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七 性の蹂躙と中国女性の抗日意識

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中国女性にとっての日中十五年戦争

七 性の蹂躙と中国女性の抗日意識

南京事件におけ婦女凌辱に象徴されるように、日中戦争における日本軍の侵略行為は、中国女性にとっての「性の蹂躙」という側面をもっていた。したがって、抗日戦争は中国女性の性と人権を守る戦いでもあった。よく知られるように抗日根拠地(解放区)においては、女性がめざましい活躍をして八路軍や新四軍、抗日ゲリラ部隊の活動を支援したのは、そのような日本軍の性の蹂躙から自らを守るという側面をもっていた。

日中戦争期に日本軍が広く中国全土の作戦地域において婦女凌辱行為を行ったのは、私が指摘したことのある次のような日本軍の特質とも関係がある。

「日本の軍隊は兵士個人の人権を抑圧し、その生命を武器よりも軽く扱うことがあった。戦場
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においても兵士の体力や精神を無視した作戦が強行された。そうした非人問的な待遇に対する反発や不満の捌け口として、性的蛮行が放任された。
そのために戦闘行為とはまったく関係のない中国の婦女子が強姦の犠牲になった。強姦は軍法規で厳禁されていたため、逆に憲兵その他に知られまいとして、犯した後に殺害して証拠隠滅をするケースが多かった。日本軍は、軍直営の慰安所を設置し、従軍慰安婦(日中戦争期、約一〇万人の朝鮮人女性が慰安婦にされたといわれる)に売春行為を強要したが、女性を兵隊の性欲処理の対象としてしかみなかった軍隊のありかた、ひいてはそうした性意識をささえた当時の日本社会のありかたとも無関係ではなかった。」(拙稿『「蝗軍」と紅軍』『週刊朝日百科 世界の歴史124 兵士と銑後』一九九一年)

婦女子を凌辱された中国人の怒りは、個人的なレベルでは、たとえば、一九三九年六月に日本の南京総領事官邸で発生した「南京毒酒事件」などにあらわれた。それは、外務政務次官歓迎の宴会で、妻を日本兵に犯された中国人がその恨みをはらそうとして毒酒をいれて関係者の毒殺を図ったもので、外務書記生二名がその犠牲になった(外務省百年史編纂委員全『外務省の百年』原書房、一九六九年、一四七〇頁)。

しかし、中国人全体にとっての民族的な怒りは、中国国民政府軍事委員会が一九三八年七月に発行した写真集『日寇暴行実録』に端的に示されている。日本軍の残虐行為が、「炸(都市爆撃)」「焼(放火)」「殺」という大見出しのもとに生々しい現場の写真を掲載して告発されているが、「姦(強姦)」と大見出しの頁には次のような激文がしるされている(訳は笠原)。
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「日本の軍閥は、中国を侵賂・併呑する迷夢を実現するために、兵隊を続々と中国に送り込んでは死に追いやっている。しかし、日本軍には出兵の大義がないため、もっとも卑しい手段を弄せざるを得ず、『中国姑娘(クーニャン一』を手に入れることを士気を鼓舞する唯一の手段にしている。
そのため、日本軍に占領された地域では、何千何万の女性同胞が、屠殺よりも凄惨な強姦の犠牲になっている。首都南京において、山西省、山東省南部、准河の南北、太湖沿岸およびその他の被占領地において、獣性を発揮した日本軍は、白昼の往来で我々の女性同胞を一糸まとわぬ裸にして玩び、凌辱し、輪姦しているのだ。八歳の幼女から七〇歳の老婦までも凌辱から免れることはできない。
もっとも残酷なことに、輪姦された後にさらに惨殺されるのだ。時には軍刀で乳房を切り取られて白い肋骨が剥き出しになり、時には銃剣で下腹部が切り裂かれ、死ぬまで悲痛な坤き声をあげながら道端に捨てられている。また、日本兵達は、中国女性のバギナに棒切れや葦棒、大根などを差し込んで、いびり殺し、それを傍らで手をたたき、笑いながら見物している。このような人間世界と無縁なけだものの行為は、人をして戦慄させずにはおかない、これが彼らのいう『武士道精神』なのだ。
我々には誰も妻がありそして姉妹がある。もしも我々の前線でこれらの野獣を葬り去らなければ、我々の妻子姉妹が強姦殺害されることになるのだ。我々の妻子と姉妹を守るために、危険な災難の渦中にある我が女性同胞を救うために、ただ日本軍を殲滅させることあるのみ。」
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この激文からも、日本軍の中国女性に対する凌辱行為が、中国国民の対日敵愾心をわきたたせ、大多数の民衆を抗日の側にまわらせ、中国の対日抵抗戦力を形成させる源泉となったことがわかる。日本人が軽視ないし蔑視していた中国民衆の民族意識と抗戦意志は、これによって発揚され、高められていったのである。


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