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秦郁彦(現代史家・元日本大学教授)

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「(南京事件の被害者数について)従来の『30万人』を撤回しにくい中国側が、矛盾を承知で出した報告書だとすれば、中国における歴史研究の公開と自由度はかなり高まってきているといえるのではないか」 (産経新聞2月1日付)
秦郁彦(現代史家・元日本大学教授)


1月31日に公表された「日中歴史共同研究委員会」の報告書について、とりわけ1937年の南京事件に関する中国側の論文を論評した。

 「日中歴史共同研究委員会」は、2006年12月、安倍晋三首相(当時)の提案で発足した。この時期、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝や日本の安保理加盟問題が引き金となって、中国全土に激しい反日デモが起こるなど、日中関係は"政冷経熱"(経済関係は熱いが政治関係は冷え切っている)の状態にあった。同委員会は、この難局を打開するため、日中の歴史研究者の冷静な議論を通じて日中間の歴史認識をめぐる対立を和らげることを目的にスタートした。日本側の座長には東京大学の北岡伸一教授、中国側は中国社会科学院近代史研究所の歩平所長が就任した。

 日中両国の歴史認識には、例えば古代・中世では、中国を頂点とする国際秩序(冊封体制)の下に日本も隷属していたとする中国側と、朝貢はしていたが冊封は受けていないとする日本側との相違など、古代史から現代史にいたるまで数々の対立点がある。とりわけ近・現代史に関しては、中国では、日本の近代はすべてアジア侵略の歴史であるとするイデオロギー的な解釈の下で、反日的な歴史教育がされてきたという経過がある。

 北岡伸一座長によれば、同委員会ではまず「両国の学者がそれぞれの立場を並べて示し、歴史認識の違いを理解するためのパラレルヒストリー(並行歴史)の作業を始めた」(朝日新聞1月31日付)という。2007年3月の全体会合では、報告書の体裁や進め方で合意し、それぞれが論文を執筆し、意見を出し合い、受け入れられる意見は論文に反映させることが合意した。また見解が異なるものは、違いがわかる「討議要旨」をつけることで報告書を作成することで合意している。

 ところが2008年5月になって、中国側は合意に反して報告書の公表の際、意見の違いを併記した討議要旨を外すよう求めてきた。やむなく、日本側が了承すると、今度は論文をすべて非公表にすることを要求してきた。これについては日本側が拒否。結局、中国側は戦後史の部分を非公開にするなら残りを公表すると主張し、合意に至った。

 共同研究作業開始後3年以上を経て、ようやく戦後史部分の欠落した報告書がこうして公表されることになったわけだが、なかでも歴史認識の違いがいまでも浮き彫りになっているのが、中国が「日本の侵略の象徴」として挙げる1937年の南京事件(南京大虐殺と中国側はいう)だ。日本側の論文が「日本軍による残虐行為の犠牲者数は、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」としているのに対し、中国側論文は「南京戦犯裁判軍事法廷は南京事件で虐殺された人数は19万人以上にも上り、ほかにも散発的に虐殺された者が15万人以上おり、被害者総数は30万人余りと認定した」としている。

 冒頭の秦郁彦氏の論評は、中国側論文のこの部分にふれたものだ。そのなかで秦氏は「(中国の)報告書では中国側の(日本軍と戦った)軍人参戦者を15万人とし、市民の被害者については、ほぼ唯一の推計である『スマイス報告』から約3万人とする数字を挙げている。しかし、これだと(中国側の30万人被害者説をとると)軍人が27万人殺されたことになり、15万人の参戦者をはるかに超えてしまう」とも述べ、中国側論文の矛盾を指摘している。「スマイス報告」とは、南京事件当時、南京安全区国際委員会の事務局長だった社会学者のルイス・スマイスが南京陥落の3ヶ月後に実施した戦争被害調査を指し、民間人被害者数を3万3000人と報告している。

 日本国内では、これまで南京虐殺はなかったとする完全否定派と大量虐殺肯定派、および虐殺はあったが被害者数30万人に及ばないとする中間派が、さまざまな資料を引用して論争を繰り返してきた。論評した秦郁彦氏自身は、著書『南京事件』(中公新書)のなかで、市民と兵士の虐殺数を3万8000~4万2000人と推定して、この分類でいえば中間派の立場となる。

 この点、中国論文では虐殺犠牲者「30万人」説を変えていない。だが、「数字に関する実証的な研究は必要だが、一般的な『認識』を『事実』に近づけていくには、まだ時間が必要だ」(朝日新聞1月29日付)と、その実数が実証的でないことは、中国側座長の歩平氏も認めている。ただ、いっぽうで、「上限20万人として…」と虐殺の事実を肯定した日本側論文については、日本国内で論争が再燃する可能性があるだろう。


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