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日中歴史共同研究の報告書要旨<2>…南京事件など

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日中歴史共同研究の報告書要旨<2>…南京事件など



 1月31日発表された、日中歴史共同研究報告書要旨は次の通り(中国側要旨は読売新聞社訳)。

       ◇

 【満州国の実態】

 日本側 抗日ゲリラ活動がなかなか下火にならず、関東軍が徹底的弾圧を加えた。満州国は通貨統一の強力な実現を図り、経済の近代化を促した。鉄道や道路を整備し、石炭、電力、鉄鋼などの生産が大きく伸びたが、住民の生活水準向上を目指すものではなかった。「民族協和」もスローガンに終始し、日本人と満州国人の格差が拡大した。

 中国側 (日本による)通貨改革は実質的には強行された金融略奪だった。日本は(日中戦争後に)満州に対する施政の重点を経済略奪の強化に変えた。満州国は鉱工業に対する統制を実行し、民族業者の参入を厳禁した。日本は太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)後には東北地方の経済資源をほしいままに略奪した。

 【日中戦争】

 日本側 中国に深い傷跡をのこしたが、原因の大半は日本側が作った。(発端となった)盧溝橋における最初の発砲事件は「偶発的」であった。しかし、この事件を好機とみなした関東軍などは蒋介石政権の打倒と華北占領という構想を実行していく。現地軍の行動を抑制できなかった理由の一つは陸軍内の「拡大派」と「不拡大派」の対立にあった。近衛内閣も行き詰まっていた中国政策打開の好機ととらえて容認し、現地解決の努力を押し流した。

 中国側 盧溝橋事件自体の発生は偶然性をもっているかもしれないが、事件はたちまちに日本の全面的な中国侵略戦争を引き起こした。歴史の推移からみれば、事件は必然性をも帯びている。日本には「拡大派」と「不拡大派」との論争があったが、内閣が「華北に対する派兵声明」を公布してから「不拡大派」の声は完全に「拡大派」の主張にかき消されてしまった。

 【南京事件】

 日本側 日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵(ゲリラ)、一部の市民に対する集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した。被害者数は日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。原因について、日本側に捕虜の取り扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点などが指摘されている。副次的要因としては、中国軍の南京防衛作戦の誤りと、それに伴う指揮統制の放棄・民衆保護対策の欠如があった。

 中国側 南京軍事裁判所は南京大虐殺で虐殺された人数は19万人以上にも上り、ほかにも散発的に虐殺された者が15万人以上おり、被害者総数は30万人余りと認定した。極東軍事裁判(東京裁判)の判決書によれば、占領後1か月で、南京城内では2万件近い強姦事件が発生した。日本軍は捕虜の数が多すぎて安全面を憂慮し、大量の中国軍人が捕虜になった後、集団的に虐殺された。民間人虐殺の暴行も猛威をふるった。(ある地域の)サンプリング調査によると民間人1000人あたり29人が死亡し、7世帯あたり1人が殺害されている。

 【毒ガス・化学兵器】

 日本側 1938年の武漢・広東攻略戦を通じて毒ガスの効果が実証され、参謀本部は「特殊煙」(あか筒、あか弾、みどり筒)の使用を認めることを各軍に指示し、中国戦線での毒ガス使用が一般化したと言われる。

 中国側 関東軍731部隊と第100部隊は中国人を利用して人体実験を行い、生体解剖まで行った。関東軍はさらに、化学兵器の人体実験を行った。今日もなお東北地方の民衆は日本軍が遺棄した化学兵器の毒物の影響を受けている。1942年、日本軍部隊が金華一帯に出動して細菌を散布し、コレラの流行を引き起こした。

 【中国の犠牲者数】

 日本側 国民政府軍の死者は約132万人、負傷者は180万にのぼる。中国共産党軍の死傷者=失踪(しっそう)者を含む=は58万人を超えると推定されている。

 中国側 完全な統計ではないが、戦争期間中に中国の軍人、人民3500万人余りが死亡、負傷した。

 【終わりに】

 日本側 日中全面戦争は、双方の軍人だけではなく、特に中国の非戦闘員に多くの犠牲を強いた。犠牲の多さや日本軍による様々な「非違行為」は、戦後の日中両国民に、新しい関係構築を妨げる深い傷跡をのこした。日本軍による戦争犯罪を問い、戦後補償を求める運動が世代を超えて展開され、日本政府を相手とした裁判が今日まで続いていることは、そのことを物語っている。

 中国側 中国人民は粘り強く抵抗した。抗日戦争における中国人民の偉大な勝利は、中華民族の同胞全体が団結して奮闘した結果で、反ファシズムの世界とともに努力して同盟国の人民と戦った成果だ。戦争は日本の転換点でもあった。日本のファシストが徹底的な敗北を喫し、日本人民も軍国主義を排除し、平和発展の新たな道を歩み出した。戦争終結は、日中両国に真に新たな平等関係を形成する可能性を与えた。

(2010年1月31日23時40分 読売新聞)


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