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【琉球新報】岩波・大江訴訟 あす控訴審判決 鳥山淳さんに聞く「住民証言の意義確認を」
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岩波・大江訴訟 あす控訴審判決 鳥山淳さんに聞く「住民証言の意義確認を」
2008年10月30日
岩波・大江「集団自決(強制集団死)」訴訟では沖縄戦継承のために掘り起こされた住民証言が俎上(そじょう)に載せられ、信ぴょう性が検証された。その是非について沖縄国際大学南島文化研究所特別研究員の鳥山淳氏に聞いた。
―住民証言が法廷の場で検証されたことをどう考えるか。
「法廷で検証されるのは残念なことだ。事実関係を確認することは必要だが、住民の証言が断片的に切り裂かれ、都合の良い部分だけが使われることになってしまう。戦争の痛みを継承しようとする思いが置き去りにされてしまうことに注意する必要がある」
「法廷で検証されるのは残念なことだ。事実関係を確認することは必要だが、住民の証言が断片的に切り裂かれ、都合の良い部分だけが使われることになってしまう。戦争の痛みを継承しようとする思いが置き去りにされてしまうことに注意する必要がある」
―一審判決で住民証言の信用性が評価された。
「事実認定に一喜一憂していいかは疑問。そもそも法廷で検証されるべき問題ではないことを忘れてはならない。戦争体験の記録は戦争の傷や極限状態の体験をどう表現するか、悩み考えつくられてきた。体験者がどのように語り次世代に引き継ごうとしたかを含めて評価されることが重要」
―住民証言が俎上に載せられた影響は。
「聞き取り作業が始められた当初は、証言はあいまいだから記録として価値がないという論調もあったが、戦争体験の証言がこれまで沖縄戦の歴史として築き上げられ、社会に認められてきた。裁判による記録の検証はその意義を塗りつぶす行為になりかねない。読み手、聞き手側が今後、裁判のように信用性を意識したまなざしを証言者へ向けないかという危惧(きぐ)もある」
―沖縄からこの訴訟をどうとらえるべきか。
「裁判になった以上、戦争体験の記録が検証されることは避けられないが、事実確認に集中する法廷の論議に社会が引きずられないことが大切だ。住民自身が戦争体験を表現し伝えてきたこと自体の意義を確認する機会として訴訟に向き合うべきだろう」