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第3の4(1)ア 背景事情

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(1)被控訴人らの主張

第3の4(1)ア 背景事情

(判決本文p35~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。



(ア) (海上挺進戦隊配備と総動員体制)*


  前第2・2のとおり, 慶良間列島には,昭和19年月, 陸軍海上挺進戦隊が配備され, 座間味島に控訴人梅澤が隊長を務める第一戦隊, 阿嘉島・慶留間島に野田義彦(以下「野田隊長」という。)が隊長を務める第二戦隊, 渡嘉敷島に赤松大尉が隊長を務める第三戦隊が駐留した。昭和20年3月の米軍進攻当時, 慶良間列島の守備隊はこれらの戦隊のみであつた。

  これらの戦隊は, 住民に対し, 住居の提供, 陣地の構築, 物資の運搬, 食糧の供出・生産, 炊事その他の雑役等を指示するとともに, 住民の住居に兵士を同居させ, さらには住民の一部を軍の防衛隊に編入した(乙9・685ないし702頁, 甲B5・181頁以下)。また, 軍は, 村の行政組織を軍の指揮下に組み込み, 全権を握り, 住民に対し, 軍への協カを, 防衛隊長, 村長, 助役, 兵事主任などを通じて命令した(甲B5・215頁)。このように, 軍官民共生共死の一体化による総動員体制が構築されていた。

(イ)(村と住民側の態勢)*


  座間味村では, 防衛隊長兼兵事主任の宮里盛秀助役(以下「盛秀助役」という。)が, 伝令役の防衛隊員であり役場職員である宮平恵達を通じて軍の命令を住民に伝達していた(甲B5・96, 212, 215頁)。

  渡嘉敷村では, 村長の古波蔵惟好(以下「古波蔵村長」という。), 防衛隊長の屋比久孟祥, 兵事主任の富山真順(以下「富山兵事主任」という。)らが軍の命令を住民に伝達していた(乙10・6頁, 乙13・196, 197頁)。

  兵事主任は, 徴兵事務を扱う専任の役場職員であるが, 軍の命令を住民に伝達する重要な立場にあった(乙13・197頁)。

  また, 防衛隊は, 陸軍防衛召集規則に基づいて防衛召集された隊員からなる軍の部隊そのものであり, 沖縄では, 昭和20年1月から3月の沖縄戦にかけて大々的な防衛召集がなされ, 17歳から45歳の男子が召集の対象とされた(乙11・138ないし142頁)。

  したがって, 兵事主任や防衛隊長の指示・命令は,軍の指示・命令そのものであった。

(ウ)(軍官民共生共死、玉砕と捕虜の禁止)*


  沖縄の日本軍は,玉砕することを方針としており, 軍官民共生共死の一体化の総動員体制のもと, 動員された住民に対しても,捕虜となることを許さず, 玉砕を強いていた。

  座間味島では, 昭和17年1月から, 太平洋戦争開始記念日である毎月8日の「大詔奉戴日」に, 忠魂碑前に住民が集められ,君が代を歌い, 開戦の詔勅を読み上げ, 戦死者の英霊を讃える儀式を行った。住民は, 日本軍や村長・助役(防衛隊長兼兵事主在)らから, 戦時下の日本国民としてのあるぺき心得を教えられ, 「鬼畜である米兵に捕まると, 女は強姦され, 男は八つ裂きにされて殺される。その前に玉砕すぺし。jと指示されていた(甲B5・97,98頁)。

(エ)(隊長による自決命令)*


  阿嘉島では, 野田隊長による自決命令があったが, これと, 上記の軍官民共生共死の一体化の総動員体制を併せ考えると, 後記のとおり, 控訴人梅澤による自決命令及び赤松大尉による自決命令もあったというべきである。




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