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h 前記「沖縄県史 第10巻」(2ha)

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読める控訴審判決「集団自決」
事案及び理由
第3 当裁判所の判断
5 真実性ないし真実相当性について(その1)
【原判決の引用】
(原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について
(原)(2) 集団自決に関する文献等
  • イ 渡嘉敷島について
    • (ア)(赤松命令説記載文献

  赤松命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。

h 前記「沖縄県史 第10巻」(2ha)

(判決本文p170~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。


(a)(解説文の記述)*


  「沖縄県史 第10巻」には,
「上陸に先立ち, 赤松隊長は,
『住民は西山陣地北方の盆地に集合せよ』
と, 当時赴任したばかりの安里喜順巡査を通じて命令した。 安里巡査は防衛隊員の手を借りて, 自家の壕にたてこもる村民を集めては, 西山陣地に送り出していた。」

「西山陣地に村民はたどり着くと, 赤松隊長は村民を陣地外に撤去するよう厳命していた。」

「陣地に配備されていた防衛隊員二十数人が現われ、手榴弾を配り出した。 自決をしようというのである。」

「村長, 校長, 兵事主任ら村のリーダーらが集って, 相談ごとをしていた。 そこで誰云うとなしに 『天皇陛下万才』 を三唱したり, 『海行かば』 を斉唱したりして, それがこだまするのだが, すぐ砲撃にかき消されていた。 その時, 渡嘉敷の人たちの間から炸裂音がした。 それにつられて, 村民らは一斉に手榴弾のビンを抜いて, 信管をパカパカたたいていた。 肉片がとび散り, 山谷はたちまち血潮で彩どられていた。 しかし, 発火した手榴弾はそう多くはなかった。 生き残っては大変と, 手榴弾を分解して, 火薬を喰ぺている者もいた。 とうとう, 死ねない者たちは, 鍬や棒でお互い同士なぐり合い, 殺し合っていた。 男たちは, 妻子や親を殺し, 親戚の者にも手をつけていた。 そのために, 男手のある家族の被害は一番大きい。 身内の者を片づけると, 自分自身は立木に首を吊った。」
との記述がある(乙9・689,690頁)。


(b)(渡嘉敷村長の証言)*


  渡嘉敷村長であった米田惟好は, 「沖縄県史 第10巻」に掲載された「渡嘉敷村長の証言」に,
「安里喜順巡査が恩納川原に来て, 今着いたばかりの人たちに, 赤松の命令で, 村民は全員, 直ちに, 陣地の裏側の盆地に集合するようにと, いうことであった。 盆地はかん木に覆われていたが, 身を隠す所ではないはずだと思ったが, 命令とあらぱと, 私は村民をせかせて, 盆地へ行った。」

「盆地へ着くと, 村民はわいわい騒いでいた。 集団自決はその時始まった。 防衛隊員の持って来た手榴弾があちこちで爆発していた。 安里喜順巡査は私たちから離れて, 三〇メートルくらいの所のくぼみから, 私たちをじ一っと見ていた。
『貴方も一緒に… この際, 生きられる見込みはなくなった』
と私は誘った。
『いや, 私はこの状況を赤松隊長に報告しなけれぱならないので自決は出来ません』
といっていた。 私の意識は, はっきりしていた。」

「二, 三○名の防衛隊員がどうして一度に持ち場を離れて, 盆地に村民と合流したか。 集団脱走なのか。 防衛隊員の持って来た手榴弾が, 直接自決にむすびついているだけに, 問題が残る。 私自身手榴弾を, 防衛隊員の手から渡されていた。(※)
と記載している(乙9・768,769頁)。

  • ※(引用者注)この米田(旧姓古波蔵)村長の疑問を解く鍵と思われる記述が、1970年『海上挺進第三戦隊陣中日誌の3月28日の項にある。
    <<  2、一四〇〇陣地の北の谷に避難していた住民陣地内に崩れ込む、住民の異様なる叫び声阿鼻叫喚の中へ。北方の敵陣地より迫撃砲攻撃を受く、戦隊長防召兵を以て之を鎮めしむ。   >>
    防召兵=防衛召集兵=防衛隊員は戦隊長の指揮のもとに動いていた。


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