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g 「沖縄戦ショウダウン」(平成8年)上原正稔著(2ha)
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読める控訴審判決「集団自決」
事案及び理由
第3 当裁判所の判断
5 真実性ないし真実相当性について(その1)
【原判決の引用】
(原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について
(原)(2) 集団自決に関する文献等
事案及び理由
第3 当裁判所の判断
5 真実性ないし真実相当性について(その1)
【原判決の引用】
(原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について
(原)(2) 集団自決に関する文献等
- イ 渡嘉敷島について
- (イ)(赤松命令説を否定等する文献)
赤松命令説について否定し, 又はその存在の推認を妨げる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。
g 「沖縄戦ショウダウン」(平成8年)上原正稔著(2ha)
(判決本文p180~)
- (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。
「沖縄戦ショウダウン」は, 平成8年6月1日から13回にわたって沖縄の地元紙である琉球新報に連載されていた上原正稔のコラムである。 このコラムでは, 米軍第77歩兵師団の兵士であったグレン・シアレスが語ったものを上原正稔が翻訳して掲載しているほか, 渡嘉敷島の集団自決についての上原正稔の見解が述ぺられている。
「沖縄戦ショウダウン」には, 上原正稔の記載した注の中で, 金城武徳や大城良平, 安里巡査が, 赤松大尉について, 立派な人だった, 食料の半分を住民に分けてくれた, 村の人で赤松大尉のことを悪く言う者はいないなどと語ったことを記載し, 援護法が集団自決に適用されるためには軍の自決命令が不可欠だったから赤松大尉は一切の釈明をせず世を去ったと記載している。 取材源は明示していないものの, 連載の5回目には, 昭和20年3月28日の
「タ刻, 古波蔵村長が立ち上がり, 宮城遥拝の儀式を始めた。 北に向かって一礼し,『これから天皇陛下のため, 御国のため, 潔く死のう』と話した。『天身陛下万歳!』と皆, 両手を上げて斉唱した」
ことが記述されている(甲B44)。
(引用者注) 「沖縄戦ショウダウン」の評価は、判決文「集団自決に関する文献等の評価について」の当該項参照。
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