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名誉毀損の基準をめぐっての戦いの本番はこれからだ 松本藤一

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名誉毀損の基準をめぐっての戦いの本番はこれからだ


弁護士 松本藤一

  沖縄集団冤罪訴訟の控訴審判決は原告(控訴人)側の請求を完全に棄却しました。判決の結果に驚いています。問題点は多岐にわたりますが、特徴的な部分を指摘してみます。裁判所が偏頗した立場で証拠を評価し、争点の判断の回避を図り、土俵際に詰まった被告を勝たせるために裁判基準をずらして、つまり徳俵を移動させて被告を勝たせた判決です。

  第1に証拠の評価の問題です。原審と同様、むしろそれ以上に高裁の証拠の評価は偏頗なものでした。原告側証拠には裁判官の先入感に基づいた差し挟める限りの疑問を指摘しながら、被告側の証拠の決定的に不都合な部分には全く頬冠して無視するという姿勢が一貫しています。隊長の自決命令を主張しながら、自決失敗の後、赤松部隊に治療を受けに行った金城重明の証言を全く無視しています。

  第2に直接の隊長命令の証拠はないとしながら、現時点での部隊長の名誉棄損を否定したことです。発表された当時には、事情が良く分からなかったから、自決命令を出したと非難罵倒された部隊長の名誉棄損は止むを得ないとしました。ここまでは理解できます。しかし、昭和45年の『沖縄ノート』、昭和43年の『太平洋戦争』の出版以来、時間の経過にともない種々の事実が明らかになり、いまや直接の隊長命令があったことを立証することは出来ないとしながら、高裁は現時点での名誉棄損の成否を裁判所に求められても困るというのです。そして敢えていうならば裁判所は、隊長命令があったと主張する言論と、これの否定を主張する言論が議論を戦わせてその結論が明らかにされるべきであって、それこそが言論の自由の価値からして望まれるというのです。これは裁判を求めらながら判断を拒否したものであり、完全に裁判所の逃避です。

  第3に名誉の侵害による損害を著しく低く考えているのです。すなわち、名誉が棄損されているとしても時間が経過していることから梅澤隊長や赤松隊長の弟赤松秀一氏に取り立てて言うほどの名誉感情の侵害や社会的評価の低下等の具体的な不利益をもたらすようなものはないというのです。結局、軍人という公務員であった者の名誉は一般人より低く保護されても仕方がないといのです。

  第4に、このことは最高裁判所の名誉棄損に関する判例を無視して、新たな基準を作ったことになります。最高裁判所は、どれほど繰り返し報道されてもその内容が事実でないものは真実となるものではないこと、報道した事実を真実と誤信しても、誤信したことが止むを得ない場合は相当性があったとして責任を免れるが、そうでない場合は免責されないというものでした。従って、『太平洋戦争』『沖縄ノート』がどれほど多くの報道を基にしてもその真実相当性については、評価する時点に立った真実相当性が判断されるべきです。昭和45年と43年に出版されれたものに対する評価は、現在では十分に可能です。ところが前述のとおり裁判所は歴史的事実についは言論の自由の中で決着を付けるべきだとして判断を放棄したのです。当然に裁判例に反しており上告理由となります。

  最後に、裁判所は保守的な立場から名誉回復を図る動きを認めたくない。このような動きで裁判を求めるものには勝たせるわけにはいかないという結論を最初から持っていると思われることです。ノーベル賞作家と岩波書店を負かすことに戦いているのです。大勢の流れの中で、どこに立てば有利かを判断して判決をだしているのです。

  裁判所が国民の裁判を受ける権利を否定するような判決を出すことは、裁判所の逃避であり、その偏った判決を正さなければなりません。我々は平成20年11月11日最高裁判所に上告しました。名誉棄損の基準を巡っての戦いの本番はこれからです。

  今後とも宜しくご支援の程をお願いします。                  


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