15年戦争資料 @wiki

コメント欄(戸井田2)

最終更新:

pipopipo555jp

- view
管理者のみ編集可
  • 「4 《東京裁判で復活した「南京虐殺事件」》…16」について
    >占領下の混乱期に何がどうなっているか分からない状況で、矢継ぎ早に一方的情報を出して、日本人が立ち直れないように強力な洗脳政策を実行すると断言していた。

    引用部分に洗脳政策などとは一言も書いていない。


    >仮に中国側が主張するホロコーストに匹敵する「南京大虐殺」が国家による組織的「ホロコースト」であれば、人道上看過できない犯罪として松井大将は「平和に対する罪」と「人道に対する罪」がすべて無罪にはなりえない。
    >この事実は、東京裁判において、「南京大虐殺」が虚構であった事を証明している事になる。

    直前に「訴因五十五項(俘虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反)の一つだけが有罪で処刑されたのである」と書いてある以上、「南京大虐殺」が虚構どころか事実であった証明にしかならないはずだが・・・
    捕虜や一般人に対する条約遵守の責任を果たしていないわけだし。


    「5 《『偕行南京戦史』とは何か》…23」について

    >佐藤博士が問題ないと断定した右(1).(5)の事例は、中国側も当時、戦時国際法違反があったと国際連盟に提訴していない。

    捕虜の処刑が問題ないという法的論拠がまるでない。
    あと、ここでいう「当時」とはいつなのか?戦争中であれば、(1)~(5)の事例のいずれも中国側が正確に知りえるはずもなく、提訴以前の問題。「当時」が戦後を指すのなら、ちゃんと容疑事実として挙がっているので事実に反する。


    「6 《「南京大虐殺」の政治宣伝とは何か》…25」について

    >また、『中国の日本軍』の解説は、中国帰還者連絡会会長の藤田茂氏が寄稿している。藤田茂氏は、一九六五年周恩来首相に招待されて、中帰連会員とともに人民大会堂を訪れている。

    ここの文は意図が不明(というよりあまりにも下劣な印象操作で醜悪極まる)。
    中国を訪れた人間が解説を寄稿したら、その本は信用できなくなるのか?
    周恩来に招待されたら一体なんだというのか?
    藤田茂は元第59師団長で中国側に戦犯として捕らえられ釈放された中では高位の将官であるので、中国との行き来があってもおかしくない。

    もし、このような関係を以て藤田氏が中国側のスパイであるかのように印象付けたいのであるなら人として最低である上に、安倍晋三の祖父・岸信介がアメリカのスパイであることも疑うべきだろう。
    -- (scopedog) 2008-12-23 00:45:32
  • >また、ダイク代将は、占領下を平時でなく、戦時と規定している事で、正確な意味での終戦は、主権を回復した一九五二年四月二十八日という事になる。

    法的に(サンフランシスコ講和条約締結国との間で)戦争が終わったのはたしかにその時をもってしてである、ということができる。そうすれば、東京裁判を平時の刑事裁判と比較するのはあまり意味がなく、むしろ日本軍が戦時中に行なった軍律裁判や軍法会議、さらには裁判抜きでの「処刑」と比較すべきである。果たしてどちらが「よりマシ」な裁判であったか?

    >いずれにしても、南京での「虐殺数」は唐突に一桁増えたのである。

    裁判のための調査、立証活動を無視して38年1月の顧維鈞演説と比較するのはまったくのナンセンス。

    >それは、「南京事件」後四ヶ月間に十一万二千二百六十六人の遺体を処理したという崇善堂の埋葬記録を検察側が加算した結果の犠牲者数である。

    いうまでもないが崇善堂の埋葬記録だけでは2万と20万の差は埋まらない。

    >「南京事件」後四ヶ月間、崇善堂が活動していなかった事は、昭和六十年八月十日付産経新聞が報道した阿羅健一氏のスクープ記事で証明されている。

    南京事件FAQ参照。「1938年2月6日付けで南京市自治委員会に宛てた手紙で「査するに弊堂が埋葬隊長を成立させてから今まで一ヶ月近くたち」とあるので1月から作業をはじめていることがわかる。」

    >この事実だけで、松井大将個人の判決から崇善堂の「約十一万二千人」を引くと犠牲者数は、約マイナス一万二千人になってしまう。

    なぜ「20万人」から引かない?

    >自らかかわった日本人洗脳番組「真相箱」の南京の内容を正当化できる中国人の証言を中心に報道している。

    「真相箱」では「実に婦女子二万名が惨殺された」とされていた、とこの「総括」自身が述べていたのではないか? 朝日新聞は「犠牲者2万人」説を正当化しようとしている、というのか?
    およそ犯罪報道において被害者側の主張に耳を傾けることは当然である。

    >南京攻略戦に上海派遣軍参謀として従軍して、その後一九三八年二月から中支那派遣軍南京特務機関長になって一年間南京に居た大西一大尉が、一番詳細に南京の事を知る立場にあった。

    またしても無根拠な「一番」。岡村寧次が調査させた「宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等」よりもよく知りえたとする根拠は?

    >さらに松井大将は、南京城攻撃を前にして、上海派遣軍と第十軍の末端兵士に対しても訓戒を次のように述べている。

    訓戒したこととそれが守られたかどうか、守られなかった場合に対処したかどうかは別のはなしである。飯沼上海派遣軍参謀長の日記から、上海派遣軍司令官が統制入城などの松井大将の指令を愉快に思っていなかったことがわかる。

    >ところが、松井大将は「平和に対する罪」の訴因三十六項目すべて無罪であった。

    「平和に対する罪」は南京事件のような戦争犯罪には関係がない。軍政畑で要職についていたわけではない松井が「平和に対する罪」で有罪にならなかったのは不自然ではない。

    >仮に中国側が主張するホロコーストに匹敵する「南京大虐殺」が国家による組織的「ホロコースト」であれば

    日独それぞれの国家犯罪・戦争犯罪の「象徴」として南京大虐殺がホロコーストに「匹敵」するということと、犯罪の性格として両者が類似しているかどうかは自ずから別問題である。ホロコーストは自国民(ユダヤ系ドイツ人、身体障害者など)に対する犯罪を含んでいるという点で南京事件とは性格が異なり、後者を裁くには「人道に対する罪」は不可欠ではなかった。

    >この事実は、東京裁判において、「南京大虐殺」が虚構であった事を証明している事になる。

    ならない。単に極東軍事法廷が松井石根を「人道に対する罪」「平和に対する罪」では有罪にしなかった、ということを示すだけである。


    -- (Apeman) 2008-12-23 15:39:55
  • 5 《『偕行南京戦史』とは何か》

    >その編集委員の中に戦場を知らない者が入っていた。

    これは板倉由明サンのことか(笑)

    >このような、戦後のイデオロギーが混入した状況で編集された『偕行南京戦史』は、正式な戦史でない事が明らかで、参考資料の一つ以上のものではない。

    戦後の偕行社が編纂する戦史が「正式な戦史」であるはずは元々ない。他方、「正式な戦史」でないことはそれ自体としては内容の正確さには関係がない。

    >以上、右列記した事例について佐藤博士は、いずれも戦時国際法違反でないと断定し

    「根拠不明」というscopedogさんの指摘への補足として。裁判と歴史記述とでは評価基準が違っているのは当然である。日本語の「虐殺」には必ずしも「非合法な殺人」という意味はない。違法じゃないから虐殺じゃない、という図式自体が本来は自明ではない。


    -- (Apeman) 2008-12-23 15:47:46
  • >ティンパーリーが中国国民党中央宣伝部の顧問だったことは、鈴木明氏が突き止めた。そして、前掲書が国民党の宣伝本だった事は

    井上久士教授の反論を完全に無視している。反論を無視する主張に学術的な価値はない。

    >郭沫若(中日友好協会名誉会長)の推薦文が掲載されている事が物語っている。

    こんなことが「政治的宣伝」である根拠になるのなら、田中正明の著作はすべて「政治的宣伝」になる。


    -- (Apeman) 2008-12-23 15:51:44
  • 7 《「南京大虐殺」の捏造写真について》

    >ところが、「誰が」「いつ」「どこで」撮ったものかわからない写真が「南京大虐殺」の証拠写真として一人歩きしているのが現状である。

    第虐殺があった、と「証明」する段階では写真は重要な役割を果たしていない。

    >また、そのような写真を一つ一つ検証する事は、中国側の策略に踊らされている事になる。

    「一つ一つ検証」しなければ「「誰が」「いつ」「どこで」撮影したものか明らかに出来ない写真」かどうかわからないはずだが?

    -- (Apeman) 2008-12-23 15:54:10
  • >南京問題小委員会は、顧中国代表が国際連盟の「行動を要求」したにもかかわらず国際連盟は、決議案に「日本非難決議」として採択しなかった事を最重要と判断する。

    すでに述べたように、中国代表の演説は決議案が作成された後に行なわれている。

    >南京攻略戦を一番詳細に取材していた両新聞社ですら、特定できない犠牲者数を国会議員が特定する事など不可能である。

    新聞社は戦争被害の報道のために取材していたのではない。「犠牲者数を国会議員が特定する事など不可能」なら黙っていたらどうか?

    >国家間で平和条約を締結後の歴史認識問題は、歴史の専門家の研究に委ねられる事と判断する。

    ならば黙っていてはどうか? そして「歴史の専門家」の研究成果を尊重してはどうか?

    >同小委員会は、一次資料を中心にした検証の結果、南京攻略戦が通常の戦場以上でも以下でもないとの判断をするに至った。

    小委員会は偕行社が明らかにした捕虜殺害を「いずれも戦時国際法違反でない」としているが、捕虜殺害そのものは否定していない。合法・違法は敢えて問わないとして、短期間にこれほど(六六七〇+三〇九六+数千+一六五七+数千)の数の捕虜を殺害した事例が、第二次世界大戦の全戦線を通じてどれだけあるというのか?

    >以上、報道写真の原理原則を満たしていない、日本に関係した写真は、中国が速やかに撤去することで、二十一世紀の真の日中友好親善が推進できるものと判断した。

    個別の検証を行なわずして撤去を要求することが「友好親善」に役立つとは、ずいぶんと虫のいいはなしである。 -- (Apeman) 2008-12-23 16:04:02
  • あと比較的大きな論点としては紅卍字会の12月分の埋葬記録の問題、国民党軍の軍紀の問題、ですかね? 小委員会が御都合主義的にネグっている日本側の文書、証言についても代表的なものを適宜挙げてゆく必要があるでしょう。

    -- (Apeman) 2008-12-23 16:07:20
  • Apemanさん
    書き込みありがとうございます。

    ところで
    >郭沫若(中日友好協会名誉会長)の推薦文が掲載されている事が物語っている。
    こんなことが「政治的宣伝」である根拠になるのなら、田中正明の著作はすべて「政治的宣伝」になる。

    ちょっとよく分かりません。またその前の井上先生の本のことも。説明を加えていただけませんか?

    (なお、自動表示容量を超えた分は「すべてのコメントを見る」をクリックして読んでください。)
    -- (ni0615) 2008-12-23 16:27:20
  • すみません、これもちょっと意味が取れなかったのですが。

    >>新聞社は戦争被害の報道のために取材していたのではない。「犠牲者数を国会議員が特定する事など不可能」なら黙っていたらどうか?
    -- (ni0615) 2008-12-23 16:41:28
  • 小委員会が言いたいのは、本多勝一さんが中国の意に添うようなことを意図的に書いた、その証拠に郭沫若の推薦文がある、ということなのだと思います。一方の当事者たる中国側に「推薦」されたから内容があやしいというのであれば、松井石根と個人的なゆかりがある田中正明の「意図」も勘ぐらねばおかしい、といったことです。

    井上久士さんの「反論」とは『現代歴史学と南京事件』(柏書房)所収の「南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処」のことです。ここで井上教授は、曾虚白の『自伝』にはティンパリーが南京にいて「惨劇」を目撃していた、という誤った記述があることを指摘し、『自伝』の記述が100%正しいわけではないことを示しています。そのうえで、「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」には「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」とあることを指摘しています(東中野が援用しているのは「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作概要」)。また、『戦争とは何か』を書いた時点ではティンパリーは国際宣伝処顧問ではなかった、とも反論されています。

    >新聞社は戦争被害の報道のために取材していたのではない。

    当時の特派員は中国人の戦争被害を報道するために取材していたのではありませんから、朝日や毎日に犠牲者数推定をするに足る資料がなくても当然だ、ということです。あたかも両新聞社が特定の犠牲者数にコミットしていないことをもって、真相の不透明さを印象付けようとしていると判断しましたので。

    >犠牲者数を国会議員が特定する事など不可能

    こちらは
    ・「不可能」と言いつつ、犠牲者は非常に少なかった、ほとんどいなかったと主張しているのは自家撞着。
    というつもりでした。

    -- (Apeman) 2008-12-23 16:51:19
  • Apemanさん どうも
    戸井田君の文章が分かりにくくても仕方有りませんが、Apemanさんの文章が分かりにくいと困ります。
    手短さにおいても分かりやすさにおいてもこちらが勝る必要があります。
    (1)個人的なゆかりがあることが「政治的」とはなりません。中立性がないとはいえるでしょうが。
    (2)井上先生の典拠だけを示します。※、「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」と「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作概要」との違いはわかりません。
    (3)<当時の特派員は中国人の戦争被害を報道するために取材していたのではありませんから、朝日や毎日に犠牲者数推定をするに足る資料がなくても当然だ、ということです。あたかも両新聞社が特定の犠牲者数にコミットしていないことをもって、真相の不透明さを印象付けようとしていると判断しましたので。>
    ごもっともですが、論理学をくししなくては成らない反論はもしかすると逆効果でしょう。ムコウはいやみを言ってるのですから。
    (4)<こちらは ・「不可能」と言いつつ、犠牲者は非常に少なかった、ほとんどいなかったと主張しているのは自家撞着。
    というつもりでした。>これもプロ棋士の「感想戦」みたいでムズです。
    ・・・失礼を申し上げました。


    -- (ni0615) 2008-12-23 17:33:34
  • Apemanさん 
    コメントを急がせた私のせいだと思いますが、文章の補強?をさせていただきました。しかし逆に意味を取り違えてしまったかもしれません。そのさいはお叱りを! -- (ni0615) 2008-12-23 18:48:49
  • いえ、突っ込みどころの多さに煽られてこちらも飛ばしてしまいましたから。
    もちろん、まとめの段階ではもっと丁寧に書きます。まずは突っ込むべきポイントの確認を重視した、と弁解しておきます。
    -- (Apeman) 2008-12-24 14:44:36
目安箱バナー