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3 名誉毀損の成否の基準等について

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3 名誉毀損の成否の基準等について

(判決本文p118~)


  この点については, 前項の[B]に係わる考察を付加して一部の判断を改めるほかは, おおむね原判決が「事実及び理由」の「第4 当裁判所の判断」の1において説示するとおりである。

  そこで, これを以下に引用し, それを補正する形式で当裁判所の判断を示すこととする。(引用の方式については10頁に示した方式により, 当裁判所が付加しあるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示する。)

【原判決の引用】


  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。

第4・1 名誉毀損の成否の基準等について


(1) <名誉侵害と人格権としての名誉権に基づく差止請求>
  本件は, 冒頭で指摘したとおり, 本件各書籍により控訴人梅澤及び赤松大尉が太平洋戦争後期に座間味島, 渡嘉敷島の住民に集団自決を命じ, 住民を多数死なせながら自らは生き延びたという虚偽の事実を摘示され, 控訴人梅澤及び赤松大尉の社会的評価を著しく低下させられ, その名誉を毀損され, その人格権や敬愛追慕の情を内容とする人格権を侵害されたとして, 損害賠償及び本件各書籍の出版の差し止め等を求める訴訟である。

  人の品性, 徳行, 名声, 信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害された者は, 損害賠償又は名誉回復のための処分を求めることができるほか, 人格権としての名誉権に基づき, 加害者に対し, 現に行われている侵害行為を排除し, 又は将来生ずぺき侵害を予防するため, 侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である(最高裁昭和61年6月11同大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)。

(2) <名誉毀損を理由とする損害賠償請求>
  そこで, まず名誉毀損を理由とする損害賠償請求について検討するに, 事実を摘示しての名誉毀損にあっては, その行為が公共の利害に関する事実に係り, かつ, その目的がもっぱら公益を図るものである場合に, 摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があったときには, その行為には違法性がなく, 仮にその事実が真実であることの証明がなくても, 行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば, その故意又は過失が否定され, 不法行為は成立し拒いものと解するのが相当である(最高裁昭和41年6月23日第1小法廷判決・民集20巻5号1118頁参照)。 もっとも, 書籍の執筆, 出版を含む表現行為一般について公益を図ることが唯一の動機であることが必要であるとすることは, 実際上困難であるから, ここにいう「その目的がもっぱら公益を図るものである場合」というのは, 書籍の執筆, 出版について, 他の目的を有することを完全に排除することを意味するのではなく, その主要な動機が公益を図る目的であれぱ足りると解するのが相当である。

  また, ある書籍中の記述が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは, 当該記述についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すぺきである(最高裁昭和31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁参照)。

(3) <意見ないし論評による名誉毀損>
  第2・2(3)イのとおり, 沖縄ノートの各記述中には, 事実を基礎とした意見ないし論評にわたる部分が存在している。

  ところで, 公然と事実を摘示した場合に限定する刑法230条1項の名誉毀損罪と異なり, 民事上の名誉毀損は, 人の品性, 徳行, 名声, 信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を違法に低下させることによって成立するものであり, 侵害の手段は格別限定されないから, 意見ないし論評によっても, 民事上の名誉毀損は, 成立し得る。

  そして, ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては, その行為が公共の利害に関する事実に係り, かつ, その目的がもっぱら公益を図ることにあった場合に, その意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには, 人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り, その行為は違法性を欠くものというぺきである(最高裁昭和62年4月24日第2小法廷判決・民集41巻3号490頁参照)。そして, 仮にその意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときにも, 行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば, その故意又は過失が否定され, 不法行為は成立しないものと解するのが相当である(最高裁平成9年9月9日第3小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。

  したがって, 沖縄ノートの各記述中の事実を基礎とした意見ないし論評にわたる部分については, まず, その部分が公共の利害に関する事実に係り, かつ, その目的がもっぱら公益を図ることにあったこと及びその意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であること若しくは真実相当性の証明があったかどうかを判断することになるが, この点は, 名誉毀損を理由とする損害賠償請求の要件と重なる面がある。そして, これが認められた場合には, さらに人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものであるか否かを検討することとなる。

(3-2) <出版等の継続についての損害賠償請求>
  さらに, 本件では, 一審判決で真実性の証明がないとされた後の出版等の継続についての損害賠償請求がなされているが, 同請求は, 次の(4)の後段で検討する出版等の継続が不法行為を構成する場合において認められるものと解される。

(4) <名誉毀損を理由とする本件各書籍の出版等の差止めの要件>

  次に名誉毀損を理由とする侵害行為の差止めとしての本件各書籍の出版等差止めの要件について検討する。

  人格権としての名誉権に墓づく出版物の印刷, 製本, 販売, 頒布等の事前差止めは, その出版物が公務員又は公職選挙の侯補者に対する評価, 批判等に関するものである場合には, 原則として許されず, その表現内容が真実でないか又はもっぱら公益を図る目的のものでないことが明白であって。かつ, 被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときに限り, 例外的に許される(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)。

  本件では, 既に出版され, 公表されている書籍の出版等差止めを求めるものであるから, 表現行為の事前差止めに関する以上の要件のうち, 損害発生に係る要件は, 「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときに」限定する必要はなく, 被害者が重大な損害を被っていると評価されれば足りるものと解される。が, 表現の自由, とリわけ公共的事項に関する表現の自由の持つ憲法上の価値の重要性等に鑑み, 原則として同様に解すぺきものである。さらに, 本件のように, 高度な公共の利害に関する事実に係り, かつ, もっぱら公益を図る目的で出版された書籍について, 発刊当時はその記述に真実性や真実相当性が認められ, 長年にわたって出版を継続してきたところ, 新しい資料の出現によリその真実性等が揺らいだというような掲合にあっては, 直ちにそれだけで, 当該記述を改めない限りそのままの形で当該書籍の出版を継統することが違法になると解することは相当でない。そうでなければ, 著者は, 過去の著作物についても常に新しい資料の出現に意を払い, 記述の真実性について再考し続けなけれぱならないということになるし, 名誉侵害を主張する者は新しい資料の出現毎に争いを蒸し返せることにもなる。著者に対する将来にわたるそのような負担は, 結局は言論を萎縮させることにつながるおそれがある。また, 特に公共の利害に深く関わる事柄については, 本来, 事実についてその時点の資料に基づくある主張がなされ, それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ, 更にそこで深められた諭点について新たな資料が探索されて再批判が繰り返されるなどして, その時代の大方の意見が形成され, さらにその大方の意見自体が時代を超えて再批判されてゆくというような過程をたどるものであり, そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。特に, 公務負に関する事実についてはその必要性が大きい。そうだとすると, 仮に後の資料からみて誤リとみなされる主張も, 言論の場において無価値なものであるとはいえず, これに対する寛容さこそが, 自由な言論の発展を保障するものといえる。したがって, 新しい資料の出現によりある記述の真実性が揺らいだからといって, 直ちにそれだけで, 当該記述を含む書籍の出版の継続が違法になると解するのは相当でない。もっとも, そのような場合にも, [1]新たな資料等によリ当該記述の内容が真実でないことが明白になり, 他方で, [2]当該記述を含む書籍の発行により名誉等を侵書された者がその後も重大な不利益を受け続けているなどの事情があリ, [3]当該書籍をそのまま発行し続けることが, 先のような観点や出版の自由などとの関係などを考え合わせたとしても社会的な許容の限度を超えると判断されるような場合があり得るのであって, このような段階に至ったときには, 当該書籍の出版をそのまま継続することは, 不法行葛を構成すると共に, 差止めの対象にもなると解するのが相当である。

  そして, 本件で問題になっているのは, 第2・2(1)アのとおり, 太平洋戦争後期に座間味島で第一戦隊長として行動した控訴人梅澤及び渡嘉敷島で第三戦隊長として行動した赤松大尉が, 太平洋戦争後期に座間味島, 渡嘉敷島の住民に集団自決を命じたか否かであって, 控訴人梅澤及び赤松大尉は日本国憲法下における公務員に相当する地位にあり各記述は高度な公共の利害に係り, 後述のようにもっぱら公益を図る目的のものであるから, 本件各書籍の出版の差止め等は, 少なくとも, [1]その表現内容が真実でないか又はもっぱら公益を図る目的のものでないことが明白であって, かつ, [2]被害者が重大な損害を被っているとき不利益を受け続けているときに限って認められると解するのが相当である。

  この要件を名誉毀損を理由とする損害賠償請求のそれと比較した場合, 真実性が認められないことが求められたり主張, 立証責任の観点からも, 控訴人らに責任が加重されていると考えられるのであって, 名誉毀損を理由とする損害賠償請求が認められない場合に, 名誉毀損を理由とする侵害行為の差止めとしての本件各書籍の出版差止めが認められる余地は存しない。

  したがって, 以下の争点についての判断に際しては, まず名誉毀損を理由とする損害賠償請求の成否についての判断を示し, それが認められる場合に, 名誉毀損を理由とする侵害行為の差止めとしての本件各書籍の出版差止めの要件について検討を進めることとする。

(5) <敬愛追慕の情を内容とする人格権の侵害による損害賠償請求>
  控訴人赤松は, 第2・2(1)アのとおり, 赤松大尉の弟であり, 本件請求は, 赤松大尉の名誉が本件各書籍により侵害され, これにより控訴人赤松の赤松大尉に対する敬愛追慕の情を内容とする人格権を侵害されたことを理由とする。

  ところで, 死者に対する敬愛追慕の情を内容とする人格権を侵害されたことを理由とする損害賠償請求について, その要件が名誉毀損を理由とする損害賠償請求より加重されるか否かについては, 原, 被控訴人らが第3・7で裁判例を引用するなどして主張するとおり, 見解の対立があり, 「比較的広く知られ, かつ, 何が真実かを巡って論争を呼ぶような歴史的事実に関する表現行為について, 当該行為(故人の生前の行為に関する事実摘示又は論評)が故人に対する遺族の敬愛追慕の情を違法に侵害する不法行為に該当するものというためには, その前提として, 少なくとも, 故人の社会的評価を低下させることとなる摘示事実又は論評若しくはその基礎事実の重要な部分が全くの虚偽であることを要するものと解するのが相当であり, その上で, 当該行為の属性及びこれがされた状況(時, 場所, 方法等)などを総合的に考慮し, 当該行為が故人の遺族の敬愛追慕の情を受忍しがたい程度に害するものといい得る場合に, 当該行為についての不法行為の成立を認めるのが相当である。」と判示した東京高裁平成18年5月24日判決(乙27)のように, これを加重する見解も存している。

  しかしながら, 死者に対する敬愛追慕の情を内容とする人格権を侵害されたことを理由とする損害賠償請求について, その要件が名誉毀損を理由とする損害賠償請求より軽減されるとする見解は存しないし, これを軽減すぺき法的根拠は見出し難いから, それが軽減されるとは解されない。したがって, 以下においては, まず赤松大尉に関する記述についても, 通常の名誉毀損を理由とする損害賠償請求に関する要件を検討し, それが認められる揚合に, さらに死者に対する敬愛追慕の情を内容とする人格権を侵害されたことを理由とする損害賠償請求の要件について検討を進めることとする。もとより, 赤松大尉に関する記述について, 通常の名誉毀損を理由とする損害賠償請求に関する要件を充足しない場合には, 死者に対する敬愛追慕の情を内容とする人格権を侵害されたことを理由とする損害賠償請求の要件について検討を進める必要がないことは, 以上の判示から明らかである。

(6) <歴史的事実の認定>
  本件で問題となっているのは, 太平洋戦争後期に発生した座間味島, 渡嘉敷島における住民の集団自決であり, それは, 第2・2(2)のとおり, 昭和20年3月26日から同月28日にかけて発生したものであって, 後記第4・5(6)のとおり, 歴史の教科書に採り上げられるような歴史的事実に関わるものであって, 既に発生から60年を超える年月が経過していることから, 当裁判所に顕著な平均余命を考えると, 赤松大尉を含め, 関係者の多くが既に死亡しているものと認められる。

  一方, 第2・2(3)のとおり, 家永三郎著の「太平洋戦争」は, 昭和42年2月14日に発行され, その改訂版である「太平洋戦争 第二版」は昭和61年11月7日に発行され, 本件書籍(1)は, 平成14年7月16日に文庫化されたものである。また, 沖縄ノートについても, 第2・2(3)のとおり, 昭和45年9月21日には既に発行されているのであって, 控訴人ら及び赤松大尉が本件各書籍若しくはその前身である書籍に関して司法的救済を求めることは, 昭和45年には可能であったと認められる。

 本件で問題となっている太平洋戦争後期に発生した座間味島, 渡嘉敷島における住民の集団自決に, 控訴人梅澤及び赤松大尉が関わったか否かについての実態の調査には, 以上のとおり, 既に時聞の壁が存するといわざるを得ないし, 当裁判所には, 当事者双方が提出し, 若しくは申請した書証, 証人の取調べに判断の資料が限定されるという司法的な限界も存するのであって, 当裁判所の行う事実の存否の解明には, こうした限界があることを指摘せざるを得ない。

  もとより当裁判所としては, 
  このような歴史的事実の認定については, 多くの文献, 史料の検討評価が重要な要素とならざるを得ず, また, その当時の社会組織や国民教育, 時代の風潮, 庶民一般の思考や価値観, 日本軍の組織や行動規範など多くの社会的な背景事情を基礎として, 多様な史料を多角的に比較, 分析, 評価して, 事実を解明してゆくことが必裏となる。それらは, 本来, 歴史研究の課題であって, 多くの専門家によるそれぞれの歴史認識に基づく様々な見解が学問の場において論議され, 研究され蓄積されて言論の場に提供されていくぺきものである。司法にこれを求め, 仮にも「有権的な」判断を期待するとすれぱ, いささか, 場違いなことであるといわざるを得ない。

  しかし, もとより, 裁判所は, 控訴人らに具体的な権利の侵害があればその救済を使命とするものであって, 前記歴史的事実の存否の解明それ自体が目的ではなく, これまで判示した損害賠償請求いとしても, 必妥な限度ではこれに触れて, これまで判示した損害賠償請求や差止め請求等の要件へのあてはめを立証責任を踏まえて判断することになる。してゆくことになる。その際, 真実相当性の有無の判断に際しては, 集団自決を体験したとする座間味島, 渡嘉敷島の住民の供述やそうした記載を掲載している諸文献が重要な意味を有することは明らかである。

  しかしながら, 先に判示したとおり, 集団自決が発生して相当時日が経過し, 関係者の多くが既に死亡していると考えられることから, 集団自決を体験したと供述し, 諸文献に記載されている座間味島, 渡嘉敷島の住民やそうした記載を掲載している諸文献の作者に対して反対尋問権を行使し得ず, その弾劾ができない場合に遭遇せざるを得ない。このことは, そうした諸文献の重要性に鑑みると, 控訴人らに不利益な側面を有しているといわざるを得ないが, それは控訴人ら及び赤松大尉が本件各書籍に関して司法的救済を求めることが遅滞したことに起因するものといわざるを得ない。

(7) <結び>
  以上, 種々指摘した点を踏まえて, 各争点について検討を加えることとする。(原判決95頁10行目~101頁9行目)



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