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大江・岩波沖縄戦裁判控訴審が結審しました!

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「破綻した宮平秀幸証言」

大江・岩波沖縄戦裁判控訴審が結審しました!


 控訴人(梅澤・赤松氏)側はあいかわらず準備書面の提出期限を守らず、なんと口頭弁論の4日前の9月5日になってから、宮平秀幸陳述書なるものを出しました。

 まず宮平秀幸という人物とその証言を紹介します。

 秀幸氏は座間味島で「高月」という民宿をやっていましたが、そこに泊まる宿泊客やあらゆる媒体に積極的に集団自決の証言を語ってきた人物です。そんな彼の証言をジャーナリスト鴨野守氏(「世界日報」記者)が雑誌記事にまとめたものが、秀幸氏の証言として提出されました。

 その内容というのは次のようなものです。

 1945年3月25日午後10時頃宮里盛秀助役ら村の幹部と宮城初枝さんが本部壕を訪れ梅澤隊長に自決用の弾薬などの交付を求めた際、そこには野村村長もおり、秀幸氏は隊長付き伝令としてその傍らでやり取りを聞き、その後に秀幸氏は村長や助役ら村幹部らの後について忠魂碑前に行き、午後11時頃、村長が村民に対し「部隊長から自決するな、避難させなさいと命令されたので解散する」と告げるのを家族と共に聞いたというものです。

 しかし、この証言は母貞子さんの座間味村史にある証言(秀幸氏を含む家族7人がその日は忠魂碑前に行っていないというもの)とも、彼自身が証言しているビデオドキュメント『戦争を教えてください・沖縄編』第二部『捕虜第1号が語る』(1992年記録社制作)(隊長付き伝令であったことも村長が忠魂碑前で演説したことも述べていない)とも食い違います。また、1987年に『小説新潮』の本田靖春氏の取材をうけて本人が語った記録や宮平春子さんや宮城初枝さんの証言とも食い違っています。そして、彼自身が伝令だったという事実もないということが本部付き伝令だった人物によって立証されました。こういった事実を被控訴人弁護士が準備書面で指摘したところ、控訴人は藤岡意見書を提出し、辻褄あわせを試みました。しかし、藤岡氏が憶測をたくましくして食い違いの理由をどう解釈したところであまりにも決定的な食い違いに、秀幸氏の証言の虚偽性はますます高まるだけでした。

 藤岡意見書でも、秀幸氏を評して、場面を描写的に再現する語り方をする証言者で、体験したことでないのに自分の直接体験であるかのように語る人物であり、自分が語りたいと思うことを文脈抜きで語る傾向があり、あまりにもビビッドに語るので彼がその場にいたのだと錯覚したこともあったとしています。

 彼のそういう性格は地元では周知の事実のようです。その場その場でカメレオンのように変わっていく証言を読んでいくと、自分の証言に関心を持ってくれる人たちにすりより、その人たちが好むように話を組み立てていったとしか考えられません。そんなすでに破綻した証言しか出してくるしかないところに、控訴人たちがいかに窮地に追い込まれているかが容易に見て取れます。

 最終的には食い違いの大きさを藤岡意見書ではいかんともしがたいと判断したのか、秀幸氏自身の陳述によって再度の食い違いの辻褄あわせをはかるしかなかったというところが、口頭弁論4日前の9月5日の宮平秀幸陳述書の真実なのかもしれません。しかし、彼らが藤岡意見書を出したり今回の陳述書を出せば出すほど彼らの論理の破綻は鮮明になりました。

 具体的に言えば、秀幸氏は鴨野守氏の記事によれば「私は戦隊長付きの伝令として梅澤隊長の2メートルそばにいました」とされていましたが、梅澤隊長自身が藤岡氏のインタビューに対して、村長は来ていなかったと強く否定し、秀幸氏がいた記憶も無いと言っているのです!なんというお粗末さでしょう。

 そして宮城初枝さんも秀幸氏がいたと述べていないと指摘されると、今度は、家族のもとへ帰るよう指示され整備中隊の壕から家族のもとへ帰る途中、本部壕の脇にたどりつき、中から人の声が聞こえたので、壕の入り口にかけられていた毛布の影から助役と梅澤隊長のやりとりを偶然盗み聞きした。そのため、梅澤隊長や助役らからは見えない位置にいたと述べています。余りにも稚拙極まりない辻褄あわせで幼い子どものうそですらもう少しまともだろうと思いました。この辻褄あわせの結果、かえって秀幸証言は隊長つきの伝令としてその場にいいなかったことを立証することになったのです。

 しかも、1991年6月に読売テレビの取材に対し、忠魂碑前での出来事について証言したところ、田中村長から厳しく叱責されたとして、これをもって忠魂碑前での出来事を話さないように田中村長から脅されたとしており、藤岡意見書・秀幸陳述書には1992年のビデオ取材の際には田中村長から脅されていたので梅澤隊長が自決を止め、村長が忠魂碑前で村民を解散させたことを話すことができなかったとしています。ところが驚くべきことに、田中村長は1990年12月11日にすでに死去していることが、宮城晴美さんや沖縄タイムスの奔走でわかりました。死人に口なしをいいことに、死んだ村長にまで責任をなすりつけ、うそにうそを重ねた陳述書を出す控訴人の魂胆が露呈されました。

 当日の控訴人陳述では、宮平秀幸証言に触れることは墓穴を掘ることになると考えたのか、すべては藤岡意見書にあるということで言及しませんでした。

 さて、今回の裁判では、最後に裁判の目的についてお互いが触れています。

 被控訴人側の弁護士が、この裁判の目的が個人の名誉毀損にあるのではなく、教科書を書き換え、国民の歴史認識をつくりかえることにあるとし、梅沢・赤松氏の名誉毀損というような私的な問題としてどうかではなく、国家権力の機関である軍隊として何を公使したのか、その是非を議論することを抑制しようとするのかどうかということが問われている裁判であると述べました。

 一方、「控訴人は提訴の動機は、単なる自己の名誉や敬愛追慕の情の侵害にとどまらず、・・・義憤であり、このまま放置することができないという使命感である。・・・そしてその意味で、昨年の教科書検定を通じて教科書から「命令」「強制」が削除されたことは訴訟の目的の一つを果たしたと評価できる事件であった」と明言し、「個人の権利回復にとどまらず、より大きな政治的目的を併有していることは珍しいことではない」として、政治的目的からの提訴であると認めたことは大きな意味があると思います。

 そして、最後まで『沖縄ノート』を梅沢氏たちが読んでなかったと指摘されたことにこだわっているのか、こんなことも言っています。

 「梅澤氏が提訴前に『沖縄ノート』を通読していなかったことや、赤松氏がこれを飛ばし飛ばし読んだことを非難しているが、名誉毀損訴訟において名誉を毀損する記述が存することの認識があれば十分であり、事前の通読を必要とするかのような被控訴人の主張はまったく理解しがたいところである。ちなみに新聞記事や週刊誌による名誉毀損訴訟において、誹謗箇所とは関係のないテレビ欄や社説、別事件の記事を読んでいなくても名誉毀損を問うことの障害にならないことと同じである。」と主張したところでは、失笑どころか冷笑があちこちから起こりました。

  そして、「集団自決の原因は、島に対する無差別爆撃を実行した米軍の恐怖、鬼畜米英の教え、皇民化教育、死ぬときは一緒にとの家族愛、防衛隊や兵士からの『いざというとき』のために渡された手榴弾などさまざまな要因が絡んだものである。これを軍の命令としてくくってしまうことは過度の単純化、図式化であり、かえって歴史の実相から目をそらせるものである」と主張した内容は、まさしく昨年末に文科省が指針として出したものと同じものでした。

 最後の最後、彼らは、「そもそも仮に、「住民は自決せよ」軍の命令があったとしても、果たしてそれにやすやすとしたがって、愛する家族や子どもを手榴弾やこん棒やカミソリで殺せるものであろうか。それは現在に生きる一般人の想像を超えている。そこでの村民は、『沖縄ノート』に描かれているように、「若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者」であり、近代的自我や理性のかけらもない「『土民』のようなかれらは」としてでしか認識できないのである。それは日本がかつて経験したことのない地上戦としての沖縄戦において集団自決という悲劇を経験した沖縄県民の尊厳を貶めるものにほかならない。集団自決の歴史を正しく伝えていくことは、軍命令という図式ではなく、米軍が上陸する極限状況のなかで住民たちが、何をどのように考え、どのように行動の果てに自決していったのかを伝えていくことである。そのことが本件訴訟の目的である。」と結んだ。

 彼らにとっては、あくまでも集団自決は自己責任による死なのです。自らが愛する国のために死んだもので、誰のせいでもないのです。最後まで沖縄県民のせいにしてこの高裁での陳述は終わりました。沖縄県民の死の真実を認めない彼らこそ沖縄県民の尊厳を貶めているといえるのではないでしょうか。沖縄県民こそ、彼らに名誉毀損を求めてもいいくらいでしょう。

 さて今回の口頭弁論をもって結審となり、いよいよ10月31日(金)午後2時判決です。予想以上に速い展開に驚いていますが、それだけ裁判官が証拠を読み込み、なおかつ証拠が出尽くしたと判断しているからでしょう。2回の口頭弁論を見れば、論戦でも大きくリードし、「勝負あった!」という感じは持っていますが、予断は許しません。

 署名は短期間で地裁時よりも1万以上も多く、23,064筆を集めていただき、高裁民事第4部に提出することができました。皆様のおかげです。厚くお礼申し上げます。

 (HK)


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