15年戦争資料 @wiki

rabe11月17日

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pipopipo555jp

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十一月十七日

メインストリートは一晩中騒々しかった。乗用車、トラツク、なんと戦車まで。どれもがのろのろ通っていった。政府の大がかりな移転が始まったのだ。国民政府主席の林森氏はすでに発ったという話だ。韓の家族のことが心配だ。早くしなくては・・・・・。

荷物をうずたかく積んだ力車が何百となく、下関へ向かっている。まだいくつか運行されている汽船に乗るつもりなのだ。それにしても新たに徴集された新兵、かれらはなんというひどい格好をしているのだろう。程度の差こそあれ、みな、ぼろをまとって、荷物を背負い、さびついた猟銃をかついでいる。

今聞いたのだが、蘇州付近で張学良の指揮下のおよそ五千人の兵士たちが蒋介石に対する服従を拒んだのだそうだ。それでようやく、なぜ日本軍があんなにやすやすと侵攻できたのかわかった、なんでも、蒋介石委員長がみずから蘇州に赴き、精鋭部隊に命じて反抗的な一団から武器を取り上げさせたという。委員長も楽ではない。その精力に脱帽!

その結果、蘇州の前線部隊は再び踏みとどまったとの話だ。とはいっても、「ヒンデンブルク・ライン」は、日本軍が迂回してしまったために失われてしまったが。そして、おそらく、それとともにファルケンハウゼン将軍が練りあげたみごとな防衛計画も。



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