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パートII 9 脱「茶坊主」宣言

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9 脱「茶坊主」宣言


 自衛隊においては賞詞を与えるときなど部下を誉める際に「上司の意図を体し‥」という言葉が使われる。それでは上司の意図を体するとはどのように理解すればよいのか。それはそれぞれの上司と部下が置かれている状況によって少し異なってくる。下級指揮官とその部下の場合は、文字通り上司が考えていることを具現化することで十分かもしれない。しかし上級の指揮官と部下の関係においてはそれだけでは不十分である。

 部隊等で業務を実施していると、幕僚作業を経ないで指揮官から「このようにしたい」と意図が示されることがある。しかし直ちにその具現化に走るのは禁物である。上級の指揮官になると状況判断のために考慮すべき事項が多くなり1つや2つは大事な考慮事項が抜け落ちる可能性もある。従ってこのような場合、上級指揮官を補佐する者の心構えとして、果たして上司の意図は任務遂行上正しいのか疑ってみる必要がある。何か重要な考慮要素が欠落しているようなら上司に対して意見具申を行い意図の再確認を実施する必要がある。そして正しいことが確認できてから、その意図の具現化に努力するのである。その確認作業をしないで上司の意図のみを後生大事にすることは、いわゆる茶坊主のすることである。部下が茶坊主ばかりになると指揮官が一歩間違えば部隊は間違った方向に大きく舵を切ることになる。だから茶坊主的に指揮官を補佐する場合、部下としてどれほど誠心誠意でも、それは指揮官にとってあだ仇になることがある。茶坊主は側に置くと心地良いが、指揮官にとっては毒にもなる。

 20代の頃は5年とか7年とか年齢差があると若い部下が先輩の上司よりも広い考察をしていることなどないと言っていい。しかし10年以上もの部隊経験を積んだ3佐や2佐ともなると上司の考えが及ばない部分についても考えが及ぶようになる。上級の指揮官を補佐する場合、上司の考えを具現化する前に、上司の考えが及んでいない部分を補うことが必要である。それにより大きな部隊が正しい方向に舵を切ることが出来るのだ。だから佐官以上の部下ともなれば、上司に対し平生どれだけ意見を述べているかを自ら確認しておく必要がある。勤務半年以上も経過したのに上司の言ったことをひたすら真面目に実施するだけで、何ら採用されるような意見を言ったことがないとしたら、それは真剣に職務に精励しているとは言い難い。もっと勉強しなければならない。3佐や2佐にもなった者が茶坊主であってはいけない。

 さて茶坊主は上司の満足がいつでも最優先であるから、とにかく上司の意図が示されればその実現に突っ走ることになる。しかし自衛隊における部隊の目的は上司の満足ではなく、作戦の目的、目標を達成することなのだ。これに関し部下は上司に対し責任を負うべきであるが茶坊主にはその覚悟がない。茶坊主は、結果が良くない責任は上司にも自分にもなく、状況が悪かった、不運だったということにしたいのである。上級指揮官を補佐する者が茶坊主になってはいけない。軍事作戦においては結果がすべてと言って過言ではない。目標とする結果を招来するために上司と部下は良く意見の交換をして意思疎通をしておくことが大切である。もっと尤も部下が上司に対し意見を言わないのは部下の勉強不足ばかりが原因ではない。上司の側に問題があることもある。上司は部下が意見を言いやすいような雰囲気を造ることが必要である。部下が真剣になっていないときや明確に命令違反をした場合は別にして、部下が一生懸命作った案や部下のやり方に対し、怒ったり怒鳴ったりすることが最もいけないことだ。これを頻繁にやると部下はみんな茶坊主になってしまう。部下がみんな茶坊主になるということは、もはや民主主義国家の軍における上司と部下の関係ではない。独裁国家北朝鮮と変わらないことになる。そうならないために上司と部下は穏やかに話し合わなければならない。それによってより効果的、より効率的な任務遂行が出来るのだ。

 話はやや飛ぶが我が国における政治と軍事の関係では、我が国の政治は戦後、よく自衛隊を怒ったり怒鳴ったりしてきたのではないか。戦前の我が国はといえば今とは全く逆で、5.15事件や2.26事件に見られるように軍が政治家にテロを行っても軍の思いを実現しようとするような行き過ぎがあった。政治は無理矢理軍の意向に添わされたと言って良い。その反動で戦後は制服自衛官にはモノを言わせないという風潮が広がってしまった。だから自衛官は国家に対し茶坊主になるしかなかった。しかし、これらはいずれも民主主義国家における政軍関係のあるべき姿ではない。

 自衛隊が行動しない時代には自衛隊は国家の茶坊主でも良かったと思う。しかし自衛隊の海外派遣が頻繁に行われるような情勢になると、自衛隊が茶坊主であっては我が国の国益を損なうことになる。自衛隊は最終的には政治の決定に従わなければならない。しかしながら国家の方針決定に当たっては、自衛隊は軍事専門的見地から意見を述べなければならない。だから2003年9月の自衛隊高級幹部会同において石破防衛庁長官が、自衛隊は茶坊主になってはいけないと戒められたのだと思う。石破長官は訓示の中で次のように述べておられる。少し長くなるが長官訓示を読んでおられない方のために引用させて頂くことにする。「‥‥。私はこの国において、本来の意味における民主主義的な文民統制を実現したいと考えております。それは主権者たる国民に説明責任を果たし、政治が正確な知識に基づく判断を下すということであります。その過程において、いわゆる軍事の専門家である自衛官のみなさんと法律や予算や技術などの専門家である事務官、技官などのみなさんが車の両輪となり、最高指揮官である内閣総理大臣を支えることがもっとも肝要であります。法律や、予算や、装備・運用に対して、それぞれの専門家であるみなさんが意見を申し述べることは、みなさんの権利であると同時に義務であると考えます。‥‥」。

 昭和53年に栗栖弘臣統合幕僚会議議長が、我が国の有事に関わる法制上の問題点を指摘したいわゆる超法規的行動発言のときには、栗栖統幕議長は国民に対し無用の不安をあおったとかの理由で更迭された。その後自衛官はモノを言わずに言われたことだけやればよいのだというような時期が続いたような気がする。しかしあれから四半世紀を経て今明らかに時代は変わった。石破長官は「制服の自衛官が意見を述べることは権利であるだけではなく義務である」と言っておられるのだ。義務であるからには問題を認識しながら意見を言わなかった場合には義務の不履行になる。栗栖発言は、当時は言ったことが問題になったが、これからは言わないことが問題になるのだ。

 時代が変わっているということを自衛官も認識する必要がある。自衛官も我が国の政治に対し軍事専門的見地から意見を言うべきなのだ。これは自衛隊の将官等高級幹部に課せられた義務であると考えなければならない。自衛官にとってはより厳しい時代になってきたと思う。高級幹部を目指す者は、若いうちからよく勉強し、それなりのことが言えるだけの見識を身につける必要がある。我々の仕事は部隊運用だなどという人がいるが、それでは責任の半分を回避しているようなものである。これまで自衛隊では政治的活動に関与せずということが強く指導されてきた経緯があり、政治家と接触することさえ臆病になっていたようなところがある。しかし政治家を知らずして政治に対し意見を述べることは出来ない。

 かつて私は防衛庁長官政務官を辞めた後の岩屋毅議員のパーティーに出席したことがあった。グランドヒル市ヶ谷で実施されたそのパーティーには、当時の中谷防衛庁長官、石破現防衛庁長官初め歴代の防衛庁長官経験者、現在の安倍自民党幹事長、石原国土交通大臣ら多数の有力政治家が出席していた。そして内局からは事務次官以下ほとんどの局長、参事官とともに一部の課長が出席していた。一方、各幕僚監部はといえばそれぞれ総務課長が出席しているのみだった。また防衛政務次官を辞めた後の自由党の西村真悟議員の出版記念パーティーが九段会館で行われたことがあった。各幕僚監部の出席者はまた同じく総務課長のみだった。政治家及び内局の出席者は岩屋議員の時とほぼ同じ顔ぶれだった。当時自由党はすでに野党になっていたが、なんと野党の西村議員のパーティーにも拘わらず与党の防衛関係議員のほとんどが出席しているのだ。そして内局も政治家の出席状況に合わせたかのように事務次官以下各局長、参事官などが出席していた。内局と各幕の対応の差が如実に現れている。しかしこれでは政治家から見て制服の顔が見えないのではないか。また政治に対し意見を述べるチャンスをみすみす失っているのではないかと思うのである。石破防衛庁長官の訓示を生きたものにするためにも、自衛官も今後は政治家と積極的に接触するよう努めるべきではないのだろうか。国家のため国民のため、政治に対し軍事専門家としての意見を述べるためにはそれが第1歩である。因みに私はこのようなパーティーには時間のある限りお邪魔虫大作戦を敢行することにしている。確かに面倒ではある。しかしそれは自衛隊の高級幹部に課せられた任務ではないかと思う。



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