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(11)海上挺進戦隊顕彰之記 斉藤義雄
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(11)海上挺進戦隊顕彰之記 斉藤義雄
昭和十九年戦局の頽勢を挽回すべく、船舶特別幹部候補生の少年を主体とし全陸軍より選抜せる下士官、将校野(※ママ)精鋭を以て編成されたる陸軍海上挺進戦隊は、二五○キロ爆雷を装備せるベニヤ製モーターボートにより一艇以て一船を屠るを任務とし、此処幸之浦の船舶練習部第十教育隊に於いて昼夜を分かたぬ猛訓練に励み、第一戦隊以下三十ケ戦隊が同年九月以降続々沖縄、比島、台湾への征途にのぼり、昭和二十年一月比島リンガエン湾の特攻を初めとし同年三月沖縄戦に至る迄壮烈鬼神も泣く肉迫攻撃を敢行しその任務を全うせし者或は戦局の赴く所己むをえず挺身陸戦に転じ奮戦せし者を含め戦闘参加の勇士二二八八名中再ひ帰らざる隊員実に一六三六名の多きに達し挙げたる戦果敵艦船数十隻撃沈、誠に嚇々たるものありしも当時は、秘密部隊として全く世に発表されざるままに終われり。而して又第二次訓練再開されるや第三十一戦隊以下十ニケ戦隊が九州、四国、紀州の各地に展開し米軍の本土上陸に備え更に第四十一戦隊以下十一ケ戦隊は終戦当時当地に在り原爆投下直後の広島市民の救出残骸の整理に挺身活躍同年十月艇を焼き部隊解散せり。 此等教育期間中の殉職者も数十名に及び又各戦隊に配属されたる基地大隊も戦隊出撃後は陸戦に殉じ殆ど生還するを得ず。その運命を共にせるものの如し。祖国の為とは言え春秋に富む身を国に殉ぜし多数の若者の運命を想う時誠に痛惜の念に堪えず。ここにその霊を慰め後世に伝える為この碑を建立するものなり。
昭和四十二年十二月三日
元教育隊長 斉藤義雄
元教育隊長 斉藤義雄
所在地 広島県安芸郡江田島町幸之浦区字サクラカワ 一三六八○番地
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