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再質問状(H21.6.4)に対するNHKからの回答書(6月9日)

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再質問状(H21.6.4)に対するNHKからの回答書


(原文画像2009-6-12 up 中山成彬サイト)
http://nakayamanariaki.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=41


「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」
会長 衆議院議員 中山成彬様

 貴「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長中山成彬様より日本放送協会会長宛に送られた「再質問状」について、会長に代わって当該番組の責任者として小職が回答させて頂きます。「再質問状」では、それぞれの質問に対して「択一」にも回答するよう求められていますが、私どもの趣旨を正確にお伝えするために、今回も文章で答えさせていただきます。どうぞご了承ください。(ゴシック体で表示した物は、番組で伝えたコメント、インタビューです)


 今回の「再質問状」を拝見し、事実関係やインタビューなどについて再度確認しましたが、番組の中で伝えた事実関係に間違いはなく、インタビューは適切に編集しており、取材、制作手法にも不適切な点はないと考えています。

 なお、以下の回答文の中に柯徳三さんのインタビューで未使用の部分、また蒋松輝さんからNHKにいただいたメールを紹介しています。今回の番組に関して、誤解や曲解に基づく誤った情報が現在流布しています。このままでは制作者へのいわれのない個人攻撃がエスカレートする懸念があります。そうしたことを防ぐためにも、以下の回答文の中に柯徳三さんの発言、蒋松輝さんのメールを紹介しています。このことについては、お二人のご了解を得ています。


一から四の「人間動物園」について回答させていただきます。

番組では、「<b>日本は、会場内にパイワンの人びとの家を造り、その暮らしぶりを見せ物としたのです。 </b>」、「<b>当時イギリスやフランスは、博覧会などで、植民地の人びとを盛んに見せ物にしていました。人を展示する『人間動物園』と呼ばれました。日本は、それをまねたのです</b>」とコメントしています。

イギリスやフランスは、博覧会などで被統治者の日常の起居動作を見せ物にすることを「人間動物園」と呼んでいました。人間を檻の中に入れたり、裸にしたり、鎖でつないだりするということではありません。ブランシャール氏が指摘するように「野蛮で劣った人間を文明化していることを宣伝する場」が人間動物園です。番組は、日本が、イギリスやフランスのこうした考え方や展示の方法をまねたということを伝えたものです。

以下、少し長くなりますが説明させていただきます。

「人間動物園」の起源の一つは、1870年代、野生動物商のドイツ人が、パリやロンドン、ベルリンなど欧州各地の動物園の中で、人間の展示を始めたことにあります。例えば、パリの「JARDIN D'ACCLIMATATION(馴化園)」という動物園では、1870年代から1910年代にかけて、植民地統治下の諸民族を園内で生活させ、その様子を客
(p1)
に見せ、動物園の呼び物としていました。これが、欧州各地で開かれる様々な博覧会で、植民地の諸民族の生活を見せる「人間動物園」につながります。植民地の諸民族の人びとは、博覧会期間中、集落が再現された場所に暮らし、観客はその生活状態を観覧しました。

日本国内では、日英博覧会の7年前、1903年、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会において、「台湾生蕃」や「北海道アイヌ」を一定の区画内に生活させ、その日常生活を見せ物としました。この博覧会の趣意書に「欧米の文明圏で実施していた設備を日本で初めて設ける」とあります。当初、清国や沖縄などの人びとについてもその生活の様子を見せる予定でした。しかし、清国や沖縄から中止を求める強い抗議がおこります。駐在清国公使からは「支那風俗として、支那人の阿片を喫し、及同婦人の纏足せる状態を為さしめ、一般来観者に縦覧せしむるの計画(中略)支那人にとりては、侮辱を蒙りたるの感を惹起候」との報告があり、清国人については開館前に中止になります。また、沖縄でも「台湾の生蕃、北海のアイヌ等とともに本県人を撰みたるは是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり」(琉球新報)として抗議が繰り広げられ、こちらは会期内に中止されます。いわゆる「人類館事件」です。「台湾生蕃」や「北海道アイヌ」については中止されず、こうした展示方法は大正期の「拓殖博覧会」や1910年の「日英博覧会」に引き継がれます。

日英博覧会についての日本政府の公式報告書「日英博覧会事務局事務報告」によれば、会場内でパイワンの人びとが暮らした場所は「台湾土人村」と名付けられています。この「台湾土人村」という表記は、上記報告書の会場地図一覧にあります。「蕃社に模して生蕃の住家を造り、蕃社の情況に擬し、生蕃此の所に生活し、時に相集まりて舞踏したり」と記されています。「台湾日日新報」には次のように記されています。「台湾村の配置は、『台湾生蕃監督事務所』を中心に、12の蕃屋が周りを囲んでいる。家屋ごとに正装したパイワン人が二人いて、午前11時から午後10時20分まで、ずっと座っている。観客は6ペンスを払って、村を観覧することが出来る」。また、「東京朝日新聞」の「日英博たより」(派遣記者・長谷川如是閑)には「台湾村については、観客が動物園へ行ったように小屋を覗いている様子を見ると、これは人道問題である」とあります。

日英博覧会の公式報告書(Commission of the Japan‐British Exhibition)には「台湾が日本の影響下で、人民生活のレベルは原始段階から進んで、一歩一歩近代に近づいてきた」と記されています。イギリス側も、日英博覧会の公式ガイドブックで「我々(イギリス)は、東洋の帝国が”植民地強国”(Colonizing Power)としての尊敬を受ける資格が充分にあることを認める」と記しています。

こうしたことから日英博覧会での「台湾土人村」は、当時イギリスやフランスで言われていた「人間動物園」として位置づけられていたと考えます。
(p2)

なお、番組では日本がこの展示を「人間動物園」と呼んだとはコメントしていません。イギリスやフランスを「真似た」と伝えています。

なお、「再質問状」に、「パイワンの人びとが本人の希望で居住場所を選択できた」という趣旨の記述がありますが、文献のどの言葉からそう判断されたのか、わかりかねます。


五の「改姓名」について回答させていただきます。

インタビューで、黄さんが「<b>改姓名は結局、公務員の方ね、職場についている人は、改姓名すると、昇級の条件になってしまうんです。それで、仕方なしにみな改姓名するんです</b>」と語っています。このインタビューの前に林さんが、「<b>私、林(りん)です。僕のお父さんはね、林(はやし)という名前で改姓名したかった。それ許可出ないんです</b>」と語っています。

そもそも番組では強制的に改姓名を実施したとはコメントしていません。さらに、林さんの「許可が出ない」という発言の後に、黄さんの発言があります。黄さんの「みな」という言葉が「全員に強制する」という意味に誤解されることはないと考えます。

改姓名の数について説明いたします。(なお、以下の記述は、近藤正己「総力戦と台湾」、周婉窈「図説台湾の歴史」などを参考にしています)

台湾の「改姓名」は、「国語(日本語)運動」、「志願兵制度」、「宗教・社会風俗改革」と並ぶ、皇民化運動の大きな柱の一つでした。姓名変更が許可されるのに必要な二大条件は、(1)その家族が「国語常用家庭」であること、(2)「皇国民たる資質があること」でした、そもそも「国語常用家庭」は高学歴階層であり、推計によれば全戸数の1%前後でした。年度別の改姓名件数は、1943年の段階で全戸数の1.69%、全人口の2.06%となっています。この翌年1944年、台湾への徴兵制度施行に合わせて、許可条件は大幅に緩和されましたが、どのくらい改姓名が実現したかというデータは残っていません。戦争後期になると、日本人名を使う人が大量に増加しましたが、戸籍上の変更手続きを経ずに改姓した人も多数いました。例えば台湾人日本兵は、ほとんどが日本式の改姓をもっていて、それを軍中で使用していました。周婉窈教授は「資料が完全でないため、どれほどの人たちが姓名変更したか、現在知る由もない」と記しています。


六に関して回答させていただきます。

柯徳三さんの発言は次の通りです。
「<b>私のいとこ姉さんが、日本人の嫁になって日本へ行ったけどね、戸籍が入らん。ああ。あれが差別、こういうのが差別でしょう。それでずいぶん苦労したの。最後の最後まで台湾人である身分を隠さんといかん</b>」。
(p3)

これは、前回の回答でも申し上げた通り、個人的に受けた差別の事実を述べたものです。個々の家庭の事情ではありますが、台湾の方々にとって決して小さな問題ではなく、この時代を象徴するきわめて重要なできごとだと考えています。この発言をされた柯徳三さんは、取材の過程でもしばしば、「台湾人であることを隠さなければならない」辛さについて語っていらっしゃいます。

柯さんの発言の一例です。「国語家庭という札を外したい。札を吊したら台湾人ということがわかる。日本人の家に国語家庭なんて札はない。(中略)日本統治時代は、台湾人だということをできるだけ隠したい。学校でもそう。社会へ出てもそう。台湾人だということをわからせたくない」


七について回答させていただきます。

番組では次のように伝えています。

「<b>1937年、日中戦争が勃発。台湾統治が新たな局面を迎えることになります。当時台湾には、およそ500万人の漢民族がいました。日本は自らの領土内に、敵と同じ民族を抱え込むことになります。</b>」

以上のような文脈で「およそ500万人の漢民族」と伝えています。先住民族を含めた台湾人全体の人口を述べたものではありません。

なお、「漢民族」という表現について若干補足します。たとえば、1939年に発行された、台湾総督府警務局編「台湾総督府警察沿革誌」第2編「台湾社会運動史」に、「本島人は之等漢民族の系統に属し(中略)、容易に漢民族たるの意識を脱却し得ざるものあるを思はしむ」など「漢民族」という表現があります。

また、日本台湾学会の理事である東京大学の若林正丈教授編著「もっと知りたい台湾」によれば、「台湾の民族は大きく漢民族系のグループと先住民族系のグループに分けることができる。(中略)また漢民族の下位分類である閩南系漢民族、客家系漢民族、それに外省人」とあります。こうした研究者の見解なども参考にして、番組では「漢民族」という表現を使っています。



八について回答させていただきます。

番組では、「<b>1919年、パリ。第一次世界大戦の戦後処理を話し合うパリ講話議会が開かれました。(中略)この時、アメリカ大統領ウイルソンの発言が、世界の植民地に大きな影響を及ぼしていました。</b>」とコメントしています。

ウイルソン大統領が1918年1月に、民族自決や国際連盟の設立などからなる「十四か条の平和原則」を発表したことは承知しています。番組でコメントした「この時」は、民族自決の発言の時ではなく、「大きな影響を及ぼしていた」にかかるものです。

また、先のNHKの回答は「『ウイルソン自身の真意』に疑問を呈している」ものでは
(p4)
ありません。繰り返しになりますが、番組では、民族自決主義という考え方が世界の植民地に大きな影響を与えたという事実を述べたまでです。

「人種差別撤廃決議案」をウイルソン大統領が採択しなかったことに触れなければ「著しく公共放送としての公平性に欠けている」というご指摘ですが、私どもはそう考えません。


九について回答させていただきます。

タイトル映像は、サブリミナル手法とはなんの関係もないものです。

今回の番組のタイトル映像は、「未来を見通す鍵は歴史の中にある」、「世界の連鎖が歴史をつくってきた」というコンセプトに基づき、近現代史の主なできごとや人物に関する写真、絵画、フィルムなどをほぼ年代順に並べ映像化したものです。タイトルの後半部分で、写真が舞い上がる表現がありますが、これは150年の歴史を早送りするイメージで歴史的なできごとや人物の写真を編集したものです。

いわゆるサブリミナル手法とは、本編の内容と関係のない映像を、通常では知覚できない形で挟み込むことにより、本編の内容とは異なる特定の潜在的効果を期待するものとされています。今回のタイトル映像の中に、近現代の歴史と関係のない映像は含まれていません。


十について回答させていただきます。

日本文化チャンネル桜の取材映像(DVD)を拝見しました。

柯徳三さんの担当ディレクターへの言葉は、4月10日の電話のやりとりに関わるものだと思います。放送は4月5日でしたが、柯さんは4月10日の段階では番組の後半部分しかご覧になっていませんでした。

4月10日の電話のやりとりは次の通りです。柯さんから「私のもとにクレームを入れてくる人たちは『NHKの背後に中国政府の意向がある』と言っているが、それは本当ですか」との問いかけがあり、それに対して「そんなことは決してありません」と述べ、さらに柯さんから「あなたは、そのことをクレームを言ってくる人たちに対しても同じ様に言えますか」と問いかけがあったのに対し、「もちろん言えます」と述べたものです。

上述した柯さんとの電話のやりとりについては、「再質問状」を受理した後、柯さんに確認し、「それでよろしいです」という返事をいただいています。

繰り返しになりますが、柯さんがNHKに対して憤っている、という事実はありません。また、NHKは柯徳三さんから抗議を受けていません。今回、「再質問」を受理した後、念のために柯さんに確認したところ、柯さんは「NHKに対して抗議するような気持ちはありません」とおっしゃっています。
(p5)

また取材時、柯徳三さんにはあわせて5時間程度インタビューしています。番組で使用した部分は、柯さんの発言の趣旨を十分に反映していると考えています。未使用の部分のインタビューも含めて5時間全体を繰り返し確認し、番組で使用する部分を決めています。恣意的な編集はありません。

柯さんの5時間のインタビューの大半は、日本の統治に対する厳しい批判です。インフラ整備に対する評価はありますが、すぐに異なる発言になります。たとえば、「インフラ整備とか近代化と言うことは、評価されますか」という質問に対して次のように回答されます。「あれは相当に評価します。もちろん、日本政府が来なかったらこんな発展ない。これはもちろん評価します。ところが、私の考えは、日本政府はここに投下した資本以上に台湾から富を本国に持って行っている。そう考えますよ。いわゆる台湾人民に対する一種の搾取ですね。搾取の形でちゃんと砂糖を生産しては持って行く。(中略)結局、投資した分だけ、ちゃんと持って帰っているんだよ、日本本国に」。

「樟脳、米、砂糖たくさんあるでしょう。ところが日本政府はそれだけ資本を投下したの。嘉南大圳開いたり、八田さんがね。後藤新平のあのときの児玉総督の時代。あのときの建設ね、すごいよ。台北駅、台北鉄道ホテル、台北病院、帝大病院ね。(中略)新公園の博物館。あれなんか後藤新平の時代に建てた。あれだけのものを台湾につくった。悪く解釈すると、台湾人に対する一種の示しでね。日本という国はこんなにすごい国だよ、ということを示したいためにやったのか。それとも本当に資本投下してほんとうに建設やったのか、それはわからない」。一方、教育については、「24歳まで育ててもらった恩というのがある」という表現で感謝の念を表明されています。しかし、中学や高校生活の具体的な話になると、いじめ、差別のエピソードをいくつも時間をかけて語られます。なお、番組の中では教育について次のように伝えています。

「<b>台湾の同化政策で、まず重視されたのが、教育でした。それまで台湾人は、日本人と別々の学校に通っていました。同化政策によって、同じ小学校に通えるようになります。さらに、日本人しか通うことのできなかった中学校への進学も許可されました。かつて、父親が日本人小学校を退学させられた、柯徳三さんです。柯さんは、同化政策によって、日本人と同じ小学校を卒業し、中学校に進学しました。</b>」

柯さんが「恩というのがある」とおっしゃっている教育については、上記のようにコメントで伝えています。

さらに、台北第一中学校の同窓会でのインタビューも、それぞれの方の発言の趣旨を十分反映していると考えています。

台北第一中学校の同窓会の長老的存在である蒋松輝さんからは放送の翌日4月6日、メールをいただいています。「4月5日夜のスペシャル番組を拝見しました。なかなかの出来ばえで、感謝感激に堪えません。厚くお礼を申し上げます。ついでながら、ますますご元気で活躍されますよう祈っております。台北一中、台北三中、基隆中学台
(p6)
湾人同窓会有志一同」。

その後、4月22日になって「ご参考まで」という題名のメールが、蒋松輝さんと藍昭光さんの連名で届きました。「人間動物園」、「台日戦争」、「漢民族」、「中国語」について「別の表現が適切でないか」という趣旨のメールでしたが、その後蒋松輝さんとお話をして、こうした表現についてのNHKの考えを理解していただいています。

このメールが抗議やクレームでないことについては、「再質問状」の受理後あらためて蒋さんに確認しています。なお、蒋松輝さんに対して、「良いほうはみなわかっているから」とか「悪いことだけ今回取り上げる」と言った事実はなく、このことも蒋さんに確認しています。


以上、「再質問状」に対して回答致します。

NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国”」は、日本が最初の植民地とした台湾に近代日本とアジアの原点をさぐり、これから日本がアジアの人々とどう向き合っていけばよいのかを考えようとしたものです。台湾が親日的であるという事実は多くの日本人が認識していることであり、この番組でも伝えています。また、番組では、日本が植民地時代に、台湾において鉄道や港湾などの社会的基盤を整えたことを伝えています。後藤新平が「台湾の宝」である樟脳産業を立て直したこと、そしてこの後藤の改革によって樟脳がイギリスに安定的に供給されるようになり、歓迎されていることも当時のイギリス側の資料で伝えています。さらに、台湾総督府が欧米向けに出版した「台湾十年間の進歩」を紹介し、「台湾歳入」、「内地貿易」の金額が急増したことを伝えています。一方そうした台湾にも、植民地時代の差別、戦争の深い傷が残されているという事実を伝えることが、日本と台湾のさらに強くて深い関係を築いていくことに資すると考えています。


なにとぞご理解いただきますようお願い申し上げます。


平成21年6月9日
日本放送協会 ジャパンプロジェクト
エグゼクティブ・プロデューサー 河野伸洋


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