15年戦争資料 @wiki

rabe12月19日

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pipopipo555jp

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十二月十九日


わが家では静かに夜が更けていった。寧海路にある本部の隣の建物には防空壕があって、二十人ほどの女性がいたが、ここへ日本兵が数人暴行しに侵入してきた。ハッツは塀を乗り越え、やつらを追い払った。広州路八十三~八十五号の難民収容所からは助けを求める請願書が来た。

南京安全区国際委員会御中

ここに署名しました五百四十人の難民は、広州路八十三~八十五号の建物の中にぎゅうぎゅうに押しこまれて収容されています。

今月の十三日から十八日にかけて、この建物は三人から五人の日本兵のグループに何度も押し入られ、略奪されました。今日もまたひっきりなしに日本兵がやってきました。装飾品はもとより、現金、時計、服という服、何もかもあらいざらいもっていかれました。比較的若い女性たちは毎夜連れ去られます。トラックにのせられ、翌朝になってようやく帰されるのです。これまでに三十人以上が暴行されました。女性や子どもたちの悲鳴が夜昼となく響き渡ってい
ます。この悲惨なありさまはなんともいいようがありません!
どうか、われわれをお助けください!

   南京にて、一九三七年十ニ月十八日
      難民一同


いったいどうやってこの人たちを守ったらいいのだろう。日本兵は野放し状態だ。これでは発電所を復旧しようにも、とうてい人手が集まらない。今日そのことでまた菊池氏がやってきた。私はいってやった。「作業員は逃げてしまいましたよ。そりゃそうでしょう、私たちヨーロツパ人さえひどい目にあっているというのに、自分たちが安全なわけがないと思ってるんですよ」

すると菊池氏はいった。
「ベルギーでもまったくおなじ状態でした!」

十八時


日本兵が六人、塀を乗り越えて庭に入っていた。門扉を内側から開けようとしている。なかのひとりを懐中電灯で照らすと、ピストルを取り出した。だが、大声で怒鳴りつけ、ハーケンクロイツ腕章を鼻先に突きつけると、すぐにひっこめた。全員また塀を乗り越えて戻っていくことになった。おまえらにはそれで十分だ。なにも扉を開けてやることはない。


わが家の南も北も大火事になった。水道はとまっているし、消防隊は連れていかれてしまったのだから、手の打ちようがない。国府路ではどうやら一ブロツクがそっくり燃えているようだ。空は真昼のように明るい。庭の難民は、三百人だか四百人だか正確にはわからないのだが、筵や古いドア、ブリキ板で掘ったて小屋をつくって、少しでも雪と寒さを防ごうとしていた。だがこまったことに、なかで料理をはじめてしまったのだ。火事が心配だ。禁止しなければ。大きい石油缶が六十四個もおいてあるので、気が気ではない。けっきょく二ヵ所だけ、料理をしても良い場所をきめることにした。


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