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7 真実性ないし真実相当性について(その2)

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読める控訴審判決「集団自決」
事案及ぴ理由
第3 当裁判所の判断

7 真実性ないし真実相当性について(その2)

(争点(4), (5)及び当審補充主張イ, ウ)
(判決本文p252~)


(1)<本件各記述の真実性の証明の対象>


  控訴人らは, 本件各記述についての真実性の証明の対象は, 「沖縄ノート」の記述でいえば「沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生」という論評を示すことのできる中身を持った命令(「無慈悲直接隊長命令説」)でなければならず, 手榴弾の交付や軍官民共生共死の一体化の強制的雰囲気や日本軍の指示・強制などの背景事情を広義の自決命令に結びつけたとしても, それは本件各記述の真実性の証明とはならないと主張する。 しかし, それは, 論評の中身とその前提とされた事実とを混同するものであってにわかに採用できない。 もっとも, 先に名誉毀損性の有無に関して検討したとおり, 各著者の意図は別としても, その記述自体からは, 控訴人らが主張するように, 部隊が生き延ぴるために住民の犠牲を強制する非情かつ無慈悲な部隊長の自決命令が直接なされたことを摘示するものと読みとることも可能であり, 昭和45年ころの一般の読者の普通の読み方もそのようなものが多く, グラフ誌や週刊誌などが悲惨な集団自決を興味本位に取り上げ, その責任を非情無慈悲で異常な個人の命令に帰し, その個人を人非人・人面獣心・極悪無惨な鬼隊長などと非難攻撃するという風潮が一般であったものと考えられる(甲B1, 2, 5, 18)。 本件各記述の真実性の証明の対象は, その出版当時のそのような一般の読者の読み方に従って, やはり, 控訴人らのいう無慈悲隊長直接命令 (以下これを「直接命令」と路称する。) の有無とするのが結論的には相当である。 真実相当性の証明の対象も同様である (ただし, 後述のように, 現時点での出版継続の不法行為性を判断するに際しては, その後の事情も考慮するのが相当である。)。


(2)<「直接命令」の立証の成否など>


  そして, 前掲のような資料を総合して検討すると, 裁判所は, 日本軍が集団自決に深く関わり住民を集団自決に追い込んだものであってそれを総体としての日本軍の命令と評価する見解(評価としての日本軍の命令。以下これを「評価たる軍命令」と略称する。)もあり得るものと考えるが, それは組織としての日本軍の責任をいうものであり, それがそのまま個人としての責任や具体的行動を意味するものではない。 また, 実際に行われたそれぞれの集団自決には複数の要因が複合して寄与していることを直視すぺきものであって, 一律に軍命令などと単純化して語られるべきものではないと考えられる(甲B5, 37, 74, 75, 76, 91, 104, 137, 138)。 しかし, 以下に原判決を補正引用して示すとおり, 集団自決に日本軍が深く関与しそれによって住民が集団自決に追い込まれたという要素は否定しがたいところである。 しかしそうではあっても, ここで真実性又は真実相当性の証明の対象とされているのは, 前述のように, 「評価たる軍命令」ではなく, 非道無慈悲な隊長の「直接命令」であり, 「評価たる軍命令」が認められたからといって直ちに「直接命令」が肯定されるものではない。 以下に補正・引用する原判決の説示が示す手榴弾が使われたことや, 日本軍のいるところでしか集団自決が生じていないことや, 日本軍が防諜に意を用い住民に捕虜になることを許さなかったことなどは, 「評価たる軍命令」の論証につながるものではあっても, 直ちに具体的な「直接命令」の十分な証明となるものではない。 この趣旨での控訴人らの主張は理由がある(ただし, 「直接命令」の不存在が「評価たる軍命令」の不存在を意味するとか, 「評価たる軍命令」が「直接命令」の論点すり替えだなどというとすれぱ賛成しがたい。)。 そして, 以上のような観点からすると, 本件証拠上具体的な各「直接命令」を証するに足る的確な証拠はないとするのが素直である。

  しかし, 原判決もその説示で縷々検討するとおり, 反対に, 本件証拠上各「直接命令」は無かったと断定できるかといえば, それもできないのである。 敵が上陸した場合は玉砕する, 捕虜になることは許さないということが日本軍の大きな方針であったとすれぱ, それに従って部隊長として自決の指示をするのはむしろ避けられないのであって, 軍隊組織であればそれは命令を意味するといえる。 現に, 梅澤隊長の場合や, 村の指導者らが揃ってかねて言われてきた軍官民共生共死の玉砕の方針に文字通りに従って「軍の足手まといにならぬよう」集団自決を申し出てきたときには, 個人としての逡巡をみせてはいるが, 結局, その場を引き下がらせただけで,軍の玉砕(自決)の方針を撤回してはいないのである。 そこで, 助役らは, 日本軍ひいては梅澤隊長の意を体して自決を敢行したともいうことができるのである(村長以下村の指導者らはこのとき全員が自決している。)。 また赤松大尉の場合も, 住民を基地付近の西山に集結させ, そこへ日本軍の指揮下にある防衛隊員らが多数の手榴弾を持ち込んで自決が行われているのであるし, 同大尉が捕虜になったりした住民たちへの幾度もの処刑をためらった形跡はなく, かねて米軍上陸の際には住民を玉砕させるという方針を取っていたことは十分考えられ, それを否定するに足る的確な証拠はない。そうだとすれば, その具体的な形はともかく, 赤松大尉がこの時の自決を命じていないと断定することもできない。

  そうすると, 結局, 「直接命令」についても, 本件証拠上は, その有無を断定するには至らないというほかはない。 したがって, 挙証責任に従えば, 本件各記述については, 本件証拠上その真実性の証明は無いということになる。

  ちなみに, 先に見た教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会の基本的とらえ方においても, 集団自決が起こった状況を作り出した様々な要因のうち軍の関与はその主要なものととらえることかできるが, 一方, それぞれの集団自決が住民に対する直接的な軍の命令により行われたことを示す根拠は, 現時点では確認できていない, 他方で, 住民の側から見れぱ当時の様々な背景・要因によって自決せざると得ないような状況に追い込まれたとも考えられるとして, 直接命令の有無については現時点では確認に至らないとされている。

(3)<原判決の引用及び補充主張について>


ア(おおむね原判決のとおりであるが)*

  以上のような判断は, その一部を以上の説示に従つて改めるほかは, おおむお原判決が第4・5(8)イ及ぴウで説示するとおりであり, また, 本件各書籍の執筆に当たっての取材状況は同じく第4・5(7)の説示のとおりであるから, これら(原判決199頁下から5行目から201頁12行目及び202頁13行目から209頁7行目まで)を引用する。 なお, 第4・5(8)イ及びウの部分は以下に再掲してそれを補正する形式で当裁判所の判断を示す(引用の方式については10頁に示した方式により, 当裁判所が付加しあるいは判断を改めた部分等は,区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は……で示す。)。

イ(直接命令がなかったという証拠はない)*

  控訴人らは, 原判決の説示に対し, 当審の補充主張において, 「母の遺したもの」(甲B5), 「座間味村史」(乙50), 「潮だまりの魚たち」(甲B59), 「沖縄県史第10巻」(乙9)などに採録され, あるいは「自叙傳」(乙28)や陳述書(乙52, 62), 証言などで述ぺられた, 宮城初江, 宮村文子, 宮平春子, 宮里美恵子, 宮村盛永, 上洲幸子, 宮里育江, 中村尚宏, 宮平(宮里)米子, 宮里トメ, 中村春子, 金城重明, 知念朝睦, その他住民らの述べる, 兵士らの住民への励まし, その身を案じ無事を喜んだこと, 怪我への気遣い, 衛生兵の治療, 食料の給付, 米軍への恐怖, 自決決断の経緯などのエピソードを挙げて, 自決命令がなかったことの証拠であると縷々主張する。 これらの個々の具体的な供述の意義を一律に評価することは相当でないが, それらのエピソードが, 「鉄の暴風」以来一面的にいわれてきた無慈悲隊長直接命令にそぐわないもので, その不存在を示唆する面のあることは首肯できなくもない。 しかし, それらと自決命令の存在自体が相容れないものとまでは解されず, 以下に補正して引用する原判決の説示する事実や前掲の数々の史料をも考え合わせると, それらを総合してみても, 直接命令が無かったことが断定できるとまでは到底いえない(ちなみに, 控訴人らも, いうところの「軍の善き関与」や「軍の関与なき自決」について, それらは, 自決が隊長の命令で生じたものでないことを強く示唆している[控訴人準備書面(2)]というにとどめている。)。 また, 控訴人らの指摘する古波蔵蓉子, 大城良平の体験や金城武徳の話などが, 一方的な赤松大悪人説への疑問につながるものとしても, これらにより赤松自決命令が無かったとまでいえるものではない。

  その他, 控訴人らの当審における補充主張を検討してみても, 以下に原判決を補正する形で示す判断を, 変更するには至らない。


【原判決の引用】


  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。

第4 5(8)イ 座間味島における集団自決について

(ア)(体験者の証言には迫真性がある)*
  座間味島では,第4・5(1)イ(ア)のとおり, 昭和20年3月26日, 忠魂碑前に集合した多数の住民が集団で死亡したと認められ, その際に, 軍事装備である手榴弾が利用されたことは, 第4・5(2)ア(ア)で掲げた証拠から認めることができる。

  この集団自決を控訴人梅澤が命じたとの記載のある「鉄の暴風」, 「秘録沖縄戦史」, 「沖縄戦史」等には, その取材源等は明示されておらず, 山川泰邦のように, その作者が死亡しているような書籍については, 座間味島で集団自決が発生して相当の年月が発生している現在では, その取材源等を確認することは困難で,本訴の提起が遅延した控訴人らには時間の壁があるというべきことについては,第4・1(6)で判示したとおりである。

  しかしながら, 第4・5(2)ア(ア)で判示したとおり, 「沖縄県史 第10巻」, 「座間味村史下巻」, 「沖縄の証言」には, 初枝始めとして, 宮里とめ, 宮里美恵子, 宮平初子, 宮平カメ及び高良律子, 宮村文子, 宮平ヨシ子らの集団自決に関する体験談の記述があるほか, 本件訴訟を契機とし, 宮平春子, 上洲幸子, 宮里育江の体験談が新聞報道されたり, 本訴に陳述書として提出されたりしている。 そして, こうした宮里とめなど沖縄戦の体験者らの体験談等は, いずれも自身の実体験に基づく話として具体性, 迫真性を有するものといえ, また, 多数の体験者らの供述が, 昭和20年3月25日の夜に忠魂碑前に集合して玉砕することになったという点で合致しているから, その信用性を相互に補完し合うものといえる。 また, こうした体験談の多くに共通するものとして, 日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった場合には自決を促され, そのための手段として手榴弾を渡されたことを認めることができる (手榴弾の交付に関する控訴人梅澤の供述が措信し難いことは, 第4・5(5)ウ(イ)で判示したとおりである。)。

(イ)(防諜と住民加害)*
  沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたことは, 第4・5(1)ア(ア)で判示したとおりであり, このことは, 第4・5(1)ウで判示した日本軍による住民に対する加害行為に端的に表れている。 すなわち,

〔1〕  渡嘉敷島において, 防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が渡嘉敷島で身寄りのない身重の婦人 ママ:夫人 や子供の安否を気遣い, 数回部隊を離れたため, 敵と通謀するおそれがあるとして, これを処刑したこと,

〔2〕  赤松大尉が集団自決で怪我をして米軍に保護され治療を受けた二名の少年が米軍の庇護のもとから戻ったところ, 米軍に通じたとして殺害したこと,

〔3〕  赤松大尉が米軍の捕虜となりその後米軍の指示で投降勧告にきた伊江島の住民男女6名に対し, 自決を勧告し, 処刑したことは, 他の要因も考え得るものの, 沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたことに通じる。 この点にかかる日本軍の沖縄各地における住民をスパイ視しての穀害, 米軍保護下の住民多数の虐殺等について, 教科書の記述変更問題等を機に新たに多くの証言がなされたとして報道されている(乙107(番香を含む),111ないし114(枝番を含む))。

  そして, 第4・5(1)イ(エ)で判示した第二戦隊の野田隊長が昭和20年2月8日に慶留間島の住民に対して
「敵の上陸は必至。敵上陸の暁には全員玉砕あるのみ」
と訓示した行為や第4・5(2)ア(ア)kに記載した米軍の「慶良間列島作戦報告書」の座間味村の状況についての
「明らかに,民間人たちは捕らわれないために自決するように指導(勧告)されていた」
との記述も, 前同様, 他の要因も考え得るものの, 慶良間列島に駐留する日本軍が米軍が上陸した場合には住民が捕虜になり, 日本軍の情報が漏れることを懸念したとも考えることができ, 沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたに通じる (「慶良間列島作戦報告書」の訳の問題に関しては, 第4・5(4)エで判示したとおりであって, 控訴人ら主張のように訳しても, 以上の判断に差異を来さない。)。

(ウ)(手榴弾の交付)*
  控訴人梅澤が率い, 座間味島に駐留した第一戦隊の装備は, 
「機関短銃九のほか, 各人拳銃(弾薬数発), 軍刀, 手榴弾を携行」
というものであり, 慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断されていたから, 食糧や武器の補給が困難な状況にあったと認められ, 装備品の殺傷能カを比較すると手榴弾は極めて貴重な武器であったと認められることは, 第4・5(5)ウ(イ)で判示したとおりである。

  そして, 控訴人梅澤が本人尋問において村民に渡せる武器, 弾薬はなかったと供述していることも, 第4・5(5)ウ(イ)で判示したとおりであり, 赤松大尉が率いた第三戦隊に関する証言ではあるが, 皆本証人が手榴弾の交付について
「恐らく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います。」
と証言していることは, 軍の規律, 第一戦隊及び第三戦隊に共通する装備の乏しさを考えると, 等しく控訴人梅澤にも妥当するものと考えられる。

(エ)(集団自決と日本軍)*
  こうした事実に加えて, 第4・5(1)イ(エ)で判示したとおり, 座間味島, 渡嘉敷島を始め, 慶留間島, 沖縄本島中部, 沖縄本島西側美里, 伊江島, 読谷村, 沖縄本島東部の具志川グスクなどで集団自決という現象が発生したが, 以上の集団自決が発生した場所すぺてに日本軍が駐屯しており, 日本軍が駐屯しなかった渡嘉敦村の前島では, 集団自決は発生しなかったことを考えると, 集団自決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当であつて, 第4・5(1)アで判示した事実を踏まえると, 沖縄においては, 第三二軍が駐屯しており, その司令部を最高機関として各部隊が配置され, 第三二軍司含部を最高機関とし, 座間味島では控訴人梅澤を頂点とする上意下達の組織であったと認められるから, 座間味島における集団自決に控訴人梅澤が関与したことは, 十分に推認できるというぺきである。あり得ることである。 なお, 控訴人梅澤が, 25日夜本部壕で自決を申し出た村幹部らに対し, 玉砕方計を撒回していないことは, 先に認定したとおリである。

(オ)(「直接命令」認定には無理がある)*
  もっとも, 前記のとおり, 「沖縄県史 第10巻」, 「座間味村史下巻」, 「沖縄の証言」等に体験談を寄せている宮里とめらの集団自決の体験者の供述等から, 控訴人梅澤による自決命令の伝達経路等は判然とせず, 控訴人梅澤の言辞を直接聞いた体験者を本件全証拠から認められない以上, 前記のとおり, 取材源等は明示されていない「鉄の暴風」, 「秘録沖縄戦史」, 「沖縄戦史」等から, 直ちに「太平洋戦争」にあるような
「老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよ。」
との控訴人梅澤の命令それ自体(当裁判所が先に述べた「直接命令」 )まで認定することには躊躇を禁じ得ない無理がある

(カ)(「命令があった」と信ずる相当の理由はあった)*
  しかしながら, 以上認定したように, 具体的な形はともかく,控訴人梅澤が座間味島における集団自決に関与したものと推認できることはあり得ると考えられることに加え, 第4・5(6)イのように, 少なくとも平成17年度の教科書検定までは, 高校の教科書にまで日本軍によって集団自決に追い込まれた住民がいたと記載され, 布村審議官は座間味島及び渡嘉敷島の集団自決について, 日本軍の隊長が住民に対し自決命令を出したとするのが通説であった旨発言していたこと, 第4・5(8)ア記載の学説の状況で検討したような教科用図書検定調査審議会第2部日本史小委員会の検討結果, 第4・5(2)ア(ア)記載の諸文献の存在, そうした諸文献等についての信用性に関する第4・5(4)の認定, 判断, 第4・5(7)記載の家永三郎及ぴ被控訴人大江の本件各書籍の取材状況等を踏まえると, 控訴人梅澤が座間味島の住民に対し「太平洋戦争」記載の内容の自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても, この事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できるから, 本件各書籍の各発行時において, 家永三郎及ぴ被控訴人らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由があったものと認めるのが相当であり, それは本訴口頭弁論終結時においても径庭はない

ウ 渡嘉敷島における集団自決について
(ア)(命令説文献には信用性がある)*
  渡嘉敷島では, 第4・5(1)イ(イ)のとおり, 昭和20年3月25日 集合が始まった日時のことと思われる, 西山陣地北方の盆地に集合した多数の住民が集団で死亡したと認められ, その際に, 軍事装備である手榴弾が利用されたことは, 第4・5(2)イ(ア)で掲げた諸文献である書証から認めることができる。

  この集団自決を赤松大尉が命じたとの記載のある「鉄の暴風」,「秘録沖縄戦史」,「沖縄戦史」等には, その取材源等は明示されていないことなどは, 座間味島における集団自決について, 先に判示したのと同様である。

  渡嘉敷島における集団自決についても, 渡嘉敷村長であった米田惟好, 金城証人, 富山真順, 吉川勇助らの集団自決の体験者の体験談等があることは, 第4・5(2)イ(ア)のとおりであり, これらの体験談等は, いずれも自身の実体験に基づく話として具体性, 迫真性を有するものといえ, 信用性を有することも, 座間味島における集団自決について, 先に判示したのと同様である。り,それらについては控訴人らの指摘するような問題点がないとはいえないものの,その全体的な信用性を疑うまでの理由は無い。

(イ)(捕虜となることを禁じたことと集団自決)*
  沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたことは, 第4・5(1)ア(ア)で判示したとおりであり, 第4・5(1)ウで判示した赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為は, そうした防諜行為に通じ, 第4・5(1)イ(エ)で判示した第二戦隊の野田隊長の言動, 第4・5(2)ア(ア)kに記載した米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載も, 前同様, 他の要因も考え得るものの, 慶良間列島駐留の日本軍が米軍が上陸した場合には住民が捕虜になり, 日本軍の情報が漏れることを懸念したとも考えることができ, 沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたに通じることも先に判示したとおりである。

  第4・5(1)イ(イ)で判示したとおり, 渡嘉敷島における集団自決は, 昭和20年3月27日に渡嘉敷島に上陸した翌日である同月28日に赤松大尉の西山陣地北方の盆地への集合命令の後に発生しており, 第4・5(1)ウで判示した赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為を考えると, 赤松大尉が上陸した米軍に渡嘉敷島の住民が捕虜となり, 日本軍の情報が漏洩することをおそれて自決命令を発したことがあり得ることは, 容易に理解できる。 赤松大尉は, 第4・5(1)ウで判示したとおり, 防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が渡嘉敷島で身寄りのない身重の婦人 ママ:夫人 や子供の安否を気遣い, 数回部隊を離れたため, 敵と通謀するおそれがあるとして処刑しているところ, これに反し, 米軍が上陸した後, 手榴弾を持った防衛隊員が西山陣地北方の盆地へ集合している住民のもとへ赴いた行動を赤松大尉が容認したとすれば, 赤松大尉が自決命令を発したことが一因ではないかと考えざるを得ない。るのは自然である。

(ウ)(手榴弾の交付について)*
  赤松大尉が率い, 渡嘉敷島に駐留した第三戦隊の装備は, 証拠(乙55)によれば,
「機関短銃五(弾薬六〇○○発)のほか, 各人拳銃(弾薬一銃につき四発), 軍刀, 手榴弾を携行」
であったと認められ, 慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断されていたから, 食糧や武器の補給が困難な状況にあったと認められ, 装備品の殺傷能カを比較すると手榴弾は極めて貴重な武器であったと認められることは, 第4・5(5)ウ(イ)で判示のと同様である。

  そして, 第三戦隊に属していた皆本証人が手榴弾の交付について
「恐らく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います。」
と証言していることは, 先に判示しているとおりであり, 手榴弾が集団自決に使用されている以上, 赤松大尉が集団自決に関与していることは,強く推認される。あり得ることである。

(エ)(日本軍の駐屯と集団自決)*
  こうした事実に加えて, 先に座間味島における集団自決に関して判示したとおり, 沖縄県で集団自決が発生した場所すぺてに日本軍が駐屯しており, 日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では, 集団自決は発生しなかったことを考えると, 集団自決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当であって, 第4・5(1)アで判示した事実を踏まえると, 沖縄においては,第三二軍が駐屯しており, その司令部を最高機関として各部隊が配置され, 第三二軍司令部を最高機関とし, 渡嘉敷島では赤松大尉を頂点とする上意下達の組織であったと認められるから,その具体的な形は別としても,渡嘉敷島における集団自決に赤松大尉が関与したことは,十分に推認できるというぺきである。あり得ることである。

(オ)(「直接命令」を認定することには躊躇を禁じえないが)*
  もっとも, 渡嘉敷島における集団自決の体撃渚の体験談等から赤松大尉による自決命令の伝達経路等は判然とせず, 赤松大尉の下記の命令を直接聞いた体験者を本件全証拠から認められないことは, 座間味島における集団自決と同様である上, 前記のとおり, 取材源等は明示されていない「鉄の暴風」, 「秘録沖縄戦史」, 「沖縄戦史」等から, 直ちに「沖縄ノート」にあるような
「部隊は, これから米軍を迎えうち長期戦に入る。 したがって住民は, 部隊の行動をさまたげないために, また食糧を部隊に提供するため, いさぎよく自決せよ」
との赤松大尉の命令の内容それ自体(当裁判所が先に述べた「直接命令」)まで認定することには躊躇を禁じ得ないことも, 座間味島における集団自決における控訴人梅澤の命令と同様である。

(カ) (隊長命令を真実と信じる相当の理由はあった)*
  しかしながら, (ウ), (エ)で認定したように, その具体的な形は別としても,赤松大尉が渡嘉敷島における集団自決に関与したものと推認できることはあり得ると考えられることに加え, 第4・5(6)イのように, 少なくとも平成17年度の教科書検定までは,高校の教科書にまで日本軍によって集団自決に追い込まれた住民がいたと記載され, 布村審議官は座間味島及び渡嘉敷島の集団自決について, 日本軍の隊長が住民に対し自決命令を出したとするのが通説であった旨発言していたことで検討したような教科用図書検定調査審議会第2部日本史小委員会の検討結果, 第4・5(8)ア記載の学説の状況, 第4・5(2)イ(ア)記載の諸文献の存在, そうした諸文献等についての信用性に関する第4・5(4)の認定, 判断, 第4・5(7)イ記載の被控訴人大江の沖縄ノートの取材状況等を踏まえると, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に対し「沖縄ノート」にあるような内容の自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても, この事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できるから, 「沖縄ノート」の各発行時において, 被控訴人らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由があったものと認めるのが相当であり, それは本訴口頭弁論終結時においても径庭はない

エ (発行時において名誉毀損は成立せず)*
  以上のとおり, 控訴人梅澤及び赤松大尉が座間味島及ぴ渡嘉敷島の住民に対しそれぞれ本件各書籍にあるような内容の具体的な直接の自決命令(「直接命令」)に限れば, これを出したことを真実と断定できないとしても, これらの事実については合理的資料又は根拠があるといえるから, 本件各書籍の各発行時及び本訴口頭弁論終結時において, 被控訴人らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由があったものと認められ, 被控訴人らによる控訴人梅澤及ぴ赤松大尉に対する名誉毀損は成立せず, したがって, その余の点について判断するまでもなく, これを前提とする損害賠償はもとより, 本件各書籍の出版等の差止め請求もまた理由がない。

(4) 小括

  以上の次第で, 本件各記述については, 真実性の証明があるとはいえないが, これを真実と信ずるについて相当な理由があったと認められるから, 名誉毀損の不法行為は成立しない。


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