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(口)軍刑法による造言飛語の防止

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2 気運を統一する

(イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止

(口)軍刑法による造言飛語の防止

造言飛語罪とは
軍刑法である「陸軍刑法」の第九十九条と「海軍刑法」の第百条は造言飛語罪を定める。双方まったく同じ条文である。戦時または事変に際し、軍事に関する造言飛語を禁じている。

造言飛語とは、確かでないこともしくは事実ではないつくりごとや噂を指す。平時ですら人々の心に動揺を与えかねない造言飛語が、戦時または事変下という特異な社会的雰囲気のなかで流
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されたらどうなるか。しかも、その内容は軍事に関するものである。

そうなれば、「軍内の士気を沮喪せしめ、又軍をして不必要なる警戒を為さしめ、延いては作戦の運営にも支障を及ぽす虞あるのみならず、敵国の思想謀略乃至は後方撹乱策動にも利用せらるる危険」すら生じよう(馬場東作『海軍刑法講義案(各則)』)。こうした事態に対処するため、造言飛語罪は設けられた。敵側に利益を与える目的でこの罪を犯せぼ、反乱罪に問われる。

常人である民間人も、陸・海軍軍人も、造言飛語罪の対象となる。前者は普通裁判所、後者は軍法会議で裁かれる。

蘆溝橋事件の起きた直後の昭和十二年七月二十一日、海軍省の法務局長潮見法務官ははやくも造言飛語の発生を懸念し、各鎮守府法務長、舞鶴と鎮海の要港部法務長、各艦隊付司法事務官に対して申進を発している。憲兵や警察などとの協力の下に、その取り締まりに万全を期すように、と。

十四年三月ごろにいたるシナ事変下での造言飛語の内容を、同省法務局はつぎのように分けている(『海軍司法法規」)。
  • (イ)今次事変は日本側の故意の計画的挑戦に基くものなり、と為す想像的流言
  • (口)国民の経済生活が極度に窮乏しつつあり、と謂う流言
  • (ハ)貨幣価値の暴落、インフレーションの襲来等に依る経済機構の破壊を予想する流言
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  • (二)国内資源、殊に食糧の欠乏を来すべしとの流言
  • (ホ)戦況我に不利なりと為す流言、殊に日本軍の敗戦、損害の莫大、戦死傷者に対する処置の不充分、弾薬糧食の欠乏、作戦の過誤、支那軍の優勢、武器の優秀等を説く想像的流言
  • (へ)事変永(ママ)引けぼ暴動起るべし、との流言
  • (ト)戦地に於て軍紀紊乱(びんらん)せり、との流言

ここまでは、同法務局が「悪質的流言」とみているものである。以下、「荒唐無稽なる飛語」とされているものを挙げる。
  • (イ)応召忌避の軍人が憲兵により射殺された
  • (口)軍馬多数がスパイの為、毒殺せられた
  • (ハ)九州地方に敵機襲来、爆弾を投下した
  • (二)軍用船が敵の飛行機により撃沈された

こう列記したのち、法務局は、「事変長期に及ぶに伴い国民の不安は尚多くの悪質的な造言飛語を生むべきことが想像せられる」と、「国民の不安」に造言飛語の発生原因を求めている(同上)。

「国民の不安」が造言飛語の主因となることは、朝鮮人の暴動という大正十二年の関東大震災の
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ときの例を引くまでもなく明らかだろう。昭和十一年の二・二六事件においても流言はかなりあった。十二年末の作成と考えられる支那駐屯憲兵隊北平(北京)憲兵分隊の「復命資料」も、シナ「事変直後は流言飛語盛に行われ、[北平の住民は]門戸店舗を閉じ、外出を禁し、或は保定、天津等に逃れて身の安全を保持する考等少なからず。民心頗る動揺しあり」と告げている(拙編『支那駐屯憲兵隊関係盧溝橋事件期資料』)。

他の法令との関係
当時、造言飛語の取り締まりに用いられていた法条は、軍刑法のそれだげではなかった。普通「刑法」の第八十六条と「警察犯処罰令」の第二条第十六号もそうである。

「刑法」第八十六条は、国の外部の勢力と結んで国家の存立を害しようとする外患罪に関するもので、日ごろの生活にはまずかかわらない。この条は、五か条にわたる外患罪の規定を受けて、「前五条に記載したる以外の方法を以て敵国に軍事上の利益を与へ又は帝国の軍事上の利益を害したる者は二年以上の有期懲役に処す」となっている。

ふだんの国民生活とかかわるのは、「人を誑惑(きようわく)せしむへき流言浮説又は虚報を為したる者」は「三十日未満の拘留又は二十円未満の科料」とする「警察犯処罰令」第二条第十六号である。ここでの「流言浮説又は虚報」は造言飛語と同義に解してよい。
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「警察犯処罰令」と軍刑法の規定のいずれを適用するかは、犯行のときと行為事実の内容によって決まる。平時であって軍事にかかわらない内容の場合は前者が、戦時または事変下であり、かつ軍事に関する内容の場合は後者が適用される。

しかし、シナ事変の始まったころはまちまちの適用だったようだ。昭和十三年四月二十五日からの三日間、司法省で刑事実務家会同が開かれた。席上、同省刑事局の大竹武一郎(おおたけぶいちろう)第一課長は「現下の時局に於ける一般犯罪状況の説明」をこのように口演した(受講者記入「刑事実務家会同順序」メモ)。すなわち、事変当初は「警察犯処罰令」と軍刑法の適用の別がはっきりしなかった。そこで刑事局長の指示で、軍事に関する内容のものは軍刑法違反として検事局に送るようにした、と。第一課は刑事法令案を立てたり、訓令や通牒などに関する事項ほかを司る。

軍刑法どうし、つまり「陸軍刑法」と「海軍刑法」の規定の適用の別であるが、これは内容の如何に求められる。陸軍の軍事に関するときは前者、海軍の軍事に関するときは後者と、おおむね分けられていた(『海軍司法法規』)。
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造言飛語罪の実例
シナ事変が起きてから昭和十四年三月末日までにおいて、普通裁判所の受理した軍刑法上の造言飛語罪の総件数は七五一件だった。内訳はこうである(『海軍司法法規』)。
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「陸軍刑法」違反 起訴 二一六件
不起訴 四九九件
「海軍刑法」違反 起訴 一八件
不起訴 一八件

こうしてみると、不起訴の多いことがわかる。これにつき、さきの司法省大竹課長は同じ口演で、「不起訴相当多し。その理由は、影響少なきこと、軍刑法上、罰金刑なきに比照し又勾留日数等参照」したことに求められ、「不起訴或は無罪となりたるものは『事実に対し意見を付したる』に過ぎ」ない事案だった、と語っている(『刑事実務家会同順序』メモ)。

「海軍刑法」違反で起訴され、処分された造言飛語罪のいくつかのケースをみておこう。右の普通裁判所で受理したものである。

<実刑のケース>
絵師の木△△△△。
海軍の上海特別陸戦隊はかなりの損害を受けた。飛行機の損失も新聞の報道より多く、海軍機だけでも五六機も破損している。禁固十月。扱いは京都地方裁判所。

海産商の孔△△。
台湾から南京を空襲した海軍機のうちの何機かが撃墜された。日本の軍艦がシナの漁民二〇〇人、飛行機がシナの難民四五〇〇人を殺した。禁固四月、罰金三十円。扱いは札幌地方裁判所。
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酒造業の原△△。
新聞などの発表により南京は徹底的に爆撃されてしまったと思っていた。しかし、爆撃に当たった海軍の木更津航空隊には気の毒だが、同地の国民政府や軍官学校の建物はほとんどそのまま残っている。禁固二月。扱いは千葉地方裁判所。

<執行猶予つきのケース>
インク販売業の五△△△△。
海軍機の時速は四五〇キロくらいで、その機銃は一五〇〇メートルほどの有効力にすぎない。ところが、シナ軍機は時速六〇〇キロ、機銃は二〇〇〇メートルも有効だ。海軍機はかないはしない。禁固四月、執行猶予三年。扱いは前橋地方裁判所。

露天商の平△△△△。
琺瑯(ほうろう)の鉄鍋を販売していたときの攻言。現在、日本は四万五〇〇〇頓の軍艦を作っている。だから、いまのうちに買っておかないと鉄が高くなる。禁固三月、執行猶予三年。扱いは広島地方裁判所。

土木工作員の沢△△△。
軍艦に護衛されて、トーチカ作りのために択捉島へ行った。そこでは、集団で飛んできた三〇機もの飛行機が岩のようなところへ水音もなくはいっていく。そのなかには三里四方もの飛行場がある。禁固四月、執行猶予三年。扱いは釧路地方裁判所。

造言飛語は一般社会だけでなく、軍隊内でもあった。十五年十二月十二日、支那駐屯憲兵隊司令官矢野音三郎中将は第百十師団長飯沼守中将に、同憲兵隊司令部の作成した「出征軍人軍属の思想状況」を送付した。同年七月から九月にいたる間の報告書で、同じものは同師団以外の北支
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那方面軍下の軍と直轄師団、日本国内や朝鮮といったところの各憲兵隊司令部などにも送られている。

そこには、「現役兵の党与上官暴行、侮辱又は抗命、軍中逃亡等の思想上要注意の犯罪三〇件三四名にして従来に比し、若干増加の傾向あり」などと、長引くシナ事変下での将兵たちの注意を要する行為事実が記されている。「憲兵の軍事郵便検閲に依り思想上有害と認め押収削除」された郵便物四六三通の報告もある。そのなかには、「造言輩語」九六通もふくまれている。以下は、九六通中からの、北支那方面軍下における「造言輩語」、すなわち造言飛語の例示である。氏名・階級は原文に記されていない。

歩兵第二百三十九連隊の兵。
昨日精神に発作的に異常を来し、兵が自分の銃で咽喉を射って自殺しました。
十数日前、隣の中隊で、下士官と兵が喧嘩をして、銃で射ち合い、二名共死去しました。戦地では滞在期問が長くなるに連れ、此の種の事件が頻々と起きて来るらしい。

独立混成第三旅団独立歩兵第六大隊の兵。
「クリーク」の川に敵が毒を入れて居るので、水を呑んだ者は皆病気になり、今は伝染病が多くて困っている。山西の支那兵には捕虜になっている日本軍人も混っています。

独立混成第六旅団独立歩兵第二十二大隊の兵。
この部隊は入浴を支那風呂へ行く。
昼食から、点呼だ。外出は日曜と水曜。全く出鱈目な部隊だ。

造言飛語とされるこうした言句が日本国内に伝えられれぼ、軍に対する信頼がそこなわれ、挙国一致への盛りあがりに水をさしかねない。事変に向かう国民の気持ちを引き締め、まとめていくために、造言飛語の取り締まりは必要だったのである。なお、報告中の造言飛語のなかに、反戦・厭戦の気運など四囲の状況の様相を、さらにいえぼ、そうした状況への風刺もしくは批判のようなものまでうかがうこともできる。あたらずといえども遠からず、火のない所に煙は立たぬ、といったケースもある。

(ハ)銃後の刑事事件の状況



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