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(ハ)銃後の刑事事件の状況

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2 気運を統一する

(イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止

(口)軍刑法による造言飛語の防止

(ハ)銃後の刑事事件の状況

減少傾向
昭和十四年の五月十五日から二十日まで、地方裁判所長や検事正などを集めて、同年度の定例司法長官会同が開かれた。泉二新熊(もとじしんぐま)大審院長の口演もあった。そのなかで、かれは、シナ事変の発生以来、刑事の訴訟事件は減少的傾向を示している、と述べた。確かにそうである。十五年末に発表された十四年の裁判所及検事局取扱事件表によると、刑事事件数の推移はこうである。
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区裁判所 地方裁判所 控訴院 大審院
十一年 一二七、二六二 二七、七九六 三、一二八 四、二〇三
十二年 一二〇、五九七 二〇、九六七 二、九二〇 三、七五三
十三年 一〇五、八三八 一九、○〇六 二、三二七 二、三五四
十四年 九九、一三五 一六、九五三 一、六三六 一、五九五

シナ事変の起きる前の十一年とその後の十四年を比べると、区裁判所で約二ニパーセント、地方裁判所で約三九パーセント、控訴院で約四八パーセント、大審院で約六二パーセント、総件数では約二七バーセントの減になっている。窃盗のような一般犯罪が減ったからである。戦いの勃発に人カの心は緊張し、結果的に公共心や道義心が以前よりも高まったためとも考えられようか。

だが、全体的な減少傾向のうちにも、やがて事変なれで人心の緊張感はいつの問にか薄らぎ始め、一方では、強まる統制のあおりを受けて経済事件がしだいに増えつつあった。十五年に入ると、この傾向がはっきりと出てくる。経済事件の増加を主因として、刑事事件数は十四年を凌駕する。十六年は、十五年よりもさらに増える。

であれば、さきの十四年度の司法長官会同で、木村尚達(きむらしようたつ)検事総長が今後にむけてとくに経済事犯の防止を要請し、集まった長官側も毅然とした姿勢でそれに臨むと答えているのもうなずけよう。経済事犯への対策についてはさらに、この会同の終わった九日のちの五月二十九日と三十日に、経済実務判検事会同がもたれている。
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翌十五年度の司法長官会同でも、司法大臣となっていた木村は同趣旨の訓示を行なっている。また、岩村通世(いわむらみちよ)検事総長の訓示も同様のものだった。

刑事事件の抑制は、銃後の重要な課題であった。銃後の乱れは、戦場にいる将兵の士気に影響する。その抑制は結局、挙国一致の体制づくりに寄与し、気運高揚の役割の一端を担うのである。

軍隊内の犯罪状況についてもちょっとみておこう。こちらはシナ事変以降、毎年増えつづけている。陸軍のすべての師団軍法会議で処理したつぎのような増数からも、このことはうかがえる(宇都宮師団法務部『刑罰法教材』)。
十一年 九六七名
十二年 一、二三六名
十三年 三、二二二名
十四年 四、三三二名

十五年以後も確実に増えつづけていく。原因は多岐にわたるが、主なものとしては、兵員の不足からくるその質の低下、戦いが長期化するのにともなう気持ちのすさみ、すさみからくる上命下服心の欠如などが挙げられる。
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刑法犯の実例
昭和十三年三月、京都府加佐(かさ)郡を流れる由良(ゆら)川沿いの、現在は舞鶴市となっているある村で、妻が夫の愛人を殺し、これをみた夫がその妻を殺して自分も自殺するという事件が起こった。この出来事を、現場に駆けつけた当時の京都憲兵隊大井武一(おおいぶいち)舞鶴分遣隊員の「出征軍人妻の情事に因る被殺事件」からおおまかに紹介しよう(岡山県憲友会『我が青春に悔いなし』)。大井は検事局からの連絡に応じて、同局に同道したものである。

秋の穫入れが終わると、冬場は炭焼きをするという平凡で静かな村だった。そこに、降って湧いたような事件である。夫は入り婿だった。主たる生計は炭焼きで立てていた。愛人も炭焼きをしていた。彼女の夫はシナ事変に従軍していて留守だった。同じ地区に住み、山で炭焼きをする。いつしか親しくなったのだろう、密通のうわさが流れるようになった。妻の耳にも、そのうわさははいってきた。

事件の当日、妻は、夫のその晩の密会を耳にした。場所は炭焼き小屋。夫の友人からだった。夕方、妻は山へ急いだ。はたして夫は密会していた。逆上した妻は夫をなじった。そして、炭焼きかまどの煙突の側にうずくまっている愛人をみつけると、小屋にあった鉈で切りかかった。愛人は首の静脈を裂かれて死んだ。夫も逆上した。すぐさま自宅に帰り、猟銃を持って引き返してきた。地べたに置かれた木に腰を落としこんでいる妻をめがけて発砲した。弾は左腕のひじから上あたりに当たり、妻はほどなく死んだ。これをみて夫も、その猟銃で喉を撃ちぬき、自殺した。
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当時は、出征兵士の妻の貞節さがことさら美徳としてうたわれていた。写真と三三九度の盃を交わした岡山県苫田(とまた)郡の女性や、結婚式をあげたその場で夫を戦場へ送った和歌山県西牟婁郡の新妻のことが話題になった。華北戦線で戦死した許嫁(いいなず)けのあとを追い、自殺した宮崎県都城(みやこのじょう)市の女性もいた。

そんな世相のなかで、痴情のもつれから三人も死んだのである。しかも愛人には出征中の夫がいた。生きていれぼ、姦通罪での処断も考えられた。出征兵士を出している村の名誉にもかかわる。村長をはじめ村の職員や村会議員、村内の各団体の幹部らが集まり、大騒動だったという。

この事件は、もちろんシナ事変と直接の関係はない。しかし、出征兵士の妻をめぐり、銃後に起きた事件として、事変との関係をまったく否定するわけにもいかない。

海軍省法務局は、「事変を直接又は間接の犯罪の動機又は縁由とする刑法犯は、事変以来、極めて多数に上っている」としたうえで、つぎのような例を挙げている(『海軍司法法規』)。

<詐欺、横領、窃盗、住居侵入の事件>
召集を受けたと嘘をいい、知人より饒別の名目で金銭を編しとった。応召者への送別金を募集・保管していて、使い込んでしまった。出征兵士を見送りに行っているさなかの家または出征兵士の留守宅に入り、物を盗みとった。出征兵士の留守宅に、その妻または妹との情交の目的で侵入した。

<傷害、殺人未遂の事件>
消防組と統合して十四年四月には警防団となる防護団の団員二名
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に、灯火管制下で傷をおわせた。軍事救護資金の拠出割り当てにつき腹を立て、殺害目的で部落総代を切った。

<公文書偽造行使事件>
軍事映画の上映に際して連隊区司令部の推薦状の偽物を造り、これ
を使った。

<不敬事件>
戦争は資本家の利益のためのものだから賛成しない、天皇はその資本家にくっついているだけだ、といった。

このほか、法務局は、生命・身体に対する罪である殺人・堕胎、自由に対する罪である脅迫・営利誘拐・強姦致傷、財産に対する罪である強盗未遂・恐喝・背任・贓物故売(ぞうぶつこばい)・器物毀棄、公共の信用に対する罪である私文書偽造行使、国家の作用に対する罪である証拠湮滅といった罪種とその犯罪者数を提示し、「支那事変を利用する」刑法犯がバラエティーに富む範囲におよぶこと
を明かしている(同上)。
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