[教科書検定]審議公開の原則を作れ



 文部科学省自ら「改善」と呼ぶ方策も、中身をみると「密室審議」という批判をかわすための小手先の修正、とのそしりを免れないのではないか。沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の教科書記述をめぐる検定手続きが問題化したことを受け、文科省が示した「教科書検定手続きの具体的改善方策」のことだ。

 検定の実質的な権限を握るといわれる文科省の教科書調査官は氏名や職歴、担当教科などを公表し、調査官が示した意見は検定終了後に公開するとしている。

 教科書検定審議会はこれまで通り非公開とし、検定終了後に議事のおおまかな概要を公開する。詳しい議事録は作成しないという。

 二〇〇六年度の教科書検定で高校日本史教科書から沖縄戦の「集団自決」について旧日本軍の強制を示す記述が削除された。審議は内容が明らかにされないことから「ブラックボックス」と称される。

 〇七年三月に問題が明らかになって以来、今回の措置は文科省からの「回答」といえるものだが、透明性が高まったと自賛するにはあまりに不十分ではないだろうか。

 検定審の詳しい議事録は作成もせず、公表するのは概要だけで、しかも、検定終了後なのだ。

 検定終了後に間違った検定意見が付いたと判明した場合、どう訂正、修正するのか。教科書会社からの訂正申請の道があるとしても「後の祭り」ではないか。実際、文科省は沖縄側が求めている検定意見の撤回と強制を示す記述の回復には手を付けていない。

 検定意見が誤った場合、その誤りをただすような制度が担保されない限り、とても「改善」とは呼べない。

 「集団自決」の問題も検定が終わった後に結論が明らかにされたからだ。今後も起きる可能性は消えない。

 「静かな審議環境と透明性向上という相反する二つが両立するには、これが着地点じゃないですか」。文科省幹部は今回の措置について自らこう弁護する。文科省の立場は、透明性の向上と静かな環境での審議を両立させることだ。

 「静かな審議環境」とは何か。これを強調しすぎると、逆に密室審議を助長させることになるのではないか。

 教科書の作成過程を検定終了後ではなく、その都度、素早く国民の前にオープンにしながらつくっていくことは決して悪いことではないはずだ。

 むしろ、透明性を高める点では必要なのではないだろうか。そういう意味では、今回の事後の方策はとても十分だとはいえない。

 教科書は子どもたちが学び、成長していく上で、欠かすことのできない大切なものの一つといっていいだろう。

 政治が教科書に介入したり、政府が教育内容を統制したりしてはならないのは大原則だ。戦前の国定教科書を思い起こせば分かる。

 戦後の日本の民主教育はこれを原点にスタートした。その時々の政権の思惑によって歴史教育がゆがめられてはならないのはいうまでもない。