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パートI 7 訊くな、基準を求めるな

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7 訊くな、基準を求めるな


 部隊等に勤務していると、規則類の細部についてどう解釈すればいいのか疑問が生ずることが多い。特に司令部の幕僚としては、法令の解釈の間違いによって指揮官に迷惑をかけてはいけないという心理が働く。従って「方面隊に訊いてみます」、「総隊に訊いてみます」、「空幕に訊いてみます」ということになる。空幕においては「内局に訊いてみます」、「財務省に訊いてみます」、「経済産業省に訊いてみます」ということがごく自然に行われていることが多い。そして多くの場合訊かれた側も即答できず、調べて回答するということになる。時間が経って回答が届き、担当者としてはこれで法令解釈についてお墨付きを得て、目出度し目出度しということになる。

 しかしここに一つの大きな罠がある。法令の解釈について疑問が生ずるのは、いわゆるグレーゾーンの解釈についてである。明確に解釈できることについてははじめから他人に訊く必要はないので、上記のような事態は生じない。それではグレーゾーンの解釈について問われた側はどう対応するのか。問われた側は法令解釈についてより責任が生ずることになるので、グレーゾーンの解釈については、より安全サイドの解釈をする場合が多い。これが繰り返されると判例的に解釈が定着し、グレーゾーンはだんだん狭くなっていく。それによって通常は部隊の行動にとってより選択肢が減り、より経費がかかることになる場合が多い。

 もうひとつの問題は、訊くことの繰り返しにより上司の意向が明示されないと動けないという体質が出来上がることである。即ち作戦的体質が失われるということである。上司の意向の範囲内で一生懸命頑張りました。結果はあまりよくなかったけれども私の責任ではありませんということになりやすい。これでは任務達成にかける情熱が感じられない。大部隊の指揮官が自分の部隊の行動を細部にわたり全て掌握することは不可能である。作戦の方針や計画の大綱的事項を示し細部については部下指揮官等に任せることになる。部下指揮官等は上級指揮官の意向等全般状況をよく把握し自らの判断で最適行動計画を作り部隊を動かすのだ。自衛隊が行動する場合、細部の状況は常に千変万化する。その際一々上司に指示を仰がないと動けないというのでは任務達成は不可能である。「どうしたらよろしいでしょうか」と訊かれれば、上級指揮官としては「お前はどうしたいのか」と訊き返すことになろう。

 第3の問題は訊くことによって自分の権限や力をどんどん失っていくということだ。自衛隊は服従の重要性を教えるせいか、隊員は一般的に服従心が旺盛で上司の言うことには素直に従う習性がある。それは一方では大変重要なことであるが、他方何かわからないことがあると、自分でよく考える前に上司に訊いてしまうのである。しかしちょっと待って欲しい。グレーゾーンの問題について、自分より権限のある部署等に訊いた場合、万が一法外と思う指導をされたとしてもそれに従わざるを得ない。自分の判断でやれる範囲を自ら狭めることになる。グレーゾーンの解釈については、人により解釈が違うのは当然である。だからグレーゾーンなのだ。だからその解釈については可能な限り自分でやることだ。自衛隊の精強化のため、どこまでできるか、何ができるかという視点で自ら解釈する着意が必要だ。他人に訊くという事は、裏を返せば「私の力あなたにあげます、私はあなたのコントロールを受けます」ということだと知るべきである。しかしながら中にはどうしても訊くことが必要なこともあるだろう。私は絶対に訊くなと言っている訳ではない。簡単には訊くなと言っているだけである。そして訊く場合には自分の力を失うかもしれないという覚悟が必要である。

 もうひとつ付け加えたいことがある。訊くことと類似の事項として「基準を示して欲しい」というのがある。航空自衛隊は業務がSOP化されているせいか、ルーティンの業務をこなすことは大変便利になっている。しかし長い間SOPに従って業務をこなしていると、自ら考える習慣が失われていく。何か基準がないと途端に仕事ができなくなる。ルーティンではない仕事をするときに「これは基準が決まってない。空幕で何か基準を示してくれればいいんだが」というような例はよくあることだ。そして空幕に基準作りをお願いし、お願いされた空幕も基準を示すということが相互に無意識のもとに行われているのである。日本人特有の横並び意識もあると思うが、ルーティンではない1回限りの仕事に基準を示すことを求めるべきではない。基準が示されていなければ、自分の裁量の範囲が広げられているとアグレッシブに考えてはどうだろうか。「そんなに細かい基準を示さないでくれ。やりづらくてしょうがない」というくらいの元気があっていい。基準が示されていないことは自分の権限を拡大するチャンスなのだ。上級部隊等もまた要請に応じて簡単に基準を示すべきでない。部下指揮官等が自ら判断し、自ら決心するよう部隊等を指導したほうがいい。部隊毎に指揮官毎にやり方が違うことを許容しなければならない。もしそうでなければ部下指揮官の存在意義がなくなってしまう。統一するのは真に必要なものに限定することだ。そうしなければ千変万化する状況下で効果的に任務遂行ができる強い部隊を育成することは出来ない。統一の極致は全体主義である。部隊の行動が統一されていないとどうも落ち着かないという人は、頭の中が全体主義に侵され始めている。

 「訊くな」、「基準を求めるな」というと、一般的に指導されていることには反するかもしれない。しかし空自の現状を見るに訊き過ぎ、基準の要求し過ぎのような気がする。例えば今、自宅から2百メートルほど離れた駐車場にいて、車を20メートルほど移動することが必要になった。このとき運転免許を携帯していないことに気がついた。もし車を動かしたら免許の不携帯に当たるか。これを警察官に訊いた後でないと行動に移せない、というような仕事をしていないかどうか反省してみる必要があろう。訊かれた方はそれは不携帯に当たらないとは言えないであろう。自分の責任で処置してくれと言いたくなる。何事も行き過ぎは修正されなければならない。決められたことを決められたとおりやるだけの航空自衛隊になってはいけない。 「俺のやりたいようにやらせろ、必ずみんなが満足する結果を出してみせる」というくらいの元気のある部隊長がいっぱいいて欲しいと思うのである。

  • (引用者注)太字は引用者による


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