15年戦争資料 @wiki

rabe8月28日

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pipopipo555jp

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《ジョン・ラーべの妻ドーラは、夏の初めに天津の北にある北戴河海水浴場へ避暑に行っており、ラーべも八月末に加わった。そのときの模様を彼は次のように記している》

八月二十八日


(秦皇島を通って北戴河へいくときのこと)
当時秦皇島はすでに日本に征服されていた。高射砲を装備した日本軍の部隊が切れ目なく天津にむかって行進していく。どうやらことは想像以上に深刻らしい!

北戴河は秦皇島から汽車で約一時問。とっくに日本軍に占領されているのだが、ここにいるとあまりそうは思えない。とはいえ、やはりどことなく緊迫した空気が漂っている。帰ろう。私はすぐに上海行きの船を予約しようとした。ところが、「二ヵ月先まで満席です」というではないか。どうしようかと首をひねっているところへ、上海が日本軍に攻撃されたという知らせが入った。とすると、上海は通れない。

私は途方に暮れた。その後南京空爆の知らせ。まちがいない。大変なことになったのだ。いまとなっては天津から芝罘か青島行きの船に乗るしかない。そこから汽車で済南経由で南京へ戻るのだ。一九三七年八月二十八日、私はひそかに妻のドーラに別れを告げた。


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