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(原)第3の1(2)被控訴人らの主張

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(原)第3の1(2)被控訴人らの主張

(判決本文p30~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。


ア 沖縄ノートの各記述は控訴人梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するものではないこと


(ア)(特定する記述はない)*

  沖縄ノートの各記述には, 座間味島の守備隊長が自決命令を出したとの記述も控訴人梅澤を特定する記述もなく, また, 渡嘉敷島の守備隊長が自決命令を出したとの記述も赤松大尉を特定する記述もない。

  一般読者の普通の注章と読み方を基準とした場合, 沖縄ノートの各記述が控訴人梅澤及び赤松大尉についてのものと認識されることはない。

(イ)(一般読者の普通の読み方では控訴人の記事だと認識できない)*

  前記東京地裁平成15年9月5日判決は, 一般に販売されている雑誌による名誉毀損の成否が争われた事件について, 「(省略)特定人に対し, 雑誌記事よる名誉毀損の不法行為が成立するためには, 当該記事の記載事実が当該特定人に関するものであるという関係が認められることが必要である。そして, 当該記事が匿名記事であるときは, 当該特定人に関する一定の情報に照らして判断したときに, 匿名であってもなお当該特定人について記載したものと認められてはじめて, 氏名を公表して書かれた記事と同様に名誉毀損成立の対象となりうるというべきである。そして, 上記一定の情報とは, 当該記事を掲載した雑誌が一般雑誌として販売されている場合には, 一般の読者が社会生活の中で通常有する知識や認識を基準として, その範囲内にある情報であることが必要と解すべきである。」と判示し, ある表現が誰に関してなされたものであるかは「一般読者の普通の注意と読み方」を基準とすべきであると判断した最高裁昭和31年判決と同様の判断をした。

  また, 前記前橋地裁高崎支部平成10年3月26日判決は, 表現の特定性について, 「(省略)新聞記事が特定人の名誉を毀損するものというためには, 一般の読者が, 一般的な知識をもとに当該記事を読んだ場合に, それ自体から, その記事中の人物が, 氏名までは不明であっても, どのような特定の人物であるかが認識しうる程度の記事内容であることを要するものというべきところ, 本件記事はこのような意味での特定性を欠いており, 一般読者においてこれが原告についての記事であると認識することは不可能であるというぺきである。」と判示し, 最高裁昭和31年判決と同様の基準を用いて判断した。


イ 控訴人らの主張に対する反論


(ア)(表現の特定性と名誉毀損性は一体のものである)*

  控訴人らは, 最高裁昭和31年判決が示す「一般読者の普通の注意と読み方」という墓準は名誉毀損性の有無に係る基準であって同定可能性に関する基準ではないと主張し, 被控訴人らが, 表現の「名誉毀損性」と, 表現の「匿名性」ないし「同定可能性」及び表現の「公然性」という異なる3つの次元の事柄を混同していると主張する。

  しかし, 当該表現が誰に関するものであるかは, まさに表現が他人の名誉を毀損するかという名誉毀損性の問題であって, 表現が誰に関する者であるかを一般読者の普通の注意と読み方によって判断すぺきであるとする主張には, 何の混同もない。

  名誉を毀損するというのは, 人の社会的評価を傷つけることに外ならないのであり, 人の社会的評価が低下するというのは, 表現の対象者を評価する外部の者による当該人物に対する社会的評価が低下するということである。ある表現が誰かの社会的評価を低下させるか否かは, その「誰か」が特定されなけれぱ, 当該表現に接した者にとって, 表現の対象者の社会的評価が低下することはあり得ない。つまり, ある表現が他人の名誉を毀損するか(社会的評価を低下させるか)を判断する際, その表現が誰に関してなされたものかという表現の特定性の問題と, その表現が人の社会的評価を低下させるかという名誉毀損性の問題は, 切り離して判断することは不可能であり。両者は一体のものである。

  したがって, 表現の特定性と名誉毀損性は同一の基準で判断されなければならない。

  また, 被控訴人らは, 沖縄ノートの各記述が公然性を欠くなどとは主張していない。


(イ)(渡嘉敷島の守備隊長が赤松大尉であることはあまり知られてない)*

  控訴人らは, 赤松大尉が自決命令を下したとの著作物が出版され。赤松大尉が渡嘉敷島の慰霊察に出席しようとして沖縄県民の反対運動にあったことが報道されたことをもって, 多くの国民が, 渡嘉敷島の元守備隊長が赤松大尉であるということを認織していたと認めることができ, それが一般の読者の客観的な認識の水準となっていたと解されると主張する。

  しかし, 渡嘉敷島の集団自決命令に関して赤松大尉の実名を記載した著作物が広く国民に読まれていたわけではなく, 全国紙で報道された事実もない。

  したがって, 渡嘉敷島の集団自決命令について記述した著作物が複数発行されていたとしても, 渡嘉敷島の守備隊長が赤松大尉であることが国民の多くに認識されたとはいえず, 渡嘉敷島の守備隊長が赤松大尉であるという認識が一般読者の客観的水準となつていたとは到底いえない。

  沖縄ノートの発行当時に匿名性が実質的に失われていたとする控訴人らの主張は誤りである。


(ウ)(知財高裁判決は一般的ではない)*

  控訴人らが引用する前記知財高裁平成17年11月21日判決は, 引用された書籍に人物を特定する記載がある場合に, 引用した書籍の人物を特定しない記述について特定人に対する名誉毀損が成立することを一般的に認めたものではない。




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