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速報『藤岡意見書の訂正』
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速報『藤岡意見書の訂正』
まずは、速報元である目取真俊さんのブログを読んでください。
そこに記されている
「沖縄戦集団自決問題に関する意見書2の訂正」はPDFをあけてみると、なんと『10月15日』の日付です。控訴審結審後36日もたった訂正文が、果たして裁判所から受け付けられるのでしょうか?
「沖縄戦集団自決問題に関する意見書2の訂正」はPDFをあけてみると、なんと『10月15日』の日付です。控訴審結審後36日もたった訂正文が、果たして裁判所から受け付けられるのでしょうか?
訂正文
意見書(2)の一部訂正について
平成20年10月15日 藤岡 信勝
8月28日付けで提出した私の意見書(2)の3ページ20~21行目、「6月23日」を「4月18日」に、4ページ2行目、「田中登村長」を「宮里正太郎村長」に訂正いたします。
訂正に至った事情は次のとおりです。
意見書(2)をとりまとめたのは8月末でしたが、意見書の文面のすべてについて意見書の主要な情報源となった宮平秀幸に目をとおしてもらう余裕がありませんでした。去る10月2~3日、座間味島を訪問し、宮平からの確認によって、上記2点の誤りが発見されたものです。
なお、第2点の、宮平を叱責した「村長」が誰であったかという点については、そのことがあったのちの翌年、記録社の撮影に先立ち、田中登村長の妻が秀幸の母・貞子に、集団自決の真実を秀幸が語ることのないよう圧力をかけました。そのことは宮平陳述書にあるとおり間違いのない事実ですが、そのこともあって、前年の読売テレビの放映後、宮平を叱責した「村長」も田中登であったと誤認したものです。(以上)
訂正1
訂正前の藤岡意見書(2)原文はこうです。
記録社の撮影が行われたのは1992年の夏と推定されますが、その前年の1991年6月23日夕刻、大阪の読売テレビの取材陣が秀幸の家にやってきて、集団自決に関わる忠魂碑前の出来事についての証言を求めました。すでに日没後で、民宿を経営していた秀幸は泊まり客から細長い筒状の水中用懐中電灯を借りて忠魂碑前に取材陣を案内し、そこで電灯を付けながら証言しました。その中で、秀幸はうっかり、しゃべってはいけないことをテレビカメラに向かって話してしまいました。それは、忠魂碑前で村長が解散命令を出したという事実です。
訂正2
訂正前の藤岡意見書(2)原文はそれに引き続く部分です。
階段の上から二段目に立って村長が解散命令を出したことを、現地に立った秀幸は、話すつもりはなかったのに、つい口をすべらせて語ってしまったのです。
この取材後、何日か経ってから、秀幸は田中登村長に激しく叱責されました。「あんなことをしゃべっちゃいかん」というわけです。なお、私は、放送を録画した古いビデオが秀幸の自宅の倉庫にあったのを送ってもらいチェックしました。「戦後なき死」というタイトルで放映された番組の中に、忠魂碑前での秀幸の短いコメントが入っていましたが、村長の解散命令の部分はカットされていました。テレビ取材陣が裏付け取材をする過程で村当局がカットすることを求めたためかもしれず、その経緯の詳細は不明です。
被控訴人からの反証
これら訂正は、次のような大江・岩波側からの反証をかわす為だと思われますが、
乙108の1の秀幸ビデオ証言(1992年)の際に田中登村長の妻が貞子らに圧力をかけ、貞子らが付きっきりで証言をチェックしたとし、秀幸陳述書(甲B142・4頁)にもその旨の記載がある。
しかし、ビデオ証言のインタビューを行った者はそのような事実はなかったとしており(乙118電話聴取書)、また、当時田中元村長はすでに1990年12月に死亡していた(乙117宮城晴美陳述書、乙119沖縄タイムス記事)。さらに、貞子は慢性呼吸不全の病気治療のため1991年から本島に住んでいたもので、秀幸のビデオ証言に立ち会うはずはなかったものである(乙117宮城晴美陳述書)。
また、藤岡意見書(2)3頁は、1991年6月に秀幸が読売テレビの取材に対し、忠魂碑前での出来事について証言し、何日か後に秀幸は田中登村長から激しく叱責されたとしているが、田中登元村長はすでに1990年12月11日に死去していたものである(乙119)。田中村長から脅されたためにビデオ証言の際に忠魂碑前の出来事について証言できなかったとの秀幸の供述が虚偽であることは明白である。
★被控訴人準備書面(5):藤岡意見書及び宮平秀幸証言の信用性2008.9.9
果たして、日付と名前を変えることによって、藤岡信勝氏の意図は達成されるものなのでしょうか?
無視?
既に故人となった方々のことならなんとでもいえますね。田中登村長とご家族への謝罪の言葉すらありません。あまりにも見っとも無いせいか、いまだに原告側支援サイトからも無視され、この訂正文は掲載されていません。
掲載されてないといえば、「沖縄戦集団自決問題に関する意見書」もそうです。まさに、藤岡信勝氏のひとり相撲。藤岡氏の私的サークル『自由史観研究会』サイトに、こそ~りと掲載されました。
http://www.jiyuu-shikan.org/
○歴史論争最前線 2008年10月20日UP
○歴史論争最前線 2008年10月20日UP
- 『沖縄戦集団自決問題に関する意見書』
↑ 藤岡ホームスの爆笑推理、必読です - 『沖縄戦集団自決問題に関する意見書2』
- 『沖縄戦集団自決問題に関する意見書2の訂正』