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田母神俊雄 平成16年7月 ,9月
航空自衛隊を元気にする10の提言 パートIII

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 中国や韓国は相変わらず靖国神社、教科書、慰安婦、遺棄化学兵器問題など不当な物言いを続けている。そんな場合には、きちんと反論すべきであろうが、これまでわが国はそれを実施して来なかった。短期的な関係悪化を恐れ毅然と反論しなかったことが長期的には国益を損なっている気がする。日本に対し愛国心を持つ普通の国民から見れば、何故日本政府が、外務省がもっと強く反論しないのかと、いらいらすることも多かったと思う。日本全体が外国向けには言論の自由を放棄してきたようなところがある。そのような日本国内において自衛隊は更に言論の自由を放棄してきた。いや、放棄させられてきたというのが正しいのかもしれない。これまで財務省や経産省の局長などが国家政策のあり方等について意見を述べ新聞等で報道されることは多かったが、各幕僚監部の部長等が国の政策について外向けに意見を表明することは殆ど無かったといってよい。自衛隊はその発言がマスコミなどで取り上げられることを避けたいと思っていた。私たちも若い頃はマスコミ等に対し不用意な発言をしないようにと指導を受けることが多かった。自衛隊は、軍人の独走などとマスコミなどで報道されることを極度に恐れていたのだ。そんなことが今の日本で起こり得るわけはない。しかしこのような自衛隊に対する不当な攻撃に対し、将官等の高級幹部でさえも反論できないということが自衛隊の士気を低下させる。反日グループはそれを狙っている。

 昭和53年に栗栖弘臣統合幕僚会議議長が、北方四島にソ連が本格的な基地を建設していることを指摘された。また外国の侵略があった場合、有事法制のない我が国は自衛隊が超法規的に行動せざるを得ないとも発言された。栗栖議長の発言は、自衛官から見てごく当たり前のことであったし、多くの国民もそう思っていたのではないだろうか。しかしマスコミの反応だけは違っていた。栗栖議長は危険な思想の持ち主というような報道が繰り返された。結果的には議長は、国民に対し無用の不安を煽ったとかの理由で、福田総理大臣、金丸防衛庁長官により更迭されることとなった。ソ連の北方4島への本格的基地建設はその後事実であることも明らかになった。当時私はSOCに入校中の1等空尉であったが、仲間うちで、これで更迭されるようなら自衛官は何も言えないというような会話を交わした記憶がある。栗栖議長の更迭は、どれほど自衛隊の士気を低下させたか分からない。制服自衛官にとっては残念無念であった。しかしこれを境に多くの自衛官が不用意な発言はしないという方向に向かったことは事実である。自衛隊の高級幹部でさえも口をつぐむことが多かったと聞いている。国家や国民のためにと思って発言し、その結果も特に悪くはないのに更迭される。そうなると人は自分のことだけ考えようということになってしまう。自衛官が国家や国民を忘れ、自分のことだけを考えるようになったらおしまいである。

 しかし時代は今変わった。自衛隊はインド洋やイラクまで出かけて行動する。石破防衛庁長官の言葉を拝借させて頂ければ、自衛隊が機能する時代になった。自衛隊が現実に行動しない時代にあっては、国家としては自衛隊の士気が低下しても大きな支障はなかった。張り子の虎の自衛隊を整備して、抑止力としてその存在に期待するだけであった。しかしこれからは自衛隊を張り子の虎にしておくことではすまない。行動する自衛隊は士気が高くなければ任務を遂行することは出来ない。石破防衛庁長官は、3月に行われた海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式で、次のように訓示された。

「自衛官は政治に関与してはならないが政治に対して関心を持つべきだと私は思う。そして真の意味におけるシビリアンコントロールというのは、法律や予算の専門家である文官の皆さん、軍事の専門家である自衛官の皆さん方が、国民に対して直接責任を負う内閣総理大臣、あるいは防衛庁長官、政治に対してきちんとした意見を言い、車の両輪として支えることが真のシビリアンコントロールだと申し上げて参ります。いろんなことに対して諸官は、専門的な立場で意見を申し述べることは、諸官の権利であり同時に義務でもあります。それは、民主主義国家における自衛官の義務だと思っております。」

 これまで自衛隊では外向けに意見を言うことは慎むべきだというような雰囲気があったので、自衛官にとっては石破長官の発言は大変にありがたいお言葉である。どれほど多くの自衛官が石破長官の言葉に元気付けられているだろうか。自衛隊の士気は大いに高揚したと思う。昨年の高級幹部会同に引き続き、自衛官にも言論の自由があることを、再び防衛庁長官から明言して頂いたのだ。

 また国の安全保障政策に関する国民の理解を得るためにも、自衛官が国民に向かって発言することが必要である。自衛隊は将来情勢を予測して、各種の行動能力を準備し、我が国政府に対し出来るだけ多くの政治的選択肢を提供しなければならない。10年前に誰が、自衛隊がインド洋やイラクまで行くと予想したであろうか。そう考えると10年後には航空自衛隊の戦闘機部隊が、飛行隊丸ごと海外に展開し、空域の哨戒や艦艇のえん護などの任務に就くぐらいのことは予想しておいた方がよい。必要性が具体的に生じてから準備にかかるようでは何年も遅れてしまう。だから自衛官はそのようなことがあり得ることを国民や政治家に対して説明しなければならない。それでもやるなという政治の決定があれば、もちろん自衛隊は政治の決定に服することになる。しかし国家の方針の決定に当たっては、自衛隊は国家、国民のため軍事専門的見地から意見を述べなければならない。それが普通の民主主義国家のあり方である。わが国ではこれまで自衛官がものを言うと戦争になるなどというウソがまことしやかに伝えられていたのだ。シビリアンコントロールとは自衛官にものを言わせないことではない。「私にも言わせて欲しい」の心意気がいま自衛官に求められている。

 ものを言っただけで大騒ぎになり、職を辞さなければならないような時代はいわば暗黒の時代である。民主主義というのはお互いの考え方を述べて意見を戦わすことが原点である。これまで我が国では反日的言論の自由は無限に保障されていたが、親日的な言論の自由は極めて限定されていたような気がする。繰り返しになるが、南京大虐殺は無かったといって一体何人の大臣が辞めたのだろうか。無かったことが真実であることは今では十分すぎるほど分かっている。その意味で我が国にもようやく本当の民主主義の時代がやって来たと言えるのではないか。そう思っていたら、年金問題で野党の審議拒否が始まった。審議拒否などというのも民主主義の原則に反するのではないか。

 それでは具体的にはどうすればよいのか。私はすぐにでもできるのは月刊誌に論文を投稿することだと思っている。部内の雑誌への投稿に止まることなく外に打って出ることが大事である。正論、諸君、VOICE、This Is 読売などに論文を投稿してみることだ。これらの雑誌に載るということは、かなり多くの国民の目に触れるということだ。安全保障や自衛隊に関する国民の理解が得られると同時に、雑誌に自衛官の意見が載るということにより、若い幹部や隊員たちの士気の高揚にも大いに役立つであろうと思う。隊員にとっては不当なことを言われても我慢しなければならないことと、必要な場合には何時でも意見が言えるということとでは精神的ストレスが天と地ほどにも違う。掲載してもらえるかどうかは論文の出来ばえによると思うが、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」である。積極的にチャレンジしてみればよい。統幕学校では16年度に教官も学生も一人1論文を目標に頑張ってもらおうと計画しているところである。学生の課題作業なども、これを公にすることが国家、国民のためになると思われるものについては、可能な限りこれらの雑誌へ投稿させたいと思っている。学生だってその方が張り合いがあるというものである。


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