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近現代史 総論

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近現代史 総論


近現代の日中関係史は、激しい戦争を含む時期であり、近現代の歴史に関する記憶は、今になっても両国民衆の心の中においてまだ生々しい。とくに日本による侵略の被害を受けた中国民衆にとって、その記憶はさらに深刻である。そのため前近代の日中関係史に比べ、日中両国民の間で、戦争の本質と戦争責任の認識に関し、相互に理解するにはかなりの困難が存在する。

日中両国の研究者は、まず近代西欧列強との接触を、アジアの近現代史の始点として考えた。この始点が、どの程度外部からの衝撃によるものなのか、どの程度内発的な要素によるものなのか、両国研究者の見解は必ずしも一致していない。しかし西欧との遭遇の重要性という一点については、双方は共通の認識に達している。もし西欧各国がアジアに足を踏み入れなければ、日中両国がその後にたどったような道を歩んだとは考えられない。日中両国は、西欧の衝撃を受けた時期と受け方においては異なっていたが、中国においてはアヘン戦争、日本においてはペリー来航と明治維新を始点としている。こうした基本的問題の判断について、双方の意見は一致している。

研究テーマを決定するにあたり、近現代史分科会の考え方は、古代・中近世史分科会とは幾分異なっている。近現代史分科会の研究者は、時間の流れにより近現代史を段階に分け、各段階での日中関係発展の変化をさらに時間によりいくつかの時期に分け、各時期の歴史のプロセスについて総合的に研究した。言い換えれば、われわれは特定のテーマについてではなく、基本的には時間の流れに沿って歴史発展の基本プロセスについて論文を執筆することとした。具体的には、近現代史分科会では1931年から1945年にかけての戦争を真ん中に置いて、戦前、戦中、戦後の三つの歴史段階を定めた。第一段階はそれぞれの開国から1920年代まで、第二段階は満州事変から日本の敗戦まで、第三段階は戦後から現在までである。各段階は時間の流れによりさらに三つの時期に、つまり3段階9時期とし、これを3部9章に分けてそれぞれが論文を執筆した。時期ごとの研究内容が相互にバランスのとれたものとなるよう、時期ごとに、重要で必ず言及すべき問題点を「共通関心項目」として定め、双方の論文がそうした問題点についての分析を必ず含めることとし、一方が重要と捉えている問題がもう一方では全く扱われていないという状況が起きないようにした。上述の歴史発展の基本的プロセスの認識について両国の研究者に隔たりが存在するだろうし、かなり大きな差異ですらあることを考慮して、現段階ではあらゆる認識について完全に意見が一致することを求めず、まず日中双方の研究者が各時期について各自の視点で論文を執筆し、それから比較対照し、意見を交換して十分に討論することとした。相手側の妥当と思われる意見を取り入れて修正した後、やはり双方の論文を併置する形式で発表する。つまり「同一の対象について、意見を交換し、十分に討論して、各自が論述する」という方法を取った。

近現代史分科会は全体会以外に2006年12月に北京で、2007年3月に東京で、2007年11月に福岡で、2008年1月に北京で、2008年3月に鹿児島で、2008年5月に済南で、合計6回の会合を持ち、意見を交換した。これ以外にも日中双方の委員はそれぞれが何度も会合を持ち、個別に現地視察を行って研究を重ねた。

近現代史分科会の両国の研究者は終始真剣、率直、かつ友好的な雰囲気の中で共同研究を進めた。研究と討論の過程で、大部分の歴史の事実について双方の研究者の理解と認識は同じか、あるいは近いものであり、それは双方の研究者がいずれも歴史研究の基本原則と学術規範を厳格に遵守し、史実を尊重し、事実に基づいて真実を求めたからであること、これが共同研究をスムーズに行なうことができた基本的理由である、ということがわかった。研究方法と認識の仕方には双方の研究者に差異が見られた。中国側は、日中両国間に発生した一連の問題の本質を重く捉えたが、日本側の研究者は問題発生と展開のプロセスを追求する傾向があった。当然ながら、長時間にわたる共同研究により、双方の研究者はそうした差異についても一定の相互理解に達した。日本側は、戦争が中国に大きな影響をもたらした原因を中国側が重視しているが、そうであったとしても学術研究が感情に流されることはなかったと捉えた。中国側は、日本側の見方は実証的であるが、日本の加害者としての責任を否定してはいないと捉えた。歴史研究の面でいかに単純化を脱し、複雑性を重視するか、同じ歴史の事件に対しての異なる解釈にどう対応するか、引き続き双方の研究者により討論を進める必要がある。しかし、双方が相手の考え方をある程度理解したのは、これまでの近現代史分科会における大きな前進である。


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