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9 本件各書籍の出版等の継続について

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読める控訴審判決「集団自決」
事案及び理由
第3 当裁判所の判断

9 本件各書籍の出版等の継続について

(判決本文p269~)


(1) 出版等の継続と不法行為の成否


  先に名誉毀損の成否の基準等(第3の3)に関して, 引用する原判決の説示を改めるかたちで述べたとおり(原判決第4・1(3-2), (4), 本判決121頁), 本件のように高度な公共の利害に関する事実に係り, もっぱら公益を図る目的でなされた記述について, 発刊当時はその記述に真実性又は真実相当性が認められ, 当該記述を含む書籍の出版は不法行為に当たらないものとして長年にわたって版を重ねてきたところ, 新しい資料の出現によりその真実性が覆り, あるいは真実相当性の判断が揺らいだというような場合に, 直ちにそれだけで, 当該記述を改めない限りその書籍の出版を継続することが違法になると解することは相当ではない。先に述ぺたとおり, (1)新たな資料等により当該記述の内容が真実でないことが明白になり, (2)当該記述を含む書籍の発行により名誉を侵害された者がその後も重大な不利益を受け続けているなどの事情があり, (3)当該書籍をそのままの形で出版し続けることが出版の自由等との関係などを考え合わせても社会的な許容の限度を超えると判断される場合に限って不法行為の成立が認められると解すぺきである。

  そして, 「太平洋戦争」は太平洋戦争に関する歴史研究書であり, 「沖縄ノート」は沖縄の核付き返還が社会問題となっていた時代に昭和44年1月から45年4月までの間に執筆された評論を纏めたもので本件記述もその中で沖縄の集団自決に触れたものであり, いずれも高度な公共の利害に関する事実に係り, かつ, もっぱら公益を図る目的で出版されたものと認められる。また, 「太平洋戦争」の著者が平成14年に既に死亡している事実は広く知られており,「沖縄ノート」も各章毎に記述した年月が付記されていて, いずれも, その出版当時の著者の認識を記載した書籍として, 長く出版が続けられ,世代を超えて読み継がれているものである。そして, 控訴人らは, 本件各書籍の出版当時に本件各記述について真実相当性があったこと自体は積極的に争わず, 昭和48年の「ある神話の背景」や平成12年の「母の遺したもの」などの出版などにより本件各記述が真実でないことが明らかになったとして, その後(正確には原判決第3の5(2)のとおり)の出版等の継続を不法行為に当たると主張するのである。そこで, 上記基準に従って不法行為の成立要件について検討する。

(2) 真実でないことが明白になったとの要件について


  この点は, 先に7項において検討したとおりであり、 控訴人らの言う「直接命令」について, 本件証拠上はその有無を断定するには至らないといわざるを得ない。そうだとすると, 「直接命令」が真実でないことが明白になったとまではいえないから, 既にこの点で, 出版等継続の不法行為性は認められないことになる。

  なお, 先に真実性及び真実相当性を検討した際には,名誉侵害との関係で証明の対象を「直接命令」とするのが相当であるとして検討したのであるが, 仮に出版後40年近くたった現在の時点において本件各記述の真実性及び真実相当性を問題にするとすれば, 戦後60年以上を経て一般の読者の沖縄戦ないしは集団自決についての関心の内容も, 前提知識も大きく変化しているのであるから, 改めて本件各記述の読まれ方を検討してみる必要がある。すなわち, 本件各書籍の各著者の意図は, 当初から, ある隊長の直接命令を摘示してその個人を告発するところなどにはなく, 戦争における人間性の破壊の事実としての日本軍の隊長の命令を記述し(「太平洋戦争」), 沖縄の犠牲の上に立つ本土の日本人の姿を明瞭に表す隊長の沖縄返還問題さなかでの沖縄訪問などを論評すること(「沖縄ノート」)にあることは, その書籍全体の論旨からも明らかである。本件各記述の摘示の内容や論評の前提となった事実は, 前述の区分でいえぱ, むしろ, 評価としての軍命令であり, 評価としての軍命令の責任者としての日本軍の部隊長であるともいえるのである。他方, 沖縄戦の研究者はもとより一般読者の理解も, 現在においては, 多くは, 集団自決の問題は特定の隊長のその場における直接命令の有無などにあるのではないという認識にたち, 本件各記述から集団自決をある特定の個人の責任のように理解しその個人を非難するのはむしろ誤りであると捉えられてきていると思われる(甲B74)。そうだとすると, 現時点においては, 名誉毀損にかかる真実性や真実相当性の証明の対象は「評価たる軍命令」あるいはその責任者であると解することもできなくはないが, 「評価たる軍命令」の有無はまさに評価であるがゆえに, その当否の判断は, 本来は歴史学の課題として研究と言論の場においてこそ論じられるべきものである。また, 出版継続の不法行為の成否について先のような基準を取るならぱ, 現時点における真実相当性の判断により結論が直接左右されるものでもない。そこで, 当裁判所は, 現時点において本件各書籍を購読する一般の読者に予想される本件各記述の読まれ方の変化は, 次に検討する, 本件各記述が現在において控訴人梅澤や赤松大尉の社会的な評価としての名誉に及ぼす影響の程度の変化の問題としてこれを取り上げるのが相当であると考える。

(3)本件各書籍の出版継続による控訴人らの不利益について


ア(不利益の程度について)*

  次に, 本件各記述を含む本件各書籍の出版等の継続によって生ずる控訴人らの不利益の程度について検討する。

  前述のように, 戦後60年以上を経て, 沖縄の集団自決については, それをある特定の隊長のその場における無慈悲直接命令に帰するのではなく, 総体としての日本軍の集団自決への関与, 強制と誘導の問題として捉え, 他の様々な要因と併せてその実態を直視するべきであるとの認識が一般化している(甲B5, 37, 74, 91, 104資料1の3頁以下, 同38頁以下, 154)。先に見た教科書検定の日本史小委員会の意見も, 記述訂正を承認された各教科書の記述もそのような認識を前提としているといえる。そうすると, 仮に隊長命令が個人名を伴つて摘示されていても, それ自体がその個人を非難の対象としているものと受け止められるおそれは低くなっているといえる。また, 一般の読者にとっては, 半世紀以上前の出来事の記述から当該個人を特定する資料も乏しくなっており, 行為者個人に対する関心もなくなっていると考えられる。控訴人らを特定して知り得る周囲の者にとっても, 本件書籍出版後に明らかになった多くめ資料等をも合わせて, 本件各記述を時代的に限られた資料に基づくものとして批判的に評価検討することができる状況が生まれている。このような長い時の経過による状況の変化により, 本件各記述によって, 控訴人らの社会的な評価としての名誉が侵害される具体的な可能性は, 一般的に見ても大幅に低下しているものと認められる。

イ(梅澤:放置しても足りる程度か)*

  他方, 証拠(甲B1, B5, B14, 27, 乙22, 42, 43の1・2, 116, 控訴人梅澤本人)によれば, 控訴人梅澤は, 昭和33年ころの週刊紙による個人攻撃等に苦しみ, 名誉回復を強く念顧するとともに, 昭和63年ころまでは「鉄の暴風」(乙2)や「沖縄県史第10巻」(乙9)の記述についての訂正等を求める行動をとっていたが, 昭和63年に沖縄タイムスに対してもうこの問題は一切やめるなどと宣言して, その後は17年近く, 特段の行動をとっていない。被控訴人らに対しては元々何らの抗議や申入れもしていない。そして, 「沖縄史料編集所紀要」(甲B14)に控訴人梅澤の手記である「戦斗記録」が収録され, 「沖縄県史第10巻」について事実上の訂正がなされたことや, 平成12年には「母の遺したもの」(甲B5)が出版され, 控訴人梅澤からすれぱ隊長命令(直接命令)のなかったことが公に明らかになったと考えて, 個人の名誉の問題についてはそれなりに納得したものと認められる。控訴人梅澤は, 官城晴美に対する昭和55年12月21日付け書簡の中では「村の方々の集団自決は当時の実情の如何を不問私以下軍側の影響力が甚大であり当時軍を代表する者として全く申し訳なき次第であります。」(乙66)と率直に記述しており, 評価としての軍命令までを否定する考えはなかったものと推認できる。本件各書籍はその後も出版されて版を重ねており, 控訴人梅澤が, 送られた初枝のノート(甲B32)や沖縄史料編集一所紀要11号(甲B14)あるいは宮村幸延の「証言」(甲B8)等の新しい資料を提示して本件各記述について被控訴人岩波書店に申入れをすること等は, 極めて容易であったと考えられるが, 控訴人梅澤が当時本件各書籍の記述を問題にした形跡は全くない。本件訴訟の提起も, 控訴人赤松が提訴の意思を固めるまで消極的であり, 「沖縄ノート」も提訴後に読んだというのである。そうすると, 遅くとも平成12年ころ以降は, 本件各書籍の出版継続や本件各記述は, 控訴人梅澤にとって取り立てていうほどの名誉感情の侵害や社会的評価の低下等の具体的な不利益をもたらすようなものではなくなっていたものと推認される。それは, 不本意ながらもあきらめていたというよりは, 既に新たな史料により汚名が雪がれたというそれなりの納得と時の経過や世間の関心の低下がもたらした, 状況の客観的な変化であるというべきである。そのような状況の客観的な変化を背景に, 本件各記述は,控訴人梅澤本人にとっては,個人の名誉に関するかぎり, もはや放置しておけば足りる程度の違法性しか有しないものと判断されていたものと認められる。

ウ(赤松遺族:敬愛追慕の情をとりたてて害せず)*

  また, 証拠(甲B2, B18, B20, B79, B80, 控訴人赤松本人)によれぱ, 赤松大尉及びその家族や親族らにとっても, 「鉄の暴風」に始まる自決命令の記述や昭和45年ころの週刊紙による個人攻撃などは, 多くの苦しみをもたらし, 前示のように長女佐藤加代子も「鉄の暴風」を読み息が止まるほどのショックを受け, 「沖縄ノートjの厳しい論評を怖いと感じ, また, 一時は父親を詰問するなどのこともあった(甲B80)。しかし, まもなく, 昭和48年には「ある神話の背景」が出版され, これが関係者の間で高く評価されたことにより, 本人及び家族やその周囲の者も, これによって赤松大尉の名誉は回復されたと安心した。そして, 昭和61年に版を改めた「太平洋戦争」の第2版からは, 赤松自決命令(直接命令)自体が削除され, 日本軍としての責任を問うかたちに修正された。「鉄の暴風」や, 長女が怖いとまで感じた「沖縄ノート」の各記述はそのままでその後も刷を重ねていたが, 赤松大尉やその親族らはそのことには格別関心を抱かず, 赤松大尉は昭和55年に死亡し, 遺族らもその後も出版社に対する申入れなどは全くしていない。赤松大尉も, 「潮」昭和46年11月号所収の手記の中では, 
「『住民を自決から救えなかった手抜かり』は, 私もじゅうぶんに責任を感ずるところである。ほんとうに申しわけないと思っている。」
「島の方々に対しては, 心から哀悼の意をささげるとともに, 私が意識したにせよ, しないにせよ, 海上挺進隊隊長としての『存在』じたいが, ひとつの強大な力として, 住民の方々の心に強く押しかぶさっていたことはいなめない, このことを, 旧軍人として心から反省するにやぶさかではない…。」
と率直に書いており(甲B2), 凄惨な集団自決を目の当たりにした部隊長として, 評価としての軍命令までを否定する考えは無かったものと推認できる。控訴人赤松も, 「神話の背景」により既に結着はついたことと考えており, その後, 周囲からの非難もなく, 「沖縄ノート」も赤松大尉に関係する部分のみを拾い読みしただけであつた。

  そうすると, 昭和48年ころ以降は, 赤松大尉にとっても, その死後はその遺族にとっても, 本件各記述自体はもはや赤松大尉の社会的評価や敬愛追慕の情を取り立てていうほどに害するものではなく, 放置しておけぱ足りる程度のものになっていたものと推認される。 それは, 控訴人梅澤の場合と同様に, 不本意ながらもあきらめていたというよりは, 既に新たな史料により事実は明らかになっているというそれなりの納得と旧軍人としての率直な反省及び時の経過や世間の関心の低下がもたらした, 客観的な状況の変化であるというぺきである。 そのような客観的な状況の変化等により, 本件各記述は, 赤松大尉の遺族にとっても, 個人の名誉に関する限りでは, もはや取り立てて取り上げるほどの痛痒をもたらさないものになっていたことを意味するといえる。


工(「読んで苦痛」と人格権の侵害とは違う)*

  そうだとすれば, 何故に, 控訴人らが両名ともに, 今, 突然本件各記述によってその社会的評価や故人に対する敬愛追慕の情を著しく侵害されていると感ずるようになり, 本件提訴にまで及んだのかが問題となる。この点は, いずれも知人から日本史の教科書にまで集団自決が同本軍の命令によると書かれ権威ある書籍にも述ぺられているなどと教えられたからであるというのであるが, 先に具体的に示したような各教科書の記述が, 訂正の前後を間わず, 控訴人らの名誉や故人への敬愛追慕の情を侵害するものとは到底いえない。そこに記述されているのは, 個人の特定を伴わない「評価たる軍命令」であり, 個人の人格権の保護を根拠に, またその名の下に, これらの記述の変更を意図し集団自決の歴史を正しく伝えんとすることには, やはり無理があるといわざるを得ない。 たしかに, 赤松大尉の遺族にとって, 現在でも, 沖縄ノートの厳しい論評を読み返すことは, 心に苦痛をもたらすことに変わりはないとしても, それは主観的な感情の問題であって, 人格権自体の侵害にはあたらない。人がその人格的価値について社会から受ける客観的評価としての名誉は, 憲法上保護される重要な人格権であるが, 本件各記述を含む本件各書籍の出版の継続によって, 控訴人らが, 現実に, かかる意味での人格権に関して重大な不利益を受け続けているとは, 本件証拠上認められないのである。


オ(苦情の申し入れすら行っていない)*

  また, 控訴人らは, 昭和49年7月の第5刷(『沖縄ノート」)あるいは平成14年の文庫化(「太平洋戦争」)以降の本件各書籍の出版等の継続についても不法行為に当たると主張するのであるが, 提訴に至るまで, 控訴人らは, 被控訴人らに対し本件各記述について何らの苦情の申入れもしていない。本件提訴に当たっても, 何らの交渉も試みていない。それは, 先に見たとおり社会的評価の低下について現実に重大な不利益がなかったということでもあろうが, 著者らの立場からすると, 当時の通説に基づくものとして初めは真実性が問題とされるとともなかった本件各記述について, その内容を新しい資料に基づいて再検討するなどの機会もなかったものといわざるを得ず, 控訴人らからはこれに関する故意過失についての具体的な主張もない。 本件提訴に至るまでの本件各書籍の出版継続については, 以上の点からしても, 不法行為の成立を認める余地はない。


(4) 小括


  以上によれば, 本件各記述が真実でないことが明白になったとも認められず, 本件各書籍の出版継続によって, 控訴人らが重大な不利益を受け続けているとも認められないのであるから, いずれにしても, 本件各書籍の出版継続(提訴までの分を含む)は, 不法行為に当たらないというぺきである。



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