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講談社版の翻訳について

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講談社版の翻訳について

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24833 返信 Re:法的根拠は一体なんですか。 梶村太一郎電便 2003/12/20 04:12

渡辺さま

わたしも、刑法や民法はちゃんと調べるときは最新の版を用います。
法律は生き物ですから、ましてやドイツは法律の国ですから毎年買い替えます。
(ありがたいことに文庫本で非常に安いのです)

「外国裁判所の確定判決の効力」は、200条から118条に変わっています。
> -----
> 第118条(外国裁判所の確定判決の効力)
>外国裁判所の確定判決は、次に掲げる要件のすべてを具備する場合に限り、その効力を有する。
>1 法令又は条約により外国裁判所の裁判権が認められること。
>2 敗訴の被告が訴訟の開始に必要な呼出し若しくは命令の送達(公示送達その他これに類する送達を除く。)を受けたこと又はこれを受けなかったが応訴したこと。
>3 判決の内容及び訴訟手続が日本における公の秩序又は善良の風俗に反しないこと。
> 4 相互の保証があること。

南京の判決の効力については、それこそ専門家の意見を聴かないと判断ができませんが、サンフランシスコ条約との関連もあり無効にすることはまず不可能だと考えています。
> -----
>
> >わたしは例のジョン・ラーベの日記の改竄訳問題のときから、突然思わぬ味方が現れたと陰ながら感謝して力強く思っています。
>
> ご存知でしたか(^^;
>誤訳だけでなく、故意の加筆や勝手な削除など、困ったものです。
>秦郁彦氏は、梶村氏の指摘について「微細な誤訳(?)などを針小棒大に拡大しての、こじつけだから、行くつく先は全否定しかないだろう。」(『現代史の争点』p.29)と批判しています。昔の秦氏の実証的な記事を読むと、最近はどうなっちゃったんだろうかという感じがします。
>誤訳本の問題点は「微細な誤訳」にあるのではなく、翻訳の力量のない学生などに翻訳させたものに、先生の名前を翻訳者として冠していることにあります。
>英語の誤訳について熱心な方とインターネット上で知り合いになりましたが、ある誤訳本が、実は学生などの作ではないかということが話題になりました。その方が「翻訳者」のメールアドレスを調べて、問い詰めたところ、最終的には「グループで翻訳した」との回答をもらったということです。翻訳を手伝ってもらうのはいいのですが、きちんとチェックしてもらいたいものです。

秦氏は私も個人的に存じていますが、本当に困ったものです。そうですか、そんなことを書いていますか。反論する値打ちもありませんね。ずいぶんなボケ学者になってしまったのでしょう。残念ですね。

ラーベの日本語訳のずさんさは、わたしはまず原書を読んでいましたから、手に取って
ヴィッケルトの前書きの訳を読み始めたとたんに、おもわず赤面し、かつ吹き出しました。こりゃだめだと思いました。最初からおっしゃる学生の訳ような間違いがあるのです。

日本語版10ページに「麦藁会社」という言葉がありますがこれは、原文Strohfirmaを直訳したもので間違いです。日本のドイツ語辞典には載っていないようですが、いわゆるダミー会社、あるいはトンネル会社のことです。そう訳せば意味がわかるでしょう。
この言葉は、ドイツでは日常的に使われている俗語ですから、新聞に目を通しているひとならだれでも常識として知っています。英語版はもっていないのでどう訳されているか知りませんが。
日本語版は文庫判になっても麦藁会社のままです。しかもていねいにふりがな付きです。
こんなことは、それこそ枝葉末節なことですので針小棒大にあげつらう必要もありませんが、やはり原文にない加筆や、ラーベの人物像をゆがめる翻訳は指摘しました。

ただ、わたしは翻訳者を一切非難はしていません。彼女はプロの翻訳者で小説や童話を訳したらおそらく私などよりもはるかに良い日本語にできる人だと思います。また、わたしも翻訳がいかに大変な仕事で、日本では翻訳者が大変冷遇されていることを知っているからです。気の毒だと考えています。
そのかわり、解説を書いている横山宏章(長崎シーボルト大学教授)という自称学者と版元の講談社は手厳しく批判しました。学生に翻訳させておき、ロクに原文も読みこなせないインチキ学者とそれで金もうけする出版社が多すぎます。困ったものです。

それは、ともかく「言論の自由と人格権の裁量」という大きなテーマもこの裁判で争われます。やりがいがありますので興味ある探求の成果の報告を期待しております。
よろしく

24868 返信 Re:法的根拠は一体なんですか。 渡辺 URL2003/12/22 02:43

梶村太一郎さん:>
>秦氏は私も個人的に存じていますが、本当に困ったものです。そうですか、そんなことを書いていますか。反論する値打ちもありませんね。ずいぶんなボケ学者になってしまったのでしょう。残念ですね。

問題の箇所はご存知ありませんでしたか...
どういう脈略での発言かを示すために、前後を引用いたします。それから、この箇所を読んで秦氏の発言に別の問題を発見いたしました。
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秦郁彦『現代史の争点』文藝春秋、1998年
- P.28 -
右も左もラーベ否定へ

『諸君!』二月号で私が「『五万から六万人』というラーベの一石は、複雑な波紋をひきおこす。とくに当惑したのは、『大虐殺派』と『マボロシ派』だった」と書いたのは、九七年十二月十二日の時点である。
 その翌日つまり南京陥落から六十周年に当る記念日に、東京、大阪、南京、台北、香港、サンフランシスコなどでいくつかのシンポジウムが開かれた。東京では「大虐殺派」が主催した「南京大虐殺六〇年国際シンポジウム」が二日にわたり開かれ、ラーベの孫娘にあたるウルズラ・ラインハルトさんが挨拶した。
 傍聴した私の注意をひいたのは、彼女をドイツからエスコートしてきた梶村大二郎氏が、ラーべ日記の資料価値は高いと評価しつつ、講談社版は「意訳の上に削除・加筆までされ&&あわれなのは日本の読者であり、著者ラーベだ」と、奇抜なラーベ批判を展開したことである。
- P.29 -
 ラーベ日記自体は悪くないが、ベストセラーになっている講談社版は信用するな、という論法と見受けた。微細な誤訳(?)などを針小棒大に拡大してのこじつけだから、行きつく先は全否定しかないだろう。
 このシンポではもう一つ面白いシーンが見られた。笠原十九司氏が中国代表団に配慮してか、「ラーベは五~六万と言っているが、彼の目が届かない郊外や彼が南京を去ったあとの犠牲者をすと三〇万ぐらいになるはず」と述べたところ、中国側代表格の孫宅[山へん+魏]氏が異議を申し立てたのである。「三〇万は南京城内だけの数字である。地域や時期を勝手に広げてもらっては困る」というのだ。(以下省略)
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本題から外れるのですが、上の箇所を読み返してみると、後段の部分がおかしいのです。
あたかも、笠原十九司氏が、犠牲者数をなんとか30万人に近づけようとし、しかも、孫氏が「三〇万は南京城内だけの数字である」と、ありえない発言がされたことになっているのですね。そこで、シンポジュウムでのやりとりが書かれている藤原彰編『南京事件をどうみるか』(青木書店)を調べましたら、こうなっていました。
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藤原彰偏『南京事件をどうみるか』青木書店,1998年,pp.145-147 (下線は引用者による。)
全体討論
(一部省略)
藤原 日本側ではすべての資料が発掘されているわけではないので、孫先生の報告のなかでも日本側に該当する記録がないのが相当ある。だから日本側も今後さらに資料発掘の努力をする必要がある。(途中省略)このように発掘していけば、中国側の孫先生の調査に対応する事実がでてくるのではないか、双方の記録をつき合わせることによっていっそう確実になっていくと考える。
 もうひとつ問題を提起したい。笠原先生は近郊農村を含めた範囲についての報告だったが、孫先生の「南京大虐殺の規模について」という報告のなかで、範囲はどのようにとっておられるのか伺いたい。これがはっきりすると日本側との間で整合性ができると思うので。
孫 私は南京のまわりの県を含めるという笠原先生の意見に賛同する。しかし犠牲者数については問題がある。私たちが言っている三〇万というのは、まわりの六県その他地域を入れていない。これはあらたな課題として考えていきたい。
笠原 私の研究は数が前提ではなく実態を明らかにするのが前提になっている。そのためには中国側の資料は非常に大事だと思っているが、残念ながら日本国民の意識のなかに、一部の否定派の研究者が繰り返し宣伝していることもあって、中国側の資料は白髪三千丈式の誇張があると思う傾向がある。そこで私の研究は中国側の資料に依拠しなくても虐殺が証明できることを念頭において、アメリカ側や日本軍の資料を使って事実を明らかにしてきた。南京には集団虐殺の記念碑がたくさん立っている。それぞれの場所は集団虐殺があったところであり、そこで作戦行動を行った日本軍の部隊までは分かるようになってきた。さらに具体的行為を記した日本軍の資料をあわせてみれば集団虐殺の実態と数が証明されるわけだが、日本側の資料はまだ少ない。今後日本軍の各部隊の行動が資料的にもっとわかるようになれば、犠牲者の数の問題もさらに明らかになっていくと思う。
胡 午前中に章先生がベイツの資料を引用したが、これが確かな証拠である。当時、日本軍は上海から南京まで進軍してきて、その進軍途中でも殺人行為をくり返してきた。江蘇省の各都市にはそれに関する資料がたくさん保存されている。
藤原 これからさらに研究が必要だということが、これで確認された。とくに日本側の記録と孫先生があげられた各地域の状況とを整合する作業がとくに必要だと思うので、ぜひこれを進めていきたい。
(以下省略)
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どうやら、日本側と孫氏のあげる資料を整合させる作業をすれば、孫氏の調査に対応する結果になるのではないかという議論があり、孫氏が「三〇万というのは、まわりの六県その他地域を入れていない」というのを「三〇万は南京城内だけの数字」と秦氏が誤解したということのようです。
従来から「三〇万は南京城内だけの数字」と言っている研究者など無く、孫氏の研究を知っていればこのような誤解は起こり得ないので、秦氏の記述には偏見があるのではないかと不信感を持たざるをえません。

>日本語版10ページに「麦藁会社」という言葉がありますがこれは、原文Strohfirmaを直訳したもので間違いです。日本のドイツ語辞典には載っていないようですが、いわゆるダミー会社、あるいはトンネル会社のことです。そう訳せば意味がわかるでしょう。
>この言葉は、ドイツでは日常的に使われている俗語ですから、新聞に目を通しているひとならだれでも常識として知っています。英語版はもっていないのでどう訳されているか知りませんが。

調べた範囲では、英語版はよくできていますよ。該当箇所(下線部)は、こうなっています。
A year later, however, he returned China via the backdoor of Japan andreestablished the Siemens China branch in Peking under the cover of a Chinesefirm, ....(p.viii)
この箇所は、私の「『南京の真実』誤訳リスト」改訂版に加えることにしましょう。

>ただ、わたしは翻訳者を一切非難はしていません。彼女はプロの翻訳者で小説や童話を訳したらおそらく私などよりもはるかに良い日本語にできる人だと思います。また、わたしも翻訳がいかに大変な仕事で、日本では翻訳者が大変冷遇されていることを知っているからです。気の毒だと考えています。

日本では翻訳という仕事が評価されていないので、翻訳者の方は気の毒だと思います。しかし、翻訳者の名前を使いながら、実は学生に翻訳させてチェックもせずに内容がでたらめ、そこで英独の本を購入するはめになり私は怒っていますよ。名前を貸した翻訳者は翻訳内容に責任があります。『南京の真実』の「翻訳者」は、そういう意味でプロ意識に欠けると言わざるをえません。

>そのかわり、解説を書いている横山宏章(長崎シーボルト大学教授)という自称学者と版元の講談社は手厳しく批判しました。学生に翻訳させておき、ロクに原文も読みこなせないインチキ学者とそれで金もうけする出版社が多すぎます。困ったものです。

横山氏の「解説」を読むと、30万人の件について中国が「日本へその事実を承認して陳謝することを要求している」(p.323)とか「いろいろな事情で陳謝できない日本の弱み、あるいは負い目を最大限に利用し、日本から多大の経済的利益を引き出し続けている」「日本は南京虐殺を認めず、それへの陳謝を拒みつづけることで、多大の国益を損なっている」(p.324)など、「なんじゃ、こりゃぁ~」と首が90度くらい傾くようなことを書いています。しかし、「インチキ学者」は言い過ぎじゃないでしょうか(^^;

24944 返信 Re:法的根拠は一体なんですか。 梶村太一郎電便 2003/12/29 04:12

渡辺さま

ていねいなご紹介に感激して、すぐにお返事を書いたのですが、見ると消えていました。多分、時差を無視して書いたので、許容量を超えて消えてしまったのでしょう。
このサイトは日本時間ですから、うっかりしていました。一寝入りして、こちらの日付が変っているので、投稿したら実は日本では同じ日であったのでしょう。すみません。

そこで、遅ればせながら以下、もう一度簡単にお返事いたします。ご一読下さい。


> 梶村太一郎さん:>
>
> 問題の箇所はご存知ありませんでしたか...
>どういう脈略での発言かを示すために、前後を引用いたします。それから、この箇所を読んで秦氏の発言に別の問題を発見いたしました。
> ----
> 秦郁彦『現代史の争点』文藝春秋、1998年
> - P.28 -
> 右も左もラーベ否定へ
>
>『諸君!』二月号で私が「『五万から六万人』というラーベの一石は、複雑な波紋をひきおこす。とくに当惑したのは、『大虐殺派』と『マボロシ派』だった」と書いたのは、九七年十二月十二日の時点である。
> その翌日つまり南京陥落から六十周年に当る記念日に、東京、大阪、南京、台北、香港、サンフランシスコなどでいくつかのシンポジウムが開かれた。東京では「大虐殺派」が主催した「南京大虐殺六〇年国際シンポジウム」が二日にわたり開かれ、ラーベの孫娘にあたるウルズラ・ラインハルトさんが挨拶した。
> 傍聴した私の注意をひいたのは、彼女をドイツからエスコートしてきた梶村大二郎氏が、ラーべ日記の資料価値は高いと評価しつつ、講談社版は「意訳の上に削除・加筆までされ&&あわれなのは日本の読者であり、著者ラーベだ」と、奇抜なラーベ批判を展開したことである。
> - P.29 -
> ラーベ日記自体は悪くないが、ベストセラーになっている講談社版は信用するな、という論法と見受けた。微細な誤訳(?)などを針小棒大に拡大してのこじつけだから、行きつく先は全否定しかないだろう。

そういえば、あの会場で秦氏と話したことを思い出しました。彼は西尾幹二氏とちがって、わたしに感情的に反発したりしないので、わたしとも気さくに話します。
それにしても「奇抜な批判」だとか「微細な誤訳」とは、学者らしくない奇妙な評論ですね。加筆が微細な誤訳ではたまりませんからね。この批判こそ「こじつけ」ですね。こまった先生です。今度会う機会あれば注意を促しましょう。

> このシンポではもう一つ面白いシーンが見られた。笠原十九司氏が中国代表団に配慮してか、「ラーベは五~六万と言っているが、彼の目が届かない郊外や彼が南京を去ったあとの犠牲者をすと三〇万ぐらいになるはず」と述べたところ、中国側代表格の孫宅[山へん+魏]氏が異議を申し立てたのである。「三〇万は南京城内だけの数字である。地域や時期を勝手に広げてもらっては困る」というのだ。(以下省略)
> -----
>
>本題から外れるのですが、上の箇所を読み返してみると、後段の部分がおかしいのです。
>あたかも、笠原十九司氏が、犠牲者数をなんとか30万人に近づけようとし、しかも、孫氏が「三〇万は南京城内だけの数字である」と、ありえない発言がされたことになっているのですね。そこで、シンポジュウムでのやりとりが書かれている藤原彰編『南京事件をどうみるか』(青木書店)を調べましたら、こうなっていました。
> -----
>>
>どうやら、日本側と孫氏のあげる資料を整合させる作業をすれば、孫氏の調査に対応する結果になるのではないかという議論があり、孫氏が「三〇万というのは、まわりの六県その他地域を入れていない」というのを「三〇万は南京城内だけの数字」と秦氏が誤解したということのようです。
>従来から「三〇万は南京城内だけの数字」と言っている研究者など無く、孫氏の研究を知っていればこのような誤解は起こり得ないので、秦氏の記述には偏見があるのではないかと不信感を持たざるをえません。

 これは、おそらく渡辺さんのご意見が正しいでしょう。犠牲者の数の問題は、日中の学者が共同でお互いの手持ちの資料を突き合わして探求するしかありません。「多すぎる」、「いや少なすぎる」といった次元の消耗なことでは解決できません。イデオロギーを排した共同の実証的研究ではじめて合意できるものです。日中の研究者達の間の違いはそんなに大きなものではないので、十分接近は可能な状態です。まだまだ決定的な資料がでてくる可能性も有りますし。日本政府もかなり資料を隠蔽しているはずです。

 ご存知であろうかと思いますが、たとえばアウシュヴィッツの犠牲者数は、冷戦が終わるまでは「400万人」でした。ソ連とポーランド政府の公式見解がそうだったからです。異議を唱える西の学者には「反共主義者」あるいは逆に東の学者には「裏切り者」のレッテルが貼られましたから、やってはいられなかったのです。
90年代に入ってやっと広範な実証的諸研究の成果で、1993年になって「約110万」という定説が確定しました。おびただしい数の資料と研究の成果です。おかげで、かなり詳しい数字が明らかになっています。

>
> >日本語版10ページに「麦藁会社」という言葉がありますがこれは、原文Strohfirmaを直訳したもので間違いです。日本のドイツ語辞典には載っていないようですが、いわゆるダミー会社、あるいはトンネル会社のことです。そう訳せば意味がわかるでしょう。
>調べた範囲では、英語版はよくできていますよ。該当箇所(下線部)は、こうなっています。
> A year later, however, he returned China via the backdoor of Japan andreestablished the Siemens China branch in Peking under the cover of a Chinesefirm, ....(p.viii)
>この箇所は、私の「『南京の真実』誤訳リスト」改訂版に加えることにしましょう。
>

 これは、大変良い翻訳ですね。正確に内容を把握しています。日本語では「中国の会社名義で営業した」とするのが、一番良いかもしれません。内容的には一番正しいからです。というのはStrohmanという言葉があり、ずばり「貸し名義人」のことなのです。

 是非、渡辺リストに加えて下さい。またわたしが「週刊金曜日」で指摘した箇所も、渡辺リストに加えていただいて結構です。訳の間違いだけでなく加筆まであるのですから、大変重要です。ご遠慮なくどうぞ。

 おまけを一つ:日本語版には原書に無い「ヒットラーへの上申書」が巻末に加えられています。英語版にも加えられてないかもしれません。これは、当時すでに「戦争責任研究」16号、1997夏号に片岡哲史氏の厳密な翻訳が出ており、訳者も間違いなく参考にしたとおもわれますが、にもかかわらず「改竄の疑い」がひとつあります。しかもここはもっとも頻繁に引用される箇所なので重要です。
日本語版317ページの「我々外国人はおよそ五万から六万人とみています。」という文の「外国人」は間違いで「ヨーロッパ人・Europaeer」が原文です。
渡辺さんが日記の本文でも同じ間違いを指摘されていますが、おそらくその部分と整合させたのでしょうが、間違えようにも間違えられない訳語ですので、これは誤訳ではなく改竄に近いですね。なぜこんなことをしたかは不明ですが、引用がひんぱんになされる部分ですので、これもリストに加えてください。長い間気になっていましたので、かえって助かります。

とりあえず、おわびとお返事に代えて

25002 返信Re:法的根拠は..:講談社訳「ヨーロッパ人」について 渡辺URL 2004/01/01 17:34


梶村太一郎さん:>
> おまけを一つ:日本語版には原書に無い「ヒットラーへの上申書」が巻末に加えられています。英語版にも加えられてないかもしれません。

はい、英語版にもありません。英語版は(実際に刊行された)ドイツ語原書の翻訳だからです。

>これは、当時すでに「戦争責任研究」16号、1997夏号に片岡哲史氏の厳密な翻訳が出ており、訳者も間違いなく参考にしたとおもわれますが、にもかかわらず「改竄の疑い」がひとつあります。しかもここはもっとも頻繁に引用される箇所なので重要です。
>日本語版317ページの「我々外国人はおよそ五万から六万人とみています。」という文の「外国人」は間違いで「ヨーロッパ人・Europaeer」が原文です。
>渡辺さんが日記の本文でも同じ間違いを指摘されていますが、おそらくその部分と整合させたのでしょうが、間違えようにも間違えられない訳語ですので、これは誤訳ではなく改竄に近いですね。なぜこんなことをしたかは不明ですが、引用がひんぱんになされる部分ですので、これもリストに加えてください。長い間気になっていましたので、かえって助かります。

最近、ある方から「戦争責任研究」16号の写しをいただきました。講談社版は「参考」にしたというより「パクリ」に近いんじゃないないかと思いましたけど(^^)
にもかかわらず、わざわざ「外国人」としたのには何か意図があったんでしょうね。
「およそ五万から六万人」の部分は編者が引用しているので(講談社版p.267)原文がわかりました。『南京の真実』の訳がおかしいと確信したのは、この箇所がきっかけです。
日記の中では、「ヨーロッパ人」と「米国人」は一応区別されて使われているようです。
しかし、『ドイツ外交官の見た南京事件』に収録された、ラーベが作成者とみられる「あるドイツ人目撃者の報告」では「ヨーロッパ人」を欧米人という意味で使っていることを、後日発見しました。(原文は未確認)
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 一九三七年一二月八日、ヨーロッパ人は南京を離れてジャーディン社のハルク[Hulk老朽船のこと]へ向かった。南京城内に残ったヨーロッパ人は総勢わずか二二人で、南京国際委員会として、一一月中旬に設立準備された安全区の管理を引き受けた。
[『ドイツ外交官の見た南京事件』大月書店、2001年、p.5]
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ここでは、明らかに「ヨーロッパ人」は欧米人のことです。
従って、問題の箇所で「ヨーロッパ人」を「外国人」と理解すると意味が変わってくるかどうかは微妙なところです。そこで、確かに『南京の真実』の訳には問題があるのですが、この箇所については「誤訳リスト」改訂版で外すことにしました。

「戦争責任研究」16号の訳で一ヵ所問題を感じたのは、紅卍字会を国際委員会の「管轄下」にあると訳している点です。『南京の真実』では、この訳を継承しています。
辞書的意味では、そういう訳も可能でしょうが、史実に基づけば「協力関係」にあったとすべきでしょう。英訳では、(be) associated with と適切に訳されています

問題といえば、掲載されている写真が、原書、英訳、邦訳で違いがあるのですね。
写真については、講談社版が原書の原形をとどめているのでしょう。英訳のほうは、明らかにラーベのものではない写真が説明無く挿入されています。ラーベの下で働いた韓という人の写真や、上空から撮影した発電所の全景など、これはこれで役にたちますが、やはり出所を明記すべきでしょう。
なお、興味深いのは、『南京の真実』に掲載の「写真18」は、H.J. Timperley, "What War Means"の中国語訳に掲載されていることです。フィッチが同じ写真を南京から持ち出したのでしょう。
フィッチが持ち出した写真とフィルムが、南京事件の写真として1938年に流布したものと思われますので、機会がありましたら調べて整理してみたいと思います。


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