15年戦争資料 @wiki

coffee氏の質問状とNHKの回答

最終更新:

pipopipo555jp

- view
管理者のみ編集可

coffee氏の質問状とNHKからの回答

coffee氏(右派WEBライター=HN:deliciouscoffee氏として夙に有名)はご自分のブログで、NHKへの質問と回答を公開しています。とても参考になりますので転載します。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee


coffee氏の質問状



「プロジェクトJAPAN」
NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」係

━━━━━━━━━━
拝啓

4月5日放送の『NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」』を拝見しました。
番組の中にあった間違いを指摘させて頂き、疑問点を質問させて頂きますので、番組制作責任者の見解と回答をお願いします。
――――
領有直後から、【漢民族としての伝統や誇りを持つ台湾人】が日本の支配に対して激しい抵抗運動をおこしたのです。

戦いは激しさを増していき、後に【日台戦争(1895年)】と呼ばれる規模へと拡大していきました。
まず、殆どの台湾人は漢民族ではないので、【漢民族としての伝統や誇りを持つ台湾人】という表現は不適切です。

次に、1895年に数ヶ月に及んだ台湾人と日本軍との戦いは「乙未戦争(いつびせんそう)」と言われており、【日台戦争】などと呼ばれることはありません。

そして、乙未戦争の理由は、「清朝の官吏が日清戦争敗北後に台湾割譲を講和条件に提起したことに対する住民の反発を恐れたため、清朝は台湾を放棄した訳でない事を台湾住民にアピールするため反日運動を計画、煽動した」など諸説あります。

台湾人が漢民族としての伝統や誇りを持っていたことが乙未戦争の理由ではないはずです。
これら3点についてNHKは放送で訂正するべきです。

日中戦争勃発
当時、台湾には500万人の漢民族が居ました。
日本は自らの領土内に敵と同じ民族を抱えることになります。
当時の台湾に500万人も漢民族が居たということは有り得ません。
台湾の人口は1895年には260万人でしたが、1945年には650万人に増加しました。
支那事変が勃発した当時は、「500万島民」と言われていたようですので、1937年の台湾の人口は概ね500万人だったかもしれませんが、漢民族は少数民族でしたから漢民族が500万人居たということは有り得ません。

歴史統計学者の沈建徳氏の研究によれば、台湾人の種族的構成は、高山族(高砂族)や平埔族といった台湾原住民が人口の77.4%、漢人との混血16.8%、大陸からの移民は5.8%のみです。

沈建徳氏の統計方法は、オランダ時代以降の自然人口増加率を0.7%、1ヘクタールの耕地で3.3人を養えるという数字を基調として設定、歴代の台湾古典に記録されている戸数、人頭数、税収、政令の変化、清朝政府の賜姓、耕地の開拓拡大の歴史などから綿密な統計数字を算出したものです。

このように沈建徳氏は、統計学の観点から、「台湾の本省人が支那からの移民の子孫とする説は、古文献上の記録の政治的捏造」であることを証明しました。

そして、沈建徳氏の研究成果の正しさは、医学界における住民のDNA調査でも裏付けられました。

2001年、馬偕記念病院輸血医学研究室の林媽利教授らはHLAを調査し、「台湾人は実は漢民族と全く異なる南アジア・越族の子孫である」との研究結果を発表しました。
また、高雄医学院精神内科の論文も、台湾人の血統は88%が漢族とは異なり、南方系人種に属していると述べています。

以上のように、番組で述べた「支那事変勃発当時、台湾には500万人の漢民族が居た。」は、事実と明確に異なるため、NHKは放送で訂正し謝罪すべきです。

皇民化政策、台湾人を強制的に日本人へと変える政策でした。
学校や新聞などで中国語の使用を禁止し、日本語の使用を強要します。
「日本語の使用を強要」という表現は事実を歪めます。

実際に、NHKがインタビューを行った台湾総督府の官僚だった田宮良策さん(98歳)も、「台湾人同士で話すときには平気で話す」と証言していました。

したがって、日本語の使用は教育の場や新聞などに限定されていたわけであり、日常生活では台湾住民のそれぞれの言語を使用していたわけです。

もともと台湾には多くの民族が存在しており、台湾住民同士で言葉が通じないことも多かったため、公用語としての日本語の使用は必要なことでした。

それと、田宮良策さんはインタビューで、「台湾人同士で話すときには平気で話す」と発言したにもかかわらず、NHKは勝手に「台湾人同士で話すときには平気で(中国語を)話す」と、字幕に(中国語を)を挿入しました。

字幕に(台湾語を)と挿入するならともかく、台湾には支那語以外の言語を使う住民が多数存在したのですから(中国語を)と挿入したことは一種の偽造です。

この点についても、NHKは放送で訂正し謝罪すべきです。


最後に、番組全体の論調について質問させてください。

番組では当初日本が行った「特別法による統治」に対しても、また後年になって日本が行なった「同化政策」に対しても、非常に批判的でした。

特別法による統治も駄目、同化政策も駄目、というなら、いったいどうすれば良かったと番組制作者は考えているのでしょうか?

それと、この番組では日本統治非難をする多くの台湾人の発言を取り上げていましたが、日本統治を高く評価する台湾人の方が多数派なのに、どうして少数派である日本批判ばかりを集めて放送したのでしょうか?

率直に申し上げて、かなりの反日偏向番組だという印象を受けました。

以下に、日本統治を高く評価した台湾の人々の証言を紹介しますので参考にして頂ければ幸いです。

――――
台湾・高砂族(現 高山族)のリムイ アベオさん(女性)
「田を作ることを出来なかった台湾人に日本人が全てを指導してくれた。そして、種を撒いたり苗を植えることも、日本人が教育してくれた。」
「だから、日本のために命を投げてくるという決心をした。」

――――
敗戦直後、救援機による満州国皇帝救出作戦に加わった台湾人の邱錦春さん
「作戦参加を今も誇りに思っています」
「救出命令に特別な気持ちはなかったが、機翼の日章旗と尾翼の部隊記号がペンキで塗りつぶされていたのは悲しかった。戦死したら、靖国神社に祭られないのではないかと思った」
「敗戦の最大の悲しみは、日本人から外国人になったこと」

――――
台湾人実業家、蔡焜燦さん
  • 台湾は日本の植民地ではなく内地の延長・領土であった。植民地という言葉は戦後に出てきたものである。
  • 戦前の日本の教育水準は非常に高く、教師達は情熱と愛情を持って台湾に教育を普及させていった。
  • 台湾では、いまでも「日本精神」=リップンチェンシンは、「勤勉で正直で約束を守る」事を意味する。
  • 日本統治時代、台湾籍児童が通う「公学校」と内地籍児童が通う「小学校」の違いは、差別ではなく日本語能力にハンディキャップがあったためであり、日本語が達者な子供は台湾籍であっても「小学校」に通うこともできた。
  • 台湾では創氏改名は許可制であった。また、日本名でなくてもなんの不自由もなかった。
――――

以上、ご回答よろしくお願い申し上げます。



NHKからの回答


●●●●様

いつもNHKの番組やニュースをご覧いただき、ありがとうございます。
お問合せの件についてご連絡いたします。

「殆どの台湾人は漢民族ではない」という指摘ですが、歴史研究においては、「台湾人」の漢人(漢民族)は、大きく3つに分類されます。すなわち、鄭氏政権時代に移ってきた漢人、清朝統治時代に移ってきた漢人、そして国民党統治時代に移ってきた漢人です。通常民族という言葉は、文化的・社会的・言語的共通性を基盤として使用されます。文字として漢語を使用し、福建省や広東省などにルーツをもつ伝統文化を維持している閩南人、客家、外省人は、漢人(漢民族)として位置づけられます。

「日台戦争」については、台湾全島「平定」までに、日本軍だけでも死者は5000人近くのぼっており、日清戦争の死者の過半数に及んでいます。1990年代に、日本の台湾統治の専門家が「日台戦争」と名付け、以後研究者の間では、この表現が使われるようになっています。

「500万人」の漢民族については、当時の台湾総督府が行政文書において「500万の漢民族」という表現を使用しています。

「中国語」については、台湾語は閩南語にきわめて近い言語であり、閩南語は中国語の一方言として位置づけられています。一方台湾には、客家語を話す客家もいます。客家語もまた、中国語の一方言です。

台湾総督府の調査によれば、1930年代に自らを福建系(閩南語)と認識している人はおよそ70パーセント、広東系(客家語)と認識している人は十数パーセントいます。客家は、自らの客家語という言葉を、台湾語と区別して使用しています。ですから、当時の住民が「台湾語を話す」と表現すると、そこには客家語を話す人々が含まれないことになります。

閩南語も客家語も中国語(北京語ではなく)の一方言であること、さらに客家の方々の存在を考え、「中国語を話す」と表現しました。

「反日偏向番組」というご意見についてですが、以下のとおり回答させていただきます。

私たちは今回の番組で、『台湾総督府文書』などの一次史料や、当時のフィルム、証言、専門家への取材などを通じて、いままであまり語られなかった台湾と日本の歴史に正面から向き合い、日本がアジアとどう向き合っていけばよいのか、未来へのヒントを探っていきたいと考えました。

番組では「台湾の人びとは親日的」という捉え方を否定していません。また、日本が植民地時代に台湾において鉄道や港湾などの社会的基盤を整えたこと、樟脳産業が活性化したことなども取り上げています。

番組では、ことさらに「反日的」な面だけを取り上げているわけではありません。事実を伝えること、その事実を共有することが、日本と台湾のさらに強くて深い関係を築いていくことに資すると考えています。以上です。

今後とも、NHKをご支援いただけますようお願いいたします。お便りありがとうございました。

NHKスペシャル
アジアの“一等国”担当者


coffee氏からの再質問


〒150-8001
NHK放送センター
NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」係

━━━━━━━━━━
拝啓

先日は私の質問や指摘に対してご回答頂き、ありがとうございました。
ただ、どうしても納得できないことが幾つかございますので、再度質問と指摘をさせて頂きますのでお手数ではありますが、ご回答よろしくお願い申し上げます。

閩南人、客家、外省人は、漢人(漢民族)として位置づけられます。
そうだとしても、その閩南人、客家、外省人という3種類の漢人(漢民族)が、実は台湾には非常に少ないのです。

2001年、馬偕記念病院輸血医学研究室の林媽利教授や日本赤十字会、東京大学などでHLAの共同研究が行われました。

国際医学朝刊に掲載された研究論文「組織抗原体(HLA)」と、第11回国際HLAフォーラムで発表された「台湾各エスニックグループのHLA分析とその比較研究」によれば、【台湾の閩南人、客家は、実は支那の漢民族とは全く異なる南アジア・越族の子孫である】という結論に至っています。

ここで言う越族とは、現在の支那東南沿岸部や北ベトナムに居住していた民族で、黄河流域発生した漢民族「中原文化」の強勢にあって漢民族に同化された人々です。

台湾人には一族に代々伝わる族譜(家系図)があり、自分たちの祖先を漢民族だと自ら信じてきた点についても、林媽利教授は、【族譜は一部を除いて大部分は本当ではないと言われている。かつて漢民族は他の民族を蛮族と呼んでいた。その時代に自分は漢民族と言い切ることが『生きる道』だった】と説明しています。

また、林媽利教授は、【先住民の平埔族などは今では殆どその存在が分からないが、彼らは閩南人、客家人が台湾に押し寄せた際、自らを「漢人」に同化させなくてはならなかったため見分けが付かなくなった】との分析をしました。

つまり、現在の台湾人の約80%は、実は平埔族や高山族(高砂族)など台湾原住民族の子孫であるが、日本統治以前、平埔族を中心に一部の支那人によって同化させられ、族譜(家系図)まで偽造・捏造して漢民族だと名乗るようになっていた。

そのため、今でも自分の先祖が本当は台湾原住民であるにもかかわらず支那大陸から移住してきた漢民族だと勘違いしている台湾人が多いのです。

台湾人は漢民族ではないと放送で訂正してください。

「日台戦争」については、台湾全島「平定」までに、日本軍だけでも死者は5000人近くのぼっており、日清戦争の死者の過半数に及んでいます。

1895年の台湾平定戦での日本軍の戦死者は、僅か164人に過ぎません。4642人はマラリア等による病死者です。

1990年代に、日本の台湾統治の専門家が「日台戦争」と名付け、以後研究者の間では、この表現が使われるようになっています。

その専門家の名前を教えてください。
また、その後「日台戦争」という表現を使用している研究者とは誰と誰で、合計何人位いるのでしょうか?
そして、現在、学会では「定説」となっているのでしょうか?

「500万人」の漢民族については、当時の台湾総督府が行政文書において「500万の漢民族」という表現を使用しています。

「500万島民」ではなく、「500万の漢民族」で間違いありませんか?
その「行政文書」とは何か具体的に教えてください。
もしも、その行政文書の存在が事実であれば、台湾総督府は間違った認識を持っていたようです。古今東西「行政文書」にも間違った記述が多数あります。
NHKとしては、行政文書の記述が事実と異なれば、放送で取り上げるべきではありません。

「中国語」については、台湾語は閩南語にきわめて近い言語であり、閩南語は中国語の一方言として位置づけられています。一方台湾には、客家語を話す客家もいます。客家語もまた、中国語の一方言です。
閩南語も客家語も中国語(北京語ではなく)の一方言であること、さらに客家の方々の存在を考え、「中国語を話す」と表現しました。


これに関して私が最も言いたかったことは、閩南語も客家語も支那語(北京語ではなく)の一方言かどうかということではありません。

インタビューした元台湾総督府官僚の田宮良策さんは「台湾人同士で話すときには平気で話す」と証言しました。
ところが、番組では勝手に「台湾人同士で話すときには平気で(中国語を)話す」と、字幕に(中国語を)を挿入したことに異議を唱えています。

台湾には支那語以外の言語を使う住民も存在したのですから字幕に勝手に(中国語を)と挿入することは字幕の偽造といえます。
字幕に、(台湾語を)と挿入することが相応しくないと言うなら、(自分の言語を)と挿入するべきでした。

私たちは今回の番組で、『台湾総督府文書』などの一次史料や、当時のフィルム、証言、専門家への取材などを通じて、いままであまり語られなかった台湾と日本の歴史に正面から向き合い、日本がアジアとどう向き合っていけばよいのか、未来へのヒントを探っていきたいと考えました。

まず、証言についてですが、台湾研究フォーラム会長の永山英樹氏によると、柯徳三氏は、番組取材班に、『「都合の悪いところがあればちょん切って」(日本人が不愉快に思うような悪口の部分を切って)と頼んだが、NHKは逆にそれらばかりを取り上げた。』と証言しているそうです。

このことにについて説明願います。

次に、専門家への取材についてです。
番組では1910年の「日英博覧会」で日本が台湾原住民族を「人間動物園」で見世物にしたと述べましたが、これは悪質な偽造です。

「人間動物園」というのは、フランスの歴史学者パスカル・ブランシャールが当時の英国や仏国が行っていたことを述べただけなのに、番組が勝手に日本も同じことをしたと偽造していました。パスカル・ブランシャールは、「日本も台湾原住民を人間動物園で見世物にした」とは述べていません。

そもそも、様々な建物(住居)や風習や踊りなどを披露するのが博覧会です。
1910年の「日英博覧会」には数十人の力士団もロンドンに渡って土俵を造って相撲を披露しましたし、日本人農民も農村風景を描いて米俵製作の実演を披露しました。

日本は、嫌がるパイワン族を無理やりロンドンに連れて行って、檻に入れて踊りを見世物にしたのですか?
力士団や日本人農民と同様に同意を得てロンドンに同行し、踊りなどを披露したのではないのですか?
英国や仏国などは嫌がる植民地人を無理やり連れて行って「人間動物園」で見世物にしたからもしれませんが、日本がパイワン族にしたことは違うのではないですか?
是非とも回答願います。

しかも、NHK取材班は、「日英博覧会」に参加したパイワン族の一人の男性のお子さん達(85歳の息子と79歳の娘の2人)をわざわざ訪ねて行き、何も知らなかったお子さん達に『昔お父さんは、日本によって「人間動物園」で展示されていた』と報告しましたが、この取材に関しては問題ないと考えていますか?


最後に、私は4月15日放送の「チャンネル桜」の番組で知ったのですが、この番組のオープニングでサブリミナル映像が使用されています。
このことについても説明願います。

以上、ご回答よろしくお願い申し上げます。

敬具


〒1●●-0●●● 東京都●●区●●7-●-●
 ●●●●



目安箱バナー