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「沖縄集団自決、高裁判決を疑う」

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「沖縄集団自決、高裁判決を疑う」

2008年11月13日 桜井よしこ

『週刊新潮』’08年11月13日号
日本ルネッサンス 第337回


第二次世界大戦末期の沖縄、座間味島で、守備隊の梅澤裕隊長は住民に集団自決を命じたのか。大江健三郎氏は、著書『沖縄ノート』で、渡嘉敷・座間味両島での集団自決は日本軍、つまり隊長命令によるものだと断定的に書いたが、それは真実なのか。梅澤氏らが、事実は全く逆であり、大江氏の記述は真実ではないと訴えた裁判は、10月31日、大阪高裁でまたもや請求を棄却された。

大阪高裁は、梅澤隊長らが「直接住民に命令したという事実に限れば、その有無は断定できず、真実性の証明があるとはいえない」とする一方で、「集団自決が両隊長の命令によることは戦後間もないころから両島で言われてきた。書籍出版のころ、梅澤命令説、赤松命令説は学会の通説で、各記述は真実と信ずるに相当な理由があった」とも述べた。

判決はさらに、「その後、資料で両隊長の直接的な自決命令は真実性が揺らいだ。しかし、各記述や前提の事実が真実でないと明白になったとまではいえ」ないとして、これからも内容を訂正することなく『沖縄ノート』の出版を継続することを認めた。

右の高裁判決に目立つのは深刻な論理矛盾である。裁判所では通じても、世の中に通用しない曲がった理屈である。常識的に考えて納得し難いのは、大阪高裁は、大江氏が断罪した梅澤隊長の集団自決命令は、真実性が証明されていないとしながら、では、一体、何が真実だったのかについて、真実を知る努力を、十分にしていないことだ。

昭和20年3月25日夜、座間味村の幹部5人が、壕のなかに梅澤隊長を訪ね、集団自決するから爆薬や手榴弾、毒薬を貰いたいと懇願した。対する梅澤隊長の対応について、大阪高裁は「玉砕方針自体を否定することなく、ただ帰したと認めるほかない」と断じた。

梅澤氏は、この点について繰り返し語っている。氏は住民らにこう言ったと主張する。
「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り、日本を守るためじゃないか」「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」と。

無視された新証言

大阪高裁は判決で「直接的な自決命令は真実性が揺らいだ」と認めながらも、梅澤隊長が繰り返す「自決するでない」と命じたとの右の主張は採用出来ないというのだ。なぜ、採用出来ないのかは明らかではない。さらに控訴審に提出された、梅澤発言を補強する新たな住民の供述も「虚言」だとして切り捨てた。

何が真実かを知るためには、新証言にも耳を傾ける必要がある。しかも、控訴審に出されたこの新証言は、大江氏の主張や記述を根底から否定するほどの内容である。

証言者は宮平秀幸氏。当時15歳、日本軍の伝令だった。昭和20年3月25日、村人たちが梅澤隊長を訪ねた夜、彼は梅澤隊長のすぐ側で、一連のやりとりを聞いていた。宮平氏が語っている。

「(村の助役が)『明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい』『すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている』などと言って梅澤少佐に自決用の弾薬や手榴弾、毒薬などの提供を求めた」

「梅澤少佐は『そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ(住民を)自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ』と命じた」

宮平氏の記憶では、押し問答は約30分も続いた。最後に梅澤隊長が「おれの言うことが聞けないのか」と言って、弾薬類の提供を強く拒否したというのだ(『産経新聞』2008年2月23日)。

宮平氏の証言は前述した梅澤隊長の証言とほぼ重なる内容である。

自決するつもりで忠魂碑の前に集合した住民を、村長は已むなく解散させた。一夜明けた翌3月26日未明、宮平氏の家族7人は、梅澤隊長指揮下の整備中隊の壕に行き、自決出来なかったことを報告したという。すると中隊長の中尉は、「死に急ぐことはない。1人でも多く生き残るべきだ」と語り、保管していた玄米、乾パン、乾燥梅干しなどを宮平氏一家に与えたそうだ。

宮平氏は、「これらの事実を話す機会がなかったが、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと考えた」と語っている。

〝通説〟として逃げた司法

当夜の会話について残されているもうひとつの当事者の証言は宮城初枝氏の手記である。彼女は3月25日夜、梅澤隊長に会いに行った村の代表、5人の内の1人だった。彼女は手記で、その夜、梅澤隊長は「今晩は一応お帰りください。お帰りください」と言ったと記している。

実際に自決するから弾薬がほしいと、梅澤隊長に頼みに行った本人の証言である。ここで明らかなのは、少なくとも梅澤隊長は弾薬も毒薬も渡さなかった、無論、自決命令も出してはいなかったということだ。

宮城初枝氏は、戦後、国の恩給や援助を受けるために、村人たちと厚生省(当時)の話し合いで、沖縄の人々の自決は軍命によるものだ、とすることになった、自分も座間味での厚生省の調査で梅澤隊長が命令したと偽りの証言をしたと言って、梅澤氏に謝罪した人物である。

こうした証言に虚心坦懐に耳を傾けることによってのみ、真実は少しずつ明らかになってくる。真実に近づくための一連の努力もせずに、司法が十分にその機能を果たし、責任を全うし、社会正義を実現することは困難であろう。

この裁判が決定的におかしいのは、争点がぼけてしまったことだ。本来は、守備隊長が住民に集団自決を命じたか否かが争点だったはずだ。

各種証言は「ノー」と告げている。裁判所も「(命令の)有無は断定できない」「真実性の証明はあるとはいえない」、つまり「ない」とした。にも拘らず、大阪高裁は、隊長の命令だったというのは当時の通説だったとして逃げている。通説だから、梅澤隊長らの名誉は毀損されていないという論理だ。

ここで思い出すのは、かつて論争された、「従軍慰安婦」の強制連行問題である。一連の調査資料は、政府や軍による強制連行を否定していた。しかし、『朝日新聞』などは、問われているのは強制ではなく時代の「強制性」だとして、論理をスリ替えた。それと全く同じスリ替えが行われている。

このような裁判官に日本の司法を任せていてはならない。その想いが不完全で頼りない面もある裁判員制度に、私が賛成するゆえんである。


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