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パートIII 8 部隊長権限の増大

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田母神俊雄 平成16年7月 ,9月
航空自衛隊を元気にする10の提言 パートIII

8 部隊長権限の増大


 近年のコンピュータや通信ネットワークの進歩により、官公庁においても中央と地方が情報を瞬時に共有できるようになってきた。中央から見れば、地方をコントロールするための便利なツールを手にしたことになり、全てのことは中央で計画し、地方や末端ではその計画通り実行するのみである。分からないことがあれば何時でも中央に尋ね指示を仰げばよい。つまりコンピュータや通信ネットワークの進歩は中央集権を一層強めることになる。すべてが計画通り実施される平時における業務処理を考えればそれで十分であろう。しかし有事を前提とする自衛隊の業務処理は、いかに平時とはいえ、中央集権的になり過ぎてはいけないと思う。

 航空自衛隊でもC4Iシステムの整備が進捗するにつれ、末端のレーダーサイトの情報を航空総隊司令部や空幕において、リアルタイムで把握することが可能となった。現在のバッヂシステムを整備する際、総隊の指揮所で部隊を直接指揮するセントラライズドコントロールにするか、従来通り方面隊の指揮所を通じて部隊を指揮するディセントラライズドコントロールにするか議論になったことがあった。セントラライズして良いのではないかというのが議論の出発点であった。議論の結果、いま現在は従来通りディセントラライズドコントロールになっている。C4Iシステムが進歩すれば確かに中央から全ての部隊を直接指揮することは可能であろう。しかしそれはC4Iシステムに故障がないことが前提である。自衛隊は常に不測の事態を考慮しておくことが必要である。一旦作戦が開始されれば故障はもちろんのこと、被害により機能が低下する可能性は極めて大である。我々はそのような場合にも部隊行動が整斉と出来るシステムにしておかなければならない。ここが普通の官公庁の業務処理と自衛隊の業務処理の根本的な違いである。

 作戦においては、被害により上級指揮官との通信連絡手段がなくなってしまっても、部下指揮官が円滑に次の行動に移行できるように措置されていることが必要である。被害を考えれば自衛隊の業務処理は出来るだけディセントラライズドにしておかなければならない。そして必要な場合、例外的にセントラライズドにするのだ。ディセントラライズドにしておいて必要時に総隊司令官がセントラライズドで指揮することはC4Iシステムが機能していれば容易にできると思う。しかしその逆は難しい。セントラライズドが基本であれば、方面隊司令部などの幕僚に、直接任務を遂行する心構えも能力も育たないからである。平時における業務のやり易さや効率化のみを考えると、どんどんセントラライズドが進むことになる。しかしそれは作戦における抗堪性を低下させることになる。今後ミサイル防衛を考える場合、ミサイル発射のトリガーを引く権限は徹底的にディセントラライズドにしておかなければならない。総隊司令官は、「現在以降射撃してよい」という指示を与え、トリガーを引く時機の判断は高射隊の射撃指揮幹部に任せることが必要であろう。

 このように考えると、いま航空自衛隊が実施している業務処理も見直したほうがよいものが多くあるような気がする。すべてにおいてディセントラライズドになっていないと、部下指揮官としては常に上司の意向が気になり、迅速軽快な判断及び決心ができなくなる。しかしこれまでは上下の意思疎通や報告、あるいは部隊の管理などに重きを置いたために、業務処理は、どちらかといえばセントラライズドの方向に進められてきたのではないか。部隊長の権限を少しずつ奪ってきたのではないか。例えば隊員の服務事故などに関して懲戒処分に関する達で処分の基準が決められている。しかし現実に編制部隊長が処分するに当たっては上級部隊の承認をもらっている。内局が納得しない、空幕が納得しないなどといっておかみ上のご指導があることが多いので、部隊の幕僚としては上級部隊との調整が済んでから部隊指揮官に報告せざるを得ない。

 私はこれを直すべきだと思っている。懲戒処分に関する達の基準に基づいて部隊長が隊員の処分を行う限りは、上級指揮官に対しては結果を通知するのみでよいと思う。処分の基準はある幅を持ったものであり、その適用については、部隊長は裁判官の役割を果たすことになる。部隊長の判断にはそれぞれの部隊長の個性が出ることは当然である。ある部隊長は厳しく、ある部隊長は緩やかに処分を行うであろう。処分を各部隊長に任せているからには、これを良しとしなければならない。しかし上級指揮官から見れば、同じ程度の服務事故なのに、どうして処分がかくも違うのかということになる。さらに上級の指揮官から「お前はどういう基準で処分しているのか」と言われそうだというわけである。かくして隷下部隊のご指導が始まるということになる。

 処分担当の部隊長としては任されているはずのことなのに承認をもらわないと処分ができない。いっそのこと始めからお上に任せてしまえということになる。そして幕僚に質問をする、「方面との調整は終わったのか」と。幕僚も心得たものである。「空幕まで承認をもらっているそうです」。

 自衛隊の実戦的体質を維持するということを考えるとき、これでよいのだろうか。私はこのような業務処理が、中間司令部が自らの責任で判断し、行動する習慣を失っていく原因を作っていると思うのである。結局は自衛隊を弱体化することに貢献しているのではないだろうか。先に述べた懲戒処分も平時における業務処理のみを考えれば、それで完璧であろう。よく調整が実施されているほうがよいのである。しかし自衛隊のやることは、すべて自衛隊の精強化につながるものでなくてはならない。国の一般の行政機関は平時のことのみを考えるだけで十分である。しかし自衛隊は常に有事を念頭に置かなければならない。お上の指示がなければ動けないという部隊を造ってしまってはいけない。自ら判断し行動するという習慣を末端まで徹底しておくことが自衛隊を強くする。そのために平時からあらゆる業務処理は、ディセントラライズドにしておくことだ。下に任せてよいものはどんどん任せてしまえばよい。「仕事は部下がする、責任は上司が取る」という態勢が大事である。但し、これに「私の」という修飾語を付けてはいけない。それを付けると「仕事は私の部下がする、責任は私の上司が取る」ということになってしまうからだ。

 部隊からの申請を受けて上級部隊や空幕で承認するだけのものなどは、部隊長に任せてしまうことだ。そして任せたことは指導しないことだ。部外者の戦闘機等への体験搭乗なども、もっと部隊長に任せてよいと思う。航空団司令等が空自の広報の観点から、毎月2名を基準として搭乗させてよいというくらいにしてはどうか。団司令は基地対策上も大きな力を握ることができる。一つ一つを見れば特にあれこれ言うほどのことはない。しかし、ちりも積もれば山となるの例えどおり、それらの積み重ねが部隊の実戦的体質に影響を及ぼすことになる。

 編制部隊長等になった人も、可能な限り部下に権限を委任することを考えたほうがよい。自衛隊では従来、部隊の管理がうるさく言われてきたようなところがあり、権限の委任が十分に行われていない。あるいは形式上委任されていても実質上委任されていないことも多い。しかし任せて好きなようにやらせなければ部下は育たないし、航空団司令が飛行隊長の仕事に精を出すというようなことになる。団司令には団司令としての仕事があるはずだ。団司令の仕事は部隊の管理ではなく、会社で言えば経営である。社長が総務部長や営業部長と同じことばかり考えているような会社が発展できるわけがない。自衛隊の現状を見るに、実質的にお伺い体質が進みすぎているという気がする。だから部隊長の権限がもっと大きくなっていいと思うし、各部隊長も可能な限り部下指揮官に任せることを心がけたほうがよい。そして任せたことは指導しないで好きなようにやらせることが大切である。「好きなようにせい。結果が悪いときだけ処分する」と言っておけばよい。部外から何か言われたときには「私の部下が多分、状況に応じて最適の行動をとっていると思います」と答えればよい。


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