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パートII 10 国家感観、歴史観の確立

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10 国家観、歴史観の確立


 先日新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝先生(東大教授)の話を聞く機会があった。つくる会ではその主張を英語に翻訳して米国で出版しようとしているが、米国の出版社でこれを請け負ってくれる会社がないそうである。戦前の日本の行動を弁護し、米国にも大きな非があったというつくる会の主張を、たとい出版社の利益のためであっても受け入れることが出来ないということなのだそうだ。そういえばマスコミに関しても、少なくとも欧米のマスコミ人は、それぞれの国家に対する愛国心を持っており、国益を損なうと考えるものに関してはそれなりの考えた対応をすると聞いたことがある。翻って我が国の状況を見るに、一部を除きそのようなマスコミ人は存在しない。我が国をおとし貶めてもとにかく日本の暗部をあば暴こうとする。小学校に入ったときから日本国を個人に敵対するものと教えられてきた結果なのだろう。彼らにとって日本国は個人の幸福を邪魔する忌み嫌うべき対象なのだ。そして日本以外の国は北朝鮮でさえも素晴らしい国なのだ。

 自衛隊に入隊してくる人たちも、このような教育を受け同じ世相の中で育ってきた青少年たちである。しかし彼らは入隊後自衛隊の中で教育を受け、また自らいろいろと勉強する内に国家に対する愛情が芽ばえる。しかしそれでもなお多くの幹部自衛官でさえも、日本が中国や韓国にひどいことをした、南京大虐殺があったと思い込まされている。しかし歴史を紐解いてみれば、中国や韓国に対しては経済的に見れば日本は持ち出しだったのだ。回収が投資を下回るような植民地政策を実施した国は日本以外にはない。また南京大虐殺は実際に見た人は一人たりとも存在しないのだ。すべては東京裁判における伝聞証言である。更に東京裁判でさえも正当な裁判であると思っている人も多い。だから戦前の我が国の行動について中国、韓国や東南アジア諸国に謝り続けることはやむを得ないと思っているのだ。しかし歴史の真実はそうではない。東京裁判が誤りであったことは、その執行者であるマッカーサー将軍でさえも米国の議会で証言しこれを認めている。因みにいわゆるA級戦犯と呼ばれる人々が起訴されたのは昭和21年4月29日、昭和天皇の誕生日である。東条総理大臣以下7名の死刑執行が執り行われたのが昭和23年12月23日、現在の天皇陛下の誕生日である。こんなことは歴史の偶然ではないと思う。4月29日といえば当時の天長節、国を挙げて天皇陛下の誕生日を祝う日である。いわゆるA級戦犯とされた人々の起訴が行われたのではお祝いが出来ないではないか。死刑執行が行われたのでは皇太子殿下の誕生日のお祝いが出来ないではないか。

 さて戦後しばらくの間は反日運動は起こらなかった。いや継続的に実施はされていたが日本国内でそれほど盛り上がることはなかった。日本にも、中国、韓国にもそして東南アジア諸国にも真実を体験した人たちが多く存命していたからである。日本の占領地統治が欧米諸国のそれと比較してどれほど慈愛に満ちたものであったか多くの人が知っていた。1982年の例の教科書問題の頃から反日運動が盛況になってきた。真実を体験した人たちが社会の大舞台から引退されるようになったからだと思う。変わって戦後教育を受けた世代が政治や行政や会社の中枢を占めるようになった。この世代は戦後教育を真実の歴史だと思っている。アサヒビールの中條高徳氏が書いた「おじいちゃん戦争のこと教えて(致知出版社)」という本がある。1998年の12月に発売された。これを読んだ国家公務員上級職の超エリートだった人がいる。その人は終戦時、尋常小学校の生徒だったというが、「日本の国がそんなに悪い国ではなかったことがわかって目から鱗だった」と言っていた。すなわち公務員である間は、彼は日本の国が中国や韓国の言うような極悪非道の国だったと思っていたわけである。また先日統幕学校学生に対し、外務省から中国情勢を講義に来たある講師が、学生から南京大虐殺関連の質問を受けたが、ほとんど知識がないのにはいささか驚いてしまった。これでは中国からの抗議に反論できるはずもない。我が国をリードする立場にある人たちにして現状はこの通りなのだ。これは恐らくこの人たちだけに限られる話ではないのだろうと思う。国家としてこの現実をどのように考えればよいのか。

 国家防衛の基盤となるものは愛国心である。国民は国家や国民の歴史、伝統に対する誇りを持たなければならない。まして国を守る自衛官はその先達となる覚悟が必要である。これを民族主義の台頭などと批判する人たちがいるが、我が国を民族主義と言うなら、世界中の全ての国が今までずっと民族主義だったと言わなければならない。少なくとも我が国は、学校で教える歴史教育の内容についてグローバルスタンダードに比較し、民族主義とは正反対の方向に大幅に振れている。偏狭な民族主義は排されなければならない。しかし大昔から和の政治を旨とする我が国に、そんなものが台頭する可能性など心配する必要がない。聖徳太子の時代から仏教の伝来にしろ、大陸文化の受け入れにしろ、我が国は外来のものを国内のものとうまく融合させてきている。民族主義の台頭とか言うのは歴史に無知であるか或いは他に目的があって言っているのだ。

 1980年代のアメリカで、そしてイギリスで、レーガン大統領やサッチャー首相が米英それぞれの国を再生させるため最初に着手したのも国家に対する国民の誇りを取り戻すことだった。統幕学校では今年の一般課程から「国家観・歴史観」という項目を設け、5単位ほど我が国の歴史と伝統に対する理解を深めさせるための講義を計画した。主として部外から講師をお迎えして実施してもらっている。これがきっかけとなり今までこれに関する勉強をしていなかった学生も、真実の歴史に興味を持ってくれれば幸いである。これから信頼醸成のため、関係諸国との間において軍人の相互訪問等がますます盛んになっていく。その際に意見の対立による緊張が嫌でいつでも相手国の言い分を認めるようなことになっては我が国の国益を損なうことになる。その場で一時的な対立状態になろうとも国家を背負って頑張らなければならない。言わなければどんな状況になるのか。この50年の歴史が証明している。なおその場に臨むと反論するのは勇気がいる。昨年のマレーシア訪問の際私はそれを体験した(航空自衛隊連合幹部会機関誌『翼』平成15年9月号参照)。しかし反論しようにも国家や歴史に対する基本的な素養が無ければ出来ないのである。幹部自衛官は明治維新以降の我が国の歴史について勉強し、我が国の歴史と伝統について揺るぎない自信を持ってもらいたい。各級指揮官のその自信が自衛隊を元気にする源である。無知故に、我が国の歴史に対する贖罪意識を持っているようでは部隊を元気にすることは出来ない。

 我が国の戦後教育においては国家というものがすっぽりと抜け落ちてしまっている。他の先進国の国民と日本国民とでは、国家に対する感じ方がかなり違っているような気がする。それは国民に対する国家や歴史に関する教育の違いによるものと思う。幹部自衛官は我が国の歴史や伝統について理解し国民を啓蒙できる能力を育成しておく必要があると思っている。これから部隊指揮官等に配置される皆さんは、この国を愛する正しい国家観、歴史観を確立して、部下隊員を指導することはもちろんのこと、部外における講演などでも国民を啓蒙する気構えを持って頑張ってほしいと思う。


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