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「光復、すなわち光が台湾に戻ってきた」

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図説 台湾の歴史
[戦後篇] ポストコロニアルの泥沼

はじめに 「光復、すなわち光が台湾に戻ってきた!」


これが、1945年8月15日、天皇の玉音放送後、直ちに台湾に遍(あまね)く行き渡った新しい事態と状況についての共通の認識であった。「光復」というのは古くからの言葉で、固有のものを回復すること、とりわけ失われた国土の回復を指し、漢文の基礎知識を持つ台湾人からすれぼ一目瞭然、台湾が祖国〔中国〕に復帰したことを意味したのである。しかしながら長く日本教育を受けた若い世代の台湾人は、大多数が漢文を理解できず、「光復」という概念が脳裏になかった。そこで彼らは、世間で鳴り響いている「光復」は、すなわち「降伏」を意味すると勝手に解釈していたのである(「光復」の日本語読みは、kofukuである。「降伏」も同音で、つまり日本の敗北・投降ということになる)。確かに日本は降伏した。しかし、その時すでに、日本植民地統治によって生み出された「世代間の差異」という深刻な事態が現出したのである。「光復」の概念を知らないまま、若い世代は自分たちが
理解するすべのない新時代の到来を熱烈に出迎えたのであった。

瞬く間に時は過ぎ、今年(2005年)の8月15日で、日本の敗戦、台湾の中国への返還からちょうど干支の一巡り(60年)を迎える。つまり出生から還暦に至るのは、一人の人間にとっては、人生の大事な活躍時期を経てきたことであり、慶賀すべきこととして「還暦のお祝い」を行うこともできる。しかしながら社会というものは多くの人から構成されており、彼らの年齢、階層、性別、教育程度、民族(族群)も、各自各様である。国家の慶事は確かに「万民がこぞって共に寿(ことほ)ぐ」ことができることもあるが、
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しかし時には、時の移り変わりの激しさの故に、異なる年齢層の間では生活経験がまったく異なり、その反応にも大きな差異が生じ、まるきり正反対になってしまうこともある。あの60年前に「光復」を熱烈に迎えた台湾の若者たちは、今や数が減りゆく老人世代となっている。さらに10年の年月を重ねれば、世間に彼らの痕跡はほぽ見られなくなってしまうであろう。彼らの体験した歴史も、時の流れとともにはるか彼方へと過ぎ去ってしまう。

しかし人間社会の複雑なところは、異なる世代が同一の時空の中に並存している、あるいはしていたということであり、各世代は相互的に影響し、錯綜しもつれ合っているのである。周知のとおり、「歴史」というものは、ただ単に事件が時間的に配列されたものではなく、それらが互いに時空の中で因果的に影響し合ったものである。今日の台湾は変転極まりなく、さまざまな現象は外部の人には、いや内部の人でさえも、非常に分かりにくいものとなっている。もし、われわれがこの60年の歴史について、大まかな道筋だけを語るとしたら、いったいどのような文脈を選んで話したらよいであろうか? 私の考えでは、まずは二・二八事件については必ず取り上げ、かなりのぺ一ジを割かねばならないだろう。次に、「白色テロ」、「党国教育」、「民主化運動」について語り、最後に異なる2種類の歴史記
憶の格闘を説いて、この戦後の歴史を総括してみたい。「ポストコロニアル」(後植民)、そして「ポスト権威主義体制」(後威権統治)の後遺症も、省察しなけれぼならない主題である。この限られた紙幅において、筆者はいくつかの重要な点を選んで記述するが、このような記述が読者の方々にとってこの期間の特殊な歴史を理解する助けになることを願っている。


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