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日中共同研究 歴史認識の違い浮き彫りに(2月2日付・読売社説)

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日中共同研究 歴史認識の違い浮き彫りに(2月2日付・読売社説)


 民族や国家が異なれば歴史に対する考え方もおのずと異なる。

 まして共産党のイデオロギーの下で歴史解釈が行われ、学問の自由が制約されている中国との間で歴史認識を共有することは、きわめて困難なことであろう。

 日中両国の有識者による日中歴史共同研究委員会が発表した報告書は、そうした歴史認識の大きな差異を改めて浮き彫りにした。

 報告書は、古代から近現代まで時代順に日中双方の学者の主張を両論併記の形でまとめた。

 例えば1937年の南京事件の犠牲者数について、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」と指摘した。

 しかし中国側は、中国共産党の公式見解である「30万人虐殺説」を譲らなかった。実証的な研究では無理のある数字である。

 日中戦争についても、日本側が計画的な侵略ではなかったと指摘したのに対し、中国側は全面的な侵略戦争と位置づけた。

 中国側の変化の兆しと言えば、日中戦争の発端となった盧溝橋事件が偶発的なものであった可能性に触れたことぐらいであろう。

 注目された戦後史の部分は、中国側の意向で公表が見送られた。89年の天安門事件などに対する日本側の評価は、中国現政権への批判に直結しかねないためだ。

 今回の共同研究の結果を報じたNHKの海外テレビ放送も、中国国内では途中で一時中断された。天安門事件などの映像が放映されるのを中国当局が遮断しようとしたものと見られる。

 このような報道の自由すら制約されている状況に照らせば、柔軟な歴史の論議にはおのずと限界があったということだろう。

 日中歴史共同研究は2006年に安倍首相と胡錦濤国家主席の首脳会談で決まった。歴史問題を政治と切り離し、学術的な議論に委ねることが狙いだった。

 残念ながら中国側の政治的な制約によって、期待されたような実証的な議論は深まらなかった。

 しかし、両国を代表する学者が重要な問題について議論し、報告したこと自体に、一定の意義があったと言える。

 委員会は今後メンバーを改め、第2期の研究に継続的に取り組むことになっている。

 日中間で歴史認識を共有する難しさは理解できる。両国の戦略的互恵関係を深めていくためにも、冷静で実証的な議論を積み重ねていくことが必要だ。

(2010年2月2日00時34分 読売新聞)


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