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史料発掘:南京虐殺の現場と写真

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史料発掘:南京虐殺の現場と写真

 

 

熊猫さんの情報によれば、南京における虐殺の、歴史資料に足る条件を備えた写真が発掘されたそうです。

 

日本の戦争責任資料センター 
http://space.geocities.jp/japanwarres/
★『季刊 戦争責任研究 第58号』日本の戦争責任センター 2頁~16頁
特集 南京事件と日本社会
史料発掘 南京虐殺の現場と写真 一砲兵の陣中日記と回想録より
解説・笠原十九司
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/somokuji3.htm#58


写真は3点ありますが、いずれも、「誰が、何時、何処で撮影し、どのように所持されていたかが、判明していることにおいて、南京事件の虐殺現場の写真としての史料価値のある写真といえよう。」(笠原十九司)という貴重な資料です。

 

写真所有者:故・永井仁左右氏
上海派遣軍直属独立野戦重砲兵第15連隊第2中隊観測小隊通信掛下士官(砲兵伍長)。
任務は10センチカノン砲の観測所を設置し砲陣地まで電話線を敷設して射撃目標を指示する。


写真撮影者:小池上等兵
永井伍長の部下。通信掛車(フォード車を使っていた)の運転手で、趣味でカメラを持っていて部隊員のスナップ写真を撮影。


撮影日時・場所:1937年12月14日南京城外仙鶴門鎮で収容した大軍の捕虜の、分割「処置」。

笠原氏の原論文では、故・永井仁左右氏が残したアルバム、戦地で記した「陣中日誌」、および後年認めた「回想録」などの書き起こしと、詳細な分析がなされています。


以下に、写真とその説明を引用しておきます。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(引用開始)

写真3(クリックすると拡大)
写真3

写真3
写真帖に「仙鶴門鎮捕虜の一部」と解説がある。この写真に「敵はキレイな服装。我々は乞食以下」という永井さんのメモが付けられているので、永井さんの陣中日誌と回想録の12月14日の記述にある永井さんが仙鶴門鎮で見た、一中隊が武装解除した一万五千の中国軍捕虜の写真であることがわかる。永井さんの回想録、そして中島今朝吾日記にあるように、これらの大軍の捕虜が分割されて処理一虐殺一されたのである。

(引用者注:原論文によれば、アルバムとは永井さんが所属した野戦重砲兵第15連隊のアルバム。前半には行軍地図と部隊のスナップ写真が印刷されており、写真3はその一つ。後半は10ページの自由ページで個人写真が貼られている。写真4、5、6の3枚はそれらとは違う、アルバムに差し挟まれた「戦地写真」と記された封筒の中にあった。永井さんのメモに「憲兵の検閲にあうと取られる為、台紙の中にかくして持ってきた」とある。)

 

写真4(クリックすると拡大)
写真4

(個人写真)より
写真4
「憲兵の検閲にあうと取られる為、台紙の中にかくして持ってきた」と永井さんが密かに持ち帰った写真。永井さんが元さんに写真を見せて解説したメモ書きがあり「首を切り落として刀をみているもの」「南京落城後、南京城外、日本兵の名は特定できず。運転手の小池上等兵撮影、首の肉は肩にメリ込むものである」とある。写真は永井さんの回想録にも記述されている敗残兵、捕虜を座らせて日本刀で首を斬り落とす「据え物斬り」の場面である。永井さんの一二月一四日の回想録にある仙鶴門鎮で収容した大軍の捕虜について、「誰でも何人でも引き取って切りたいだけ切ってよい」という指示が出ていたというから、この写真もそうした場面の可能性もある。

 

写真5(クリックすると拡大)
写真5

 

写真6(クリックすると拡大)
写真6

 

以下の写真5、6もすべて小池上等兵が撮影した写真である。小池上等兵は、アルバムの個人写真の頁に、永井さんとツーショットの写真がある。永井さんの部下で、通信掛車(フォード車を使っていた)の運転手で、「品川車座主人」と永井さんのメモ書きが付してある。小池上等兵が趣味でカメラを持っていて、部隊員のスナップ写真を撮影し、現地にある写真屋で現像させて隊員に分けてあげていたらしい。アルバムに貼られた永井さんの個人的な写真の多くは小池上等兵が撮影したもののようである。小池上等兵のように部隊内の自称写真係として比較的自由に写真が撮影できたアマチュアカメラマンが貴重であったのは、公式な報道班ではないので、軍部の検閲を受ける必要がなかったことである。そのため、このような虐殺場面の写真を撮影でき、現像して、永井さんのように密かに日本に持ち帰ることができたといえる。

(中略)

 

写真5、6。
写真の裏に永井さんの字で「南京」と書いてある。永井さんが元さんに写真を見せて解説したメモ書きに「南京落城直後、城壁の一隅、小池上等兵写す」とある。この二枚の写真は、「南京の戦闘」と題した永井さんの回想録にある「城壁の隅に多数押し込めて鉄条網を張り機関銃で射殺した」現場の写真である。永井さんが部下の運転手の小池上等兵と一緒に目撃した場面であろう。

 

写真5は、虐殺直後の場面と思われ、周囲に日本兵が立っている。殺害されたのは軍服と坊主頭から捕虜と思われ、後ろ手に縛られたままである。

 

写真6は、写真5とは違う場所で、城壁の隅で集団虐殺された現場である。鉄条網もすでに切断されており、死体のようすからも虐殺されてから少し時間が経過しているようである。死体はやはり後ろ手に縛れている。

 

以上、写真4から6は、誰が、何時、何処で撮影し、どのように所持されていたかが、判明していることにおいて、南京事件の虐殺現場の写真としての史料価値のある写真といえよう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(引用終了)

 

なお熊猫さんは
上記写真5が、「16枚の写真帖」の中の虐殺写真と同じ場所の写真であることを発見し、証明しました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=920723188&owner_id=6258915&org_id=922657243


【老婆心ながら】
論文に掲載された写真は、コピー機で複写したものでしょうか?
もしそうなら、高精細設定にしたスキャナで複写すれば、もう少し細部が鮮明になると思われます。

 

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