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前夜 p131

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「沖縄決戦 高級参謀の手記」八原博通 (1972年読売新聞社)
第一章 作戦準備 p131

前夜


  硫黄島の作戦が絶望に近づくにつれ、アメリカ機動艦隊や潜水艦隊の制空、制海行動はいよいよ熾烈となり、南西の海は今やまったくアメリカ軍の独り舞台となってしまった。北は鹿児島、南は基隆から最後の補給輪送を遂行せんものと、わが輸送船は統々出港するが、沖縄を去る遥か遠隔の海上で撃沈破され、徳之島や宮古島にさえ辿りつけぬ有様である。わが沖縄島は文字通り孤立してしまった。かかるうち、敵の大輸送船団はウルシー、レイテ両方向より続々集中的に沖縄に向かい接近しつつありとの報頻々である。山雨到らんとして、風楼に満つ。将兵、そして全島民は、今や疑いもなく襲いかからんとする運命に抗すべく、寂然として決意を固めるのみである。

  三月二十一日夜、軍参謀長の命なりと、坂口副官から次の伝言があった。

  「明早暁内地へ連絡機が出発する。おそらく最後の便と思われるから、故国に送る書信のある者は、今夜中に参謀長宿舎に提出せよ」

  これが最後と観ぜられた参謀長の、部下将兵たちの身上を察しての心憎い取り計らいである。

  夕食後の灯火のほの暗い部尾に独座して、故郷米子に疎開している家族に最後の手紙を書く。長男は米子中学の入試がすでに終わったはずだが、知る術もない。小学三年の次男の手紙、「お父様はいつ沖縄の黒糖をおみやげに帰って来るの。帰るのが決まったら、何月、何日、何時、何分、何秒に米子飛行場に着くか知らせて下さい」を思い出す。とつおいつ、万感去来して筆が進まぬ。毎夜のようにお茶を運んで来た勝山が、私をしんみりと眺め、黙したまま部屋を出て行った。

  広大な男爵邸の、遠く廊下を渡った部屋部屋に住む青年将校たちは、同じ思いに、最後の便りを認めているのか、森として話し声一つ洩れない。鳴呼かくて悲劇の前夜、多情多根春三月の夜は沈々として更けてゆく。



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