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日中歴史研究 違い見つめることから

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日中歴史研究 違い見つめることから

2010年2月2日

 日本と中国の歴史共同研究の報告書が公表された。日中の見方の大きな違いが明らかになる一方、一部歩み寄りもみられた。隔たりを嘆くより、それを見つめることから対話を一層、進めたい。

 歴史共同研究は二〇〇五年春、北京や上海を席巻した「反日」デモの渦中に日本が提案した。

 当初、中国側は消極的だったが、〇六年十月、靖国問題をめぐる対立を克服し関係を正常化した安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の会談で合意に達した。

 このため、共同研究には当初から、歴史認識問題を外交やメディアの応酬から切り離して専門家による対話の場に移し、沈静化させる意図が込められていた。

 その後、歴史問題が日中外交の焦点からはずれ社会の関心が薄れる中で、中国側が報告書公表を渋ったのは「寝た子を起こすな」という意識もあったに違いない。

 公表された報告書は古代から近現代にわたる膨大なもので隣国と歴史の見方が大きく隔たっているのに驚かされる。例えば中国は十五世紀まで日本は中国に朝貢する見返りに封土を安堵(あんど)される「冊封体制」の下にあったと見ている。これに対し日本は遣唐使廃止以降、独自性を強めたとしている。

 日清戦争以降の近代史について中国は日本の拡張行為がやむことなく続いたと主張。日中戦争による軍人・民衆の死傷者数は「約三千五百万人」、南京虐殺の被害者も「三十万人以上」とする従来の公式見解を踏襲している。

 しかし、部分的には公式見解を踏み出した。田中義一首相が昭和天皇に侵略計画を上奏したとされる「田中上奏文」は、日本で偽書との評価が定着しているが中国側も作成過程に「不明な部分がある」と認めた。日中戦争を招いた盧溝橋事件も偶発的な可能性があると述べ柔軟姿勢ものぞかせた。

 これに対し日本側も戦争が中国に深い傷を残し「原因の大半は日本側がつくり出した」と侵略の事実を認め反省を込めた。

 これらは部分的な歩み寄りにすぎないが、研究成果と評価できる。今後も継続される共同研究が日中不戦の時代に向け国民意識の基礎を築くことを期待する。

 戦後史では、多くの中国人が犠牲になった文化大革命や天安門事件についての記述があるため中国側は公表に同意しなかった。「歴史をかがみとし未来に向かう」精神が、この分野でも欠かせないことをあらためて強調したい。


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