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(原)第3・4(2)ウ(エ) 座間味村の公式見解と控訴人梅澤の対応について

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(2)控訴人らの主張
第3・4(2)ウ 座間味島について

(原)第3・4(2)ウ(エ) 座間味村の公式見解と控訴人梅澤の対応について

(判決本文p73~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。



a (「鉄の暴風」の記述にかんして)*


(a) (座間味村の虚偽回答は当然である)*


  被控訴人らは, 座間味村に対する照会に対し, 宮村盛永など多くの証言者から, 自決命令があった旨の回答があった旨主張する。しかし, 宮村盛永らの証言したとする内容は沖縄県史等に記録されておらず, また, 昭和63年当時も, 援護法による遺族給付を継続し, 過去の受給についても違法と評価されることを避けるため, 控訴人梅澤が自決命令を出したという事実を維持する必要があったから, 座間味村が公式見解として控訴人梅澤による自決命令があったという真実に反する回答をしたのも当然である。

(b) (沖縄タイムス社の応答について)*


  控訴人梅澤は, 沖縄タイムス社に対し, 昭和60年12月10日, 控訴人梅澤が自決命令を出したとする記事の訂正と謝罪を要求した(甲B27)。これに対し, 沖縄タイムス社の牧志伸宏は, 「事の是非を究明し, 貴殿の要求事項についてのご返事を差し上げたい」との回答をした。

  その後, 沖縄タイムス社は, 態度を一変させ, 座間味村が集団自決は軍命令によるものであるとしていると主張した上, 控訴人梅澤に対し, 以後沖縄タイムス社に対し謝罪要求をしないことを内容とする書面(甲B29)を示し, 押印するよう求めてきた。

  これに対し, 控訴人梅澤が強く非難したところ, 沖縄タイムス社は, 結局, 控訴人梅澤が自決命令を出したのではないことを認め, 謝罪したが, 謝罪文の提出については即答を避けた。

b (宮村盛永の「自叙伝」について)*


  被控訴人らは, 宮村盛永の「自叙伝」(乙28)に控訴人梅澤の自決命令があったことを示す記述があると主張する。

  しかし, 宮村盛永の「自叙伝」には, 控訴人梅澤の自決命令は記載されておらず, 逆に, 宮村盛永が一族とともに玉砕する覚悟を固めていく過程が生々しく記載されている。すなわち,
「明くれば二四日午前九時からグラマン機は益々猛威を振い日中は外に出る事は不可能であった。敵の上陸寸前である事に恐怖を感じながら, 此の調子だと今明日中に家族全減するのも時間の問題であると考へたので, せめて部落に居る盛秀夫婦, 直, 春子らと共に部落の近辺で玉砕するのがましではないかと, 家族に相談したら皆賛成であった。」

「二五日まで間断なく空襲, 砲撃は敢行され座間味の山は殆んど焼き尽し, 住居も又一軒づつ焼かれてゆく姿に, ただ茫然とするばかりであった。丁度午前九時頃, 直が一人でやって来て
『お父さん敵は既に屋嘉比島に上陸した。明日は愈々座間味に上陸するから村の近い処で軍と共に家族全員玉砕しようではないか。』
と持ちかけたので皆同意して早速部落まで夜の道を急いだ。途中機銃弾は頭をかすめてピュンピュン風を切る音がしたが, 皆無神経のようになって何の恐怖も抱かず壕まで来た。早速盛秀が来て家族の事を尋ねた。その時
『今晩忠魂碑前で皆玉砕せよとの命令があるから着物を着換へて集合しなさい』
との事であったので, 早速組合の壕に行ったら満員で中に入ることは出来なかったが, いつの間に壕に入ったか政子, 英樹, 邦子, ヒロ子の姿が判らなくなった。」
との記載がある。

  この文章から明らかなように, 玉砕する方がましではないかと言い出したのは宮村盛永であり, 相談した家族は皆賛成している。つまり, 玉砕が, 軍の命令によらないで住民の自然な発意によって提起されたことがはっきり表れている。


c (沖縄タイムス社に対する梅澤発言について)*


  また, 被控訴人らは, 第3・4(1)イ(ウ)aのとおり, 控訴人梅澤が沖縄タイムス社が示した座間味村の公式見解を受け入れたと主張するが, 控訴人梅澤は, 沖縄タイムス社が座間味村の公式見解を盾に手応えのない返答を延々と繰り返したため, やむなく矛を収める趣旨で彼告ら引用の発言をしたにすぎない。


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