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3月20日頃は決戦必至緊迫の時期
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3月20日頃は決戦必至緊迫の時期
藤岡信勝氏は、世界日報(統一教会)でこんなことをいう
第三に、信憑性に疑義のある資料の引用が認められた。東京書籍「日本史A」は渡嘉敷島について次のように書いた。〈日本軍はすでに三月二十日ごろには、三十名ほどの村の青年団員と役場の職員に手榴弾を二こずつ手渡し、「敵の捕虜になる危険が生じたときには、一こは敵に投げ込みあと一こで自決しなさい」と申し渡したのです〉。
これは富山真順証言と呼ばれるもので、専門家として意見聴取に応じた秦郁彦氏も意見書のなかで、3月20日は日本軍が米軍の慶良間来攻を予測していなかったことなどを理由に資料としての信憑性に疑問を呈していたものである。専門家の指摘を無視して記述を承認した日本史小委員会の見識が疑われる。
(藤岡ブログ=「世界日報」07年12月27日付けより転載 「沖縄集団自決」教科書検定 「反軍イデオロギー」全面容認の愚 http://fujioka-nobukatsu.blog.so-net.ne.jp/2007-12-29)
しかし、
- 「沖縄決戦 高級参謀の手記」前夜 p131
- 島尾敏雄「那覇に感ず」より
当の座間味島の指揮官も。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/771162/
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/771162/
したがって、
専門家の指摘を無視して記述を承認した日本史小委員会の見識が疑われる。
というよりも、秦郁彦氏の
専門家としての見識が疑われる。
といった方が適切である。