15年戦争資料 @wiki

別紙「第X1章 抜き書き」

最終更新:

pipopipo555jp

- view
管理者のみ編集可
昨日 - 今日 -
目次 戻る 通2-130 主文 通巻


『沖縄ノート』より

別紙「第X1章 抜き書き」

(判決本文p284~)

  このような報道とかさねあわすようにして新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が、戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。僕が自分の肉体の奥深いところを、息もつまるほどの力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この旧守傭隊長が、かつて《おりがきたら、一度渡嘉敷島にわたりたい》と語っていたという記事を思い出す時である。

  おりがきたら、この壮年の日本人はいまこそ、おりがきたと判断したのだ、そしてかれは那覇空港に降りたったのであった。僕は自分が、直接かれにインタヴィユーする機会をもたない以上、この異様な経験をした人間の個人的な資質についてなにごとかを推測しようと思わない。むしろかれ個人は必要でない。それは、ひとりの一般的な壮年の日本人の、想像力の問題として把握し、その奥底に横たわつているものをえぐりだすべくつとめるべき課題であろう。その想像力のキッカケは言葉だ。すなわち、おりがきたら、という言葉である。一九七〇年春、ひとりの男が、二十五年にわたるおりがきたら、という企画のつみかさねのうえにたって、いまこそ時は来た、と考えた。かれはどのような幻想に鼓舞されて沖縄にむかったのであるか。か
―「沖縄ノート」p208―

れの幻想は、どのような、日本人一般の今日の倫理的想像力の母胎に、はぐくまれたのであるか? 

  まず、人間が、その記憶をつねに新しく蘇生させつづけているのでなければ、いかにおぞましく恐しい記憶にしても、その具体的な実質の重さはしだいに軽減してゆく、ということに注意をむけるべきであろう。その人間が可能なかぎり早く完全に、厭うべき記憶を、肌ざわりのいいものに改変したいとねがっている場合にはことさらである。かれは他人に嘘をついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく。そのような恥を知らぬ嘘、自己欺瞞が、いかに数多くの、いわゆる「沖縄戦記」のたぐいをみたしていることか。

  たとえば米軍の包囲中で、軍隊も、またかれらに見棄てられた沖縄の民衆も、救助されがたく孤立している。そのような状況下で、武装した兵隊が見知らぬ沖縄婦人を、無言で犯したあと、二十数年たってこの兵隊は自分の強姦を、感傷的で通俗的な形容詞を濫用しつつ、限界状況でのつかのまの愛などとみずから表現しているのである。かれはその二重にも三重にも卑劣な強姦、自分たちが見棄てたのみならず、敵にむけるはずであった武器をさかさまに持ちかえておこなった強姦を、はじめはかれ自身に、こまかし、つづいて瞞着しやすい他人から、もっと疑り深い他人へと、にせの言葉によって歪曲しつつ語りかけることをくりかえしたのであったろう。そしてある日、かれはほかならぬ強姦が、自分をふくめていかなる者の眼にも、美しい
―209―

  つかのまの愛に置きかえられえたことを発見する。かれは、沖縄の現場から、被害者たる沖縄の婦人の声によって、いや、あれは強姦そのものだったのだと、つきつけられる糾弾の指を、その鈍い想像力において把握しない。

【引用者註】日本兵による強姦については、佐木隆三氏が証言をもとにルポルタージュしている。

  慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに稀薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変にカをつくす。いや、それはそのようではなかったと、一九四五年の事実に立って反論する声は、実際誰もが沖縄でのそのような罪を忘れたがっている本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。一九四五年の感情、倫理感に立とうとする声は、沈黙にむかってしだいに傾斜するのみである。誰もかれもが、一九四五年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう。

  本土においてすでに、おりはきたのだ。かれは沖縄において、いつ、そのおりがくるかと虎視眈々、狙いをつけている。かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、一九四五年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。かれにむかって、いやあれはおまえの主張するよ
―210―

うな生やさしいものではなかった。それは具体的に追いつめられた親が生木を折りとって自分の幼児を殴り殺すことであったのだ。おまえたち本土からの武装した守傭隊は血を流すかわりに容易に投降し、そして戦争責任の追及の手が二十七度線からさかのぼって届いてはゆかぬ場所へと帰って行き、善良な市民となったのだ、という声は、すでに沖縄でもおこり得ないのではないかとかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき、かれは二十五年ぷりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。このようなエゴサントリクな希求につらぬかれた幻想にはとめどがない。おりがきたら、かれはそのような時を待ちうけ、そしていまこそ、そのおりがきたとみなしたのだ。

  日本本土の政治家が、民衆が、沖縄とそこに住む人々をねじふせて、その異議申立ての声を押しつぷそうとしている。そのようなおりがきたのだ。ひとりの戦争犯罪者にもまた、かれ個人のやりかたで沖縄をねじふせること、事実に立った異議申立ての声を押しつぷすことがどうしてできぬだろう? あの渡嘉敷島の「土民」のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか、とひとりの日本人が考えるにいたる時、まさにわれわれは、一九四五年の渡嘉敷島で、どのような意識構
―211―

造の日本人が、どのようにして人々を集団自決へと追いやったかの、およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の、まったく同一のかたちでの再現の現場に立ちあっているのである。

【引用者註】当時、軍はその内部では、沖縄住民のことを「土民」と呼んでいた。「土民」は南方植民地住民を呼ぶときの言葉であったし、信用できないという気持ちがにじんでいる。「独立混成第15連隊本部陣中日誌」

  罪をおかした人間の開きなおり、自己正当化、にせの被害者意識、それらのうえに、なお奇怪な恐怖をよびおこすものとして、およそ倫理的想像カに欠けた人間の、異様に倒錯した使命感がある。すでにその一節をひいたハンナ・アーレントのアイヒマン裁判にかかわる書物は、次のようなアイヒマン自身の主張を収録していた。「或る昂揚感」とともにアイヒマンは語ったのである。

  《およそ一年半ばかり前〔すなわち一九五九年の春〕、ちょうどドィツを旅行して帰って来た一人の知人から私は或る罪責感がドイツの青年層の一部を捉えているということを聞きました……そしてこの罪責コンプレックスという事実は私にとっては、謂うならば人間をのせた最初のロケットの月への到着がそうであるのと同じぐらい、一つの画期的な事件となったのです。この事実は、それを中心に多くの思想が結晶する中心点となりました。私が……捜索班が私に迫りつつあるのを知ったとき……逃げなかったのはそのためです。私にこれほど深い印象を与えたドイツ青年のあいだの罪責感についてのこの会話の後では、もはや自分に姿をくらます権利があるとは私には思えなかった。これがまた、この取調がはじまったときに私が書面によって……私を公衆の前で絞首するように提案した理由です。私はドイツ青年の心から罪責の重荷
―212―

を取除くのに応分の義務を果たしたかった。なぜならこの若い人々は何といってもこの前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がないのですから。》

  おりがきたとみなして那覇空港に降りたった、旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭では、沖縄のフェリーボートから乗船を拒まれた。かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は、かれを拉致しはしなかったのである。それでもわれわれは、架空の沖縄法廷に、一日本人をして立たしめ、右に引いたアイヒマンの言葉が、ドイツを日本におきかえて、かれの口から発せられる光景を思い描く、想像カの自由をもつ。かれが日本青年の心から罪責の重荷を取除くのに応分の義務を果したいと、「或る昂揚感」とともに語る法廷の光景を、へどをもよおしつつ詳紬に思い描く、想像力のにがい自由をもつ。

  この法廷をながれるものはイスラエル法廷のそれよりもっとグロテスクだ。なぜなら「日本青年」一般は、じつは、その心に罪責の重荷を背おっていないからである。ハーレントのいうとおり、実際はなにも悪いことをしていないときに、あえて罪責を感じるということは、その人間に満足をあたえる。この旧守備隊長が、応分の義務を果たす時、実際はなにも悪いことをしていない(と信じている)人間のにせの罪責の感覚が、取除かれる。「日本青年」は、あたか
―213―

も沖縄にむけて慈悲でもおこなったかのような、さっぱりした気分になり、かつて真実に罪障を感じる苦渋をあじわったことのないまま、いまは償いまですませた無垢の自由のエネルギーを充満させて、沖縄の上に無邪気な顔をむける。その時かれらは、現にいま、自分が沖縄とそこに住む人々にたいして犯している犯罪について夢想だにしない、心の安定をえるであろう。それはそのまま、将来にかけて、かれら新世代の内部における沖縄への差別の復興の勢いに、いかなる歯どめをも見出せない、ということではないか?

  おりがきたら、とひたすら考えて、沖縄を軸とするこのような逆転の機会をねらいつづけてきたのは、あの渡嘉敷島の旧守傭隊長のみにとどまらない。日本人の、実際に膨大な数の人間がまさにそうなのであり、何といってもこの前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がない、新世代の大群がそれにつきしたがおうとしているのである。現にいま、若い世代の倫理的想像カの世界において、在日朝鮮人をめぐりどのような事態がおこっているかを見よ。ごく一般の愚かしい高校生が、なにものとも知れぬものにつながる使命感、「或る昂揚感」に揺り動かされて、その稚い廉恥心すらそこなうことなく、朝鮮高校生に殴りかかる実状を見よ。この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動と、まったくおなじことを、新世代の日本人が、真の罪責感はなしに、そのままくりかえしてしまいかねない様子に見える時、かれらからにせの罪責感を取除く手続きのみをおこない、逆にかれらの倫理的想像力における真の罪責感
―214―

の種子の自生をうながす努力をしないこと、それは大規模な国家犯罪へとむかうあやまちの構造を、あらためてひとつずつ積みかさねていることではないのか。

  沖縄からの限りない異議申立ての声を押しつぷそうと、自分の耳に聞こえないふりをするのみか、それを聞きとりうる耳を育てようとしないこと、それはおなじ国家犯罪への新しい布石ではないのか。佐藤・ニクソン共同声明のあと、われわれの政府がおこなっている工作と宣伝は、まったく剥きだしにその方向づけにある。「沖縄問題は終った」という呪文は、じつはそれをくりかえしとなえることによって、沖縄への罪責感、戦争責任・戦後責任はもとより、沖縄からの異議申立ての声ともども、「沖縄」そのものが実在しなくなることすらをめざしての、まことにその根源において全破壌的な、恐しい呪文である。


目次 戻る 通2-130 主文 通巻
目安箱バナー