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永山英樹氏の"つっこみ"は的を射ているか(下)

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【資料】永山英樹氏の"つっこみ"は的を射ているか(下)
永山英樹氏の"つっこみ"は的を射ているか(上)
岡田充さんの論文に、永山英樹氏の"つっこみ"を挿入しました。
岡田充さんの論文:
海峡両岸論 第4号 2009.5.10発行 by 岡田 充
NHK叩きは馬批判の代償行為 「親日幻想」捨てない人たち
http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_04.html
永山英樹氏の"つっこみ":
台湾は日本の生命線!
台湾「反日」イメージの流布試みる親中派の執念―「NHK叩き」批判の元共同通信台北支局長を批判する(下)
2009/07/19/Sun
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-824.html


海峡両岸論 第4号 2009.5.10発行 by 岡田 充

NHK叩きは馬批判の代償行為 「親日幻想」捨てない人たち(下)

★アンダーラインは、永山英樹氏が批判のために引用せずスルーした記述です

目次

  • (引用者注)永山氏の後半の"つっこみ"は、いきなり次のような『レッテル貼り』と罵倒から始まる

(永山) 元共同通信台北支局長である岡田充氏の「海峡両岸論」に載った「NHK叩きは馬批判の代償行為 『親日幻想』捨てない人たち」は我々のNHK「JAPANデビュー」への抗議運動を批判するものだが、それが中国人と同じ立場に立った邪推だらけの内容であるでことは前回書いたとおり。今回は特に論文の後半部分を見て行きたい。

さて岡田氏が擁護する「JAPANデビュー」第一回放送「アジアの“一等国”」が台湾を反日国家と印象づける内容だったことは周知のとおり。その点を日本李登輝友の会が抗議すると、NHKの番組プロデューサーはこう説明した。

「台湾が親日的であるという事実は、多くの日本人が認識していることであり、この番組でも決して否定していません。一方そうした台湾にも、植民地時代の差別、戦争の深い傷が残されているという事実を伝えることが、日本と台湾のさらに強くて深い関係を築いていくことに資すると考えています」と。

台湾人の「親日」が日台の良好な関係を支えていると言っても過言ではないが、番組はその台湾の「親日」イメージを崩そうと試みたのである。だから「日本と台湾のさらに強くて深い関係を築いていくことに資する」などとは考えられない。番組が狙ったのは日台関係の弱体化としか言いようがない。

  • (引用者注)こうした永山英樹氏の言説こそ、岡田氏がこのあと、「親日」や「愛日」への「甘え」として批判しているのだが、果たして永山氏は反批判ができたのだろうか、観ていこう・・・

(永山) そしてその弱体化を望んでいるのは言うまでもなく中国だから、NHKはあの国の利益に「資する」ためにこの番組を作ったのではないかと疑われている。そう考えなければ、なぜあのような歴史捏造と印象操作に満ちた番組をわざわざ制作したのかが説明できないのだ。

ところが岡田氏もまた、この論文で台湾の「親日」イメージを崩そうと躍起になっている。そもそもこの文章を書いた動機は、次のような思いからだそうだ。

  • (引用者注)何かもう、論証力では勝負しません、という宣言のように聞こえますが・・・


(岡田) 日台関係になると決まって「親日」「反日」という不毛な二元論に、議論は空回りする。我々の思考を覆う二元論から解放されねばならない。

(永山) 要するに台湾を「親日」と思ってはならない、と言いたいようだ。はっきりとそう書けばいいのにと思う。

  • (引用者注)レッテル貼り満開?


(永山) 岡田氏は「反日幻想」を流布したいのか、こんなことを書いている。

「好感度」と親日


 筆者は3年半台北で生活した経験があるが、不愉快な思いをしたことはなかった。日本人に示す台湾人の好意と善意が主な理由だ。日本の対台湾窓口「交流協会」が08年末、約1000人の台湾人を対象に行った世論調査によると、日本に「親しみを感じる」は69%と「親しみを感じない」の12%を大きく超えた。台湾人の好意が世論調査でも確認された形だ。だがその好意や善意を「親日」とくくることには違和感を覚える。

(永山) 台湾人の「親日」感情に素直に感謝し、日本人としてその感情に応えて行こうと思えばいいのに、「違和感」とはどう言うことか。そこで岡田氏の「親日」の定義に耳を傾けよう。

 「親日」という言葉には、日本の経済力へのあこがれから、漫画やキャラクター大好きの「哈日族」まで、さらに植民地統治や「日本精神」の肯定など、政治的な意味まで極めて広義である。

(永山) この定義自体は正しいだろう。ところがそう言いながらも、次のように付け加える。

調査結果を報じた朝日新聞ⅲ は「日本による植民地統治や戦争の歴史が同様にあった中国、韓国と比べ、台湾の親日度がデータで裏付けられた形だ」と解説した。ここにも「親日」が登場するが、読者に誤解を与えかねない表現である。

なぜなら「台湾の親日度」の前に「日本による植民地統治や戦争の歴史が同様にあった中国、韓国と比べ」という表現を入れることによって、あたかも台湾人が植民地統治を評価しているような印象を与えてしまうからである。

(永山) なるほど岡田氏は、台湾が「親日」と呼ばれることで、日本人に「植民地統治を評価」されているとの印象が持たれることを恐れているわけだ。そこで、台湾人は「植民地統治を評価」などしていないと大声で訴えたい岡田氏は、その事例をさまざま紹介する。

 記事は続けて、台湾人の「親日」の理由について「『経済力、技術力の高い国』が1位。次いで『自然の美しい国』『きまりを守る国』『豊かな伝統と文化を持つ国』などだった」と書き、「李登輝元総統に代表される、日本語教育を受けた70歳以上の高齢者世代の親日度が高いとされてきた。だが、『親しみを感じる』とした回答者は、20代が79%、30代が77%と、若い世代が最も親日的で、65歳以上は58%だった」としている。これから想像するに、若い世代が日本へ好感を抱く理由は、経済・技術力、自然など非政治的理由が多く、日本の植民地統治を評価しているわけではないことが分かろう。

「おごり」と「甘え」


 麻生首相は外相だった05年2月、国会答弁で「台湾の教育水準が高いのは、植民地時代の日本義務教育のおかげ」と発言したことがある。麻生発言に対し、陳水扁政権時代の外交部スポークスマンは「教育も植民政策の一環であり、目的は誰もが分かっている」と、植民地統治の正当化に反発した。これが「親日」民進党政権の植民地統治に対する公式見解である。

(永山) 台湾人の戦後世代の多く人が国民党の反日教育の影響で、日本統治をはなから否定しているのは事実だ。しかしその一方で、そうした政治的歴史教育への反撥や、民主化後の歴史教育の客観的な歴史教育の影響で、日本統治への評価が高まるつつあるのもまた事実。あの時代への評価ブーム(レトロブームのような形であったりで)が広がっているのが現状である。

だから岡田氏は「評価しているわけではない」などと断言しない方がいいだろう。

林建良氏(メルマガ「台湾の声」編集長)も「若い人に親日度が高いのは、その大きな理由の一つとして、李登輝政権時代以来の教育で、国民党の歴史捏造を否定して、日本統治の歴史をより正確に直視するよう教えるようになったことがあげられるのだ」と岡田氏の論文を批判している。

  • (引用者注)林建良氏の岡田氏批判文は、【7月18日 メールマガジン「台湾の声」】

 「政権党としての建前にすぎない」という見方もあろうが、「主権独立国家」が植民地統治を正当化する言説に組みすることは、自殺行為に等しい。このスポークスマン発言に「反日」のレッテルを張れるだろうか。むしろ自分の発言を、台湾人も受け入れるだろうという「親日幻想」に寄りかかる麻生の「おごり」がみえる。

 ところで広義の「親日」の対極にある用語は「反日」であろう。これも広義の概念だが、日本のメディア・識者は、外国および外国人をとりあげる際、日本に対する愛憎を基準にしたこのレッテルを好んで使う。話は02年に戻る。この年のはじめ、台湾の性風俗業や買売春を写真や値段入りで紹介した日本のムック本「極楽台湾」が、台北で販売禁止される事件が起きた。当時の台北市長は馬英九。「極楽台湾」を厳しく取り締まった馬英九を「反日」の一言でばっさりと切り捨てた研究者がいた。水谷尚子・中央大非常勤講師の「胡錦濤より『色男』で『反日』の馬英九」ⅳである。彼女は「買春した日本人は、出国時パスポートに『淫虫』(スケベ野郎)のスタンプを押すことも検討する」と述べた馬発言を取り上げ、馬の「反日的性格」の一例というのだ。

 さらに馬の「反日」の例として、霧社事件のタイヤル族の指導者モーダルナオ記念碑を「先住民たちは抗日英雄」として参拝したことや、馬がハーバード留学時代「保釣」運動の闘士だったことを挙げる。馬の名誉のために言えば、台湾でモーダルナオの肖像を彫った50元コインが発行されたのは陳水扁時代であり、発行を計画したのは李登輝政権だった。「親日」「反日」の二元論から生み出された「おごり」の一例である。

分裂したアイデンティティ


(永山) さて、次の事例はどうか。こちらは相当インチキだと思うが…。

水谷尚子氏の論文に「李登輝に代表される日本語世代のような、無条件に日本を愛してくれた親日派は、今後急速に消滅していく」とあるのを取り上げ(これを論文の傑作部分とまで言ってちゃかし)、こう書くのだ。

 この論文で傑作なのは結論部分である。彼女は「李登輝に代表される日本語世代のような、無条件に日本を愛してくれた親日派は、今後急速に消滅していく」とし、「台湾が『親日』であった時代は終わった」と結論づける。いったい李のどこに「無条件で日本を愛してくれる」性格がみえるのか。うなずくわけにはいかない。

(永山) かくして岡田氏の「李登輝論」が始まる。

 「李登輝とは不思議な人である。台湾人の心を持ち、日本人の思考方法と欧米の価値観を持つ。同時に中国的な社会、文化背景の中で生きている」。李をこのように評するのは、陳政権時代、総統府国家安全会議副秘書長を務めた江春男だ。「司馬文武」のペンネームのほうが通りがよいだろう。反国民党の立場から台湾を論じてきたジャーナリストである。彼は「多面政治家」としての李の顔を次のように表現する。「40年に及ぶ『蒋王朝』の下で身に染みついた『中国的処世術』。西側には民主主義と人権を押しだし『ミスターデモクラシー』と礼賛される。日本人には『日本人の思考』で付き合う」 ⅴ

 国際政治と外交とは、国際的に認められたあらゆる方法で、「国益」を追求する手段である。「無条件で外国」を愛する政治家がいるとすれば、その国際感覚と政治家としての資質は疑わしい。国民党内のし烈な権力闘争を勝ち抜き、巨大な中国と駆け引きするには、「親日」だけでは生き残れない。李の場合、強大化する中国を「仮想敵」に、自分と台湾の「親日」イメージを戦略的に振りまいた成功例である。言動に矛盾が多い人だが、その多面性には奇妙な魅力があるのも否定できない。

(永山) 日本語世代の「親日」イメージを「振りまいた」と言う李登輝氏の「戦略」の存在は、私も否定しないし、それどころかすばらしい戦略だと思っている。しかし李登輝氏は「イメージ」の創出、操作を行ったわけではないのだ。「親日」世代の存在と、その歴史的背景を事実として明らかにしたのである。岡田氏はその辺をわかって書いているのか。

「無条件で外国」を愛する政治家は失格だとも言うが、それは「無条件で自国より外国に忠誠を尽くす政治家は失格」と言い換えるべきだろう。岡田氏は李登輝氏など日本語世代に多く見られる元日本国民としての日本への愛情が理解できなのか、理解できないふりをしているのか。

  • (引用者注)李登輝氏が、そんな単純な人物ではないことを岡田氏は丁寧に書いているのだが・・・

(永山) 水谷氏は、国籍は変わっても日本を愛しつづける李登輝氏など元日本人たちの自然感情を「無条件に日本を愛してくれた親日派」と形容したのみ。それにもかかわらず、それへの反論にわざわざ多言を費やすのもまた、台湾の「親日」イメージを否定したい一心からなのだろう。

  • (引用者注)永山氏と違って耳や目をふさがず、岡田氏の「多言」をまずは読んでから判断したい。

 台湾人は分裂したアイデンティティの中で生きている。台湾、日本、中国、西欧という4つの顔に加え、「本省人」と「外省人」に「客家」「先住民」など、族群アイデンティティも根強い。対日観は族群によっても異なるし、一人の人格の中でも4つの顔が「プリズム」を通すように、さまざまに変化するのである。その分裂は、李登輝がたびたび「悲哀」と強調するように、「外来政権」によって支配された続けた歴史に起因する一面もあろう。ただ李が分裂を「悲哀」と表現するのは、「日本人思考」で訴えているためである。日本は「文化、言語、民族が一体化した自然発生的な国家」という幻想の下で、国家アイデンティティの分裂が少ない特殊な国である。そうした日本人にとって、台湾人の「悲哀」という言葉はストンと腑に落ちるのである。


評価も相半ば


 ところで、台湾ではこの番組はどのように受け止められているのか。台北のジャーナリストによると、与野党の支持者および中間派のいずれもが、あまり関心を持っていないという。「番組を見たという民進党支持の日本留学経験者は『いい番組で勉強になった。反日とは思えないが』と解せないようだった」と語る。

 この番組で、日本のエリート教育を受けたお年寄りが「差別に苦しめられた。(日本時代は)いやだな。バカにしよって」と、感情あらわにぶつける場面は印象的だった。筆者も台湾では、日本教育を受けた年配者から、日本への複雑な思いをいやというほど聞かされてきたから驚きは感じなかった。ただ「カメラの前でよく言えたな」というのが率直な感想だった。日本で彼らの「親日」イメージが定着していることを自覚している台湾人が多いため、赤裸々な日本批判の場面が放送されれば、逆に本人が困るのではないかと懸念したからである。

 番組を批判する「台湾の声」ⅵは、発言の主である87歳の元医師、柯徳三氏に国際電話を掛け真相を質した。「台湾の声」に基づき柯氏の発言を要約すれば(1)日本の台湾統治はプラス面50%、マイナス面50%(2)(日本統治時代の)インフラや教育のよさを語ったが番組は取り上げなかった(3)国民(党)政府は日本政府の倍悪かった。(47年の)「2・28事件」では、台湾人エリートが犠牲になったと話したのに、まったく取り上げなかった(4)私は親日でも反日でもなく、日本は養母。中国から切り離され、日本に養子として拾われたのだ。日本人に差別はされたが一人前の医者として活躍できるのは日本のおかげ―ということになる。そして柯氏は「NHKには利用された、騙されたという気もしている」と嘆いた。

 この発言に脚色はないだろう。番組が「マイナス面50%」ばかりを伝え、「プラス面50%」を伝えなかったのは事実だ。ただそれを「公平を欠く偏向」というのはどうだろう。番組制作の意図は、1885年から1945年に及ぶ日本の台湾統治を「日本のアジア支配の原点」と位置付けることにある。その意図からすれば、「2・28」も、国民党による過酷な圧政にも焦点が当たらないことは不思議ではない。

  • (引用者注)永山氏は、岡田氏の上記の部分には突如沈黙、逐次反論することを止めてしまった。なぜだろうか?


 番組は次のようなナレーションで終わる。

 「親日的ともいわれる台湾で、今も残る日本統治の深い傷。それは今後アジアの中で生きて行く日本が分かち合わなければならない現実。過去と向き合う中から見えて来る未来。150年前に世界にデビューしたジャパンの歴史が、私たち一人ひとりの明日を問いかけている」。

 日本統治のプラス面ばかりを強調する情緒的報道が多い中で、むしろバランスがとれたコメントではないか。

柯氏だけでなく多くの台湾人が評価するインフラ整備、教育について言えば、「教育も植民政策の一環であり、目的は誰もが分かっている」という前出の陳政権時代のスポークスマンのコメントを引用すれば十分であろう。いずれも台湾人のためではなく、日本のアジア支配の戦略基地作りが目的であった。ただしインフラは、世の中がひっくり返っても基盤はそのまま残る普遍性を持つ。

 問題は、相半ばする評価を「親日か、反日か」の二元論のモノサシで測る、われわれの思考自体にある。(敬称略)

(永山) このように見ると岡田氏の「親日」否定の執念は「JAPANデビュー」が自らの番組制作の意図を語った次のナレーションと重なってくる。

「親日的ともいわれる台湾で、今も残る日本統治の深い傷。それは今後アジアの中で生きて行く日本が分かち合わなければならない現実。過去と向き合う中から見えて来る未来。150年前に世界にデビューしたジャパンの歴史が、私たち一人ひとりの明日を問いかけている」

これは「台湾は親日であるとは限らない。台湾人もまた日本の殖民地支配を許せないのだ。日本人は中国政府が言うとおり、過去を鏡として未来に向かえ。反省と謝罪を忘れるな」との政治的メッセージ。

番組の取材を受けた日本語世代の人々が、放送後にこのような番組のメッセージ(趣旨)を知って不満を抱いていることは説明を要さないが、岡田氏はこう賞賛する。

日本統治のプラス面ばかりを強調する情緒的報道が多い中で、むしろバランスがとれたコメントではないか

「親日」イメージに「反日」要素を加味することで「バランスがとれた」と言うわけだが、しかし現在持ち上がっている番組の問題は、その「反日」面の強調に歴史捏造が多々含まれていると言うことなのだ。問題になっているのは番組の歴史捏造や印象操作なのだ

問題は、相半ばする評価を「親日か、反日か」の二元論のモノサシで測る、われわれの思考自体にある。

こんなことを語る岡田氏。しかし繰り返すが、問題はそのようなところにはない。そもそもあの番組を巡り、台湾が「親日か反日か」などとの議論は起こっていないはず。なぜなら台湾が「親日」であることは争えない事実だからだ。

  • (引用者注)このとてつもない○×式思考は、一体誰の教育成果?

(永山) 問題が番組内容の真偽にあることを岡田氏が知らないはずがない。どうしても「JAPANデビュー」を擁護したいのなら、「歴史捏造あり」との批判に、具体的に反論してみたらいいのだ。

だがそれは岡田氏にはできないことだろう。なぜならNHK自身にすらそれができずにいるからだ(捏造を認めているに等しい)。岡田氏が、この番組を巡っての「論争に油を注ぐ気はないし、無視したいのが本音だ」と告白しているのも、まさにそのためではないかと思う。

岡田氏はジャーナリストであるなら、公共放送の歴史捏造を非難するべきだ。もしそれを行う勇気がないと言うのなら、沈黙しているべきである。

沈黙は台湾専門家として自ら墓穴を掘らないで済む唯一の方法なのだが、それでも黙っていられないのは、よほど台湾が「親日」であるのが怖いのだろう。どこまでもあの中国と共通点が多い人だなと思われ、少し哀れだ。

  • (引用者注)岡田さんがこの論評を書いたあと2ヶ月経って、ようやく反論を書いた永山英樹さん。ここでも歴史偽造ありとのシュプレヒコールを繰り返すばかりで、論証はありません。歴史偽造ありとの論証はこれまでにキチンとなさったのでしょうか? 「議員の会」へのNKHの「回答」やNHKの番組サイトの「説明」に対して、永山さんが系統立てた反証をなさった様子は、残念ながらありません。



ⅰ メルマガ「台湾の声」(09年4月6日「偏向番組で日台分断を図る)
http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?3407
ⅱ 岡崎研究所「台湾新政権と外交打開の予感」(2008年7月7日)
http://www.okazaki-inst.jp/official/okazaki-inst/2008/07/post-9.html
ⅲ 「台湾人7割「日本に親しみ」(2009年4月26日 asahi.com)
http://www.asahi.com/international/update/0425/TKY200904250184.html
ⅳ 水谷尚子「胡錦濤より『色男』で『反日』の馬英九」(「諸君」2005年3月号)
ⅴ 岡田充「中国と台湾 対立と共存の両岸関係」(2003年 講談社現代新書)112頁
ⅵ メルマガ「台湾の声」(4月9日「証言の断片のみ放映」)
http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?3407


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