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(原)ウ(隊長命令説は援護法以前から)

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読める控訴審判決「集団自決」
事案及び理由
第3 当裁判所の判断
5 真実性ないし真実相当性について(その1)
【原判決の引用】
(原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について
(原)(3) 援護法の適用問題について

ウ(隊長命令説は援護法以前から)*

(判決本文p187~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。

  前記認定事実によれば, 昭和27年4月30日に公布された援護法が米軍の占領下にあった沖縄に適用されることとなったのは昭和28年3月26日であること,その後,琉球政府社会局に援護課が設置され,沖縄戦の実態調査が行われたこと,集団自決が戦闘参加者に該当することが決定されたのは昭和32年であること, 隊長の命令がなくても戦闘参加者に該当すると認定された自決の例もあったことが認められ, また, 前記(2)ア(ア)で認定した事実並びに証拠(乙2,35の1及び2)によれば,援護法が公布された昭和27年4月30日より以前の昭和25年に発行された「鉄の暴風」に, 控訴人梅澤及び赤松大尉が住民に自決命令を出した旨の記述があリ, その内容も具体的に記載されていること, 昭和20年に作成された米軍の「慶良間列島作戦報告書」には,
「尋問された民間人たちは, 3月21日に,日本兵が,慶留間の島民に対して,山中に隠れ,米軍が上陸してきたときは自決せよと命じたとくり返し語っている」
との記述があり, 座間味村の状況について,
「明らかに,民間人たちは捕らわれないために自決するように指導(勧告)されていた」
との記述があること(この林教授の訳について控訴人が疑義を呈しているけれども,後記第4・5(4)エのとおり,控訴人らの主張するとおりに「慶良間列島作戦報告書」の該当部分を訳したとしても,軍が住民に自決を勧めていた事実は十分に認められる。)が認められる。

  これらの事実に照らすと,梅澤命令説及び赤松命令説は,沖縄において援護法の適用が意識される以前から具体的な内容をともなって存在していたことが認められるから,援護法適用のために捏造されたものであるとする主張には疑問が生ずる採用できない。また, 前記のとおり,隊長の命令がなくても戦闘参加者に該当すると認定された自決の例もあったことが認められるなど, 日本軍がその作戦に様々な形で住民を協カさせ, 軍と行動を共にさせるなどして集団自決などの悲惨な結果を招いていることは沖縄戦全体の特徴として厚生省の現地調査の結果でも知られておリ, 上記のとおり戦闘に協カした住民を広く準軍属として処遇することになっていたのであるから, 梅澤命令説及び赤松命令説を後日になってあえて握造する必要があったのか直ちには肯定しとはにわかに考え難い。


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