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パートIII 1 攻撃は最大の防御なり

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田母神俊雄 平成16年7月 ,9月
航空自衛隊を元気にする10の提言 パートIII

1 攻撃は最大の防御なり


 近年自衛隊と周辺諸国の軍との間で、国家間の信頼醸成のために相互訪問等が頻繁に実施されるようになった。その一環として昨年11月下旬に第5回日韓スタッフトークスが防衛庁内で実施された。自衛隊と韓国軍からそれぞれ約10名程度の制服の人たちが参加した。その席上で韓国側から、自衛隊の統合の強化、防衛庁の省昇格問題などの周辺国に与える影響について懸念が示されたという。当然のこととして日本側から反論が行われた。日本側は、もともと日本国内には自衛隊に対する不信感を持った人たちがおり、それがアジア諸国に輸出された面があると主張した。韓国や中国が我が国の歴史認識や自衛隊の戦力強化について注文をつけ、日本側がこれに対する反論ないしは言い訳をするといういつものパターンである。私はこの会議に出席したわけではなく、人づてに話を聞いただけなので詳細については承知していない。しかし今なお日本と韓国、中国などの間には時々このような事態が起きてしまうことがある。我が国はこれに今後どのように立ち向かえばよいのか。

 日本は、これまで周辺諸国から何か注文をつけられると、これに反論することは実施してきたが、それ以上のことは考えなかったような気がする。そんなに言うならこちらも相手の弱点を攻撃してやろうと思っても良さそうだが、我が国はそれをやったことはないのではないか。相手の法外な要求に対しても謝罪したり、お金を出したりしてその場を収めてきた。すべて我が国の譲歩により一件落着してきたのである。国会答弁における政権与党の立場を貫いてきたようなものだ。国会答弁では質問事項以外には答えないことになっているので、質問者側は一方的に政府を攻撃するだけで、自らの質問によって火の粉をかぶ被ることはない。だから安心してどんな質問でも、或いはどんな攻撃でも実施することが出来る。

 特殊な思想に染まった人は別として、日本人というのは本当に善人であると思う。郷に入っては郷に従えという諺があるが、日本人は日本国内においてさえ外国の人には何でも合わせようとする。日本に来たのだから、あなた達は日本人のやり方に合わせなさいとは思わない。アメリカ人に会えば英語で話さなければならないと思うし、中国人に会えば中国語で話さなければいけないと思ってしまう。またロシア人に会えば抱き合って頬を合わせてしまうし、インド人に会えば両手を会わせてお辞儀をする。ごく自然にそうしてしまっており、多くの人は心の中にわだかまりがあるわけでもない。外国に出かけるときは、イスラム圏では子供の頭を手のひらで撫でてはいけないとか、イギリスではレディーファーストであるとか話を聞かされる。そしてそれを守ろうと一生懸命努力する。このように日本人は外国人に接する場合、いつでも相手のことを考え、相手に合わそうとする。日本人のような善人は他にはいないのではないだろうか。アジアでも中国人も韓国人も日本人のような性向は持っておらず、日本人に特有の性向といえるのではないか。日本人にとってはこのような気配りは当然のことなのだが、日本人以外はいつでもどこでも自分流の生活パターンをくずさない。

 日本人のこのような気配りは、日本人同士の中では大変に心地良い。日本人は相手が譲歩すればこちらも譲歩することが多い。しかし、これは国際交渉の場では通用しない。国益がぶつかる外交の場においては、日本流の気配りは相手に利用されるだけである。我が国が気配りをすれば相手国もやがて気配りをするだろうと思うのは幻想である。我が国が気配りをして、ロシアの北方四島に経済支援を実施しているが、経済支援を続けている限り北方四島が帰ってくることはないと思う。経済支援を止めて、北方四島が返還された暁には経済支援をすると言わなければ永遠に帰らない。北朝鮮に対しても拉致被害者をすべて帰すまでは一切の支援をしないと言えば拉致被害者が日本に帰される可能性は高まるように思えるのだが。もっと尤もそれが出来ない事情が何かあるのかもしれない。

 国際関係においては、気配りは、いい人ではなく弱い人と受け取られる。相手はかさ嵩にかかって攻撃してくるだけである。戦後50数年の歴史がそれを証明している。我が国は決して反撃しないということが分かってしまうと、周辺諸国などから安心して攻撃されてしまうのだ。攻撃すれば反撃されると相手に思わせておくことが重要である。気配りや反論だけで攻撃をや 止めさせることは出来ない。専守防衛は相手にとっては痛くも痒くもない。相手は自分に関することで議論しなくていいから、いつも安全圏に身を置きながら議論ができる。

 だから我が国も相手国に対する攻撃ポイントを準備しておいてはどうかと思うのである。相手の出方に応じて、相手の攻撃相当分以上の攻撃を日本も実施するのだ。相手が攻撃するのはそれによって何か利益を得ることができるからだ。相手に一方的な利益を与えないためには日本も相手を攻撃し利益を引き出すことが必要である。それらの利益が相殺され、トータルで利益が得られなければ相手は攻撃を止(や)める。外交とはそんなものだと思う。交渉相手国に対しては、そのための攻撃リストが準備されていなければならない。攻撃こそが相手の攻撃を止(や)めさせることが出来る。

 また攻撃を考えることによって相手の弱点が見えてくる。そしてそれが投影されて自分の弱点もまたよく見えるようになり、より抜けのない防御の態勢を造ることが出来る。我が国は専守防衛を旨とする国防の態勢を維持しているが、防御のみを考えていては効果的な防御態勢は出来ないのではないか。攻撃を考えないといつも攻撃する側に1歩遅れてしまうのだ。準備が後手になる。自衛隊の中にも相手国への攻撃について徹底的に考える人たちが必要であると思う。そしてその人たちのアイデアで我が国に対する攻撃について考えてみるのだ。それが我が国の防衛態勢をより効果的なものにする。このような観点から米軍ではインターネット攻撃の専門部隊があると聞いている。この面でも我が国は後れをとっている。基地対策やマスコミ対策でも似たようなところがある。相手の攻撃に対して専ら守りばかりを考えていては、1歩ずつ後退するだけである。ここでも攻撃を考えれば後退しないで守ることが出来るかもしれない。「攻撃は最大の防御なり」である。

  • (引用者注)太字は引用者による


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