは、全体としてかたくなな歴史認識を示す中にあって、柔軟な姿勢と受け取れる。

 国同士の歴史認識、特に戦争当事国のそれが一致するのは容易ではない。ただ、相違点が明らかになった意義は大きい。違いを違いとして認め合うことが相互理解の第一歩であり、何が違うかが分からなければ、埋めようもないからである。

 長い時間を要するのは間違いない。しかし、あきらめることなく、地道に進めていくことが肝要だ。敵対や反発が理解や友好へと変われば、同じアジアの構成員として今以上に互いを高め合うことが可能になる。

(2010/02/02 09:42 更新)


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