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10・10空襲:65年 傷跡なお

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10・10空襲:65年 傷跡なお


 1944年に那覇市を中心に米軍の大空襲を受け、多くの命が一瞬にして失われた10・10空襲から65年となった10日、命の尊さを訴えるイベントが各地であった。「なぐやけの碑」では遺族らが鎮魂の祈りをささげ、1フィート運動の会が開いたシンポジウムでは体験者が当時の様子を語った。子どもたちは朗読劇を演じて平和を発信する大切さを訴え、海勢頭豊さんは反戦の思いを歌に乗せた。参加者らは10・10空襲の体験を風化させない思いを共有した。那覇市で無防備平和条例制定を目指す動きも本格的に始動した。

◇映像焼き付け/1フィートの会が上映・シンポ


 「10・10空襲」と沖縄戦を次世代に継承しようと「10・10空襲を考える上映とシンポジウム」(沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会主催)が10日、那覇市の久茂地公民館ホールで開かれた。会場に詰め掛けた来場者は目に焼き付けるように上映に見入り、メモを取るなど熱心に聞き入った。

 米軍が撮影した「10・10空襲」実写フィルムと、慶良間諸島での「集団自決」(強制集団死)の住民証言を織り込み、何が起きたか実相と真実に迫る「軍隊がいた島~慶良間の証言~」が上映された。

 シンポジウムでは「軍隊がいた島」の謝名元慶福監督がコーディネーターを務めた。石原昌家沖国大教授は「フィリピン戦線の日本軍の輸送路を断つのが狙いだった。軍需施設への攻撃が目的だが、民間でも被害が出た」とアメリカの空襲の意図を説明。遺骨収集ボランティア団体ガマフヤーの具志堅隆松代表は「若狭や泊辺りでは家の基礎工事時などで、土中に空襲の痕跡らしき焼け跡が見つかることもある」と「10・10空襲」の痕跡がいまだ残る現状を説明した。

 元瑞泉学徒隊の宮城巳知子さんは「沖縄の上空が戦闘機でいっぱいだった」と空襲の恐怖を語った。北部地区語り部の会の渡久地昇永代表は北部での「10・10空襲」体験を語った。

◇命の重さ大切さ訴え/小中高生が劇


 那覇市の小中高校生でつくる那覇市青年舞台プログラムの舞台「現代版組踊 那覇センセイション」(演出・平田大一、脚本・与那良満太)が10日、那覇市民会館であった。出演者した市内33校の87人は、10・10空襲から65年を迎えた日に那覇から平和を発信する大切さを、躍動感あふれるダンスと熱のこもった演技で訴えた。約930人が来場した。

 「那覇センセイション」は、戦争を題材にした詩の朗読劇を発表することになった若い教師たちが、不登校の高校生と一緒に舞台を作り上げていく物語。壕(ごう)を訪れた際の不思議な体験から、戦争の悲惨さや命の大切さを実感していく姿が描かれた。

 劇中劇の空襲の場面などでは「1本のさとうきび」を演じる教師役の子どもたちが痛切な叫びで命の重さを訴えたほか、不登校の高校生らの指導で教師たちが「心のひらめき」を得て朗読劇を完成させていく場面では「教えることって一体何だろう」などと観衆にも問い掛けた。

◇歌 芝居 朗読で/「風化させない」集い


 「十・十空襲六十五周年忌 那覇が消えた日」(10・10空襲を風化させない市民の集い実行委員会主催)が10日、那覇市の県立博物館・美術館であった。海勢頭豊さんのメッセージコンサートと北島角子さんの10・10空襲を題材にした「ひとり芝居 十月十日?」が披露された。

 公演冒頭、出演者や来場者は10・10空襲をはじめとする沖縄戦の犠牲者に黙とうをささげた。海勢頭さんはギターを手に「喜瀬武原」など代表曲を弾き語り、曲の合間に「核兵器や軍隊があると世界の将来は不安だ。沖縄の非武の考えを広めよう」と訴えた。

 沖縄戦を題材にした絵本「のりひで」を、舞台朗読「沖縄可否の会」で活動する中村初子さん(61)が朗読。同絵本は映画「GAMA-月桃の花」のモチーフになった安里要江さんの体験談を基に、北中城村の主婦でつくる「あけびの会」が8月に発行した。海勢頭さんが伴奏した。

 憲法9条のウチナーグチでの朗読などもあった。

(琉球新報)
2009年10月11日

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