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五 世界で糾弾された日本軍の中国婦女凌辱

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中国女性にとっての日中十五年戦争

五 世界で糾弾された日本軍の中国婦女凌辱

『ニューヨーク・タイムズ』一九三八年一月九日付で、南京大虐殺を世界にスクープしたダーディン記者は、その記事の冒頭で次のように記している。

「日本軍が南京占領後に行った虐殺・強姦・略奪など、すべてはるか昔の野蛮な時代の出来事のように思われる。(中略)日本軍にとって南京占領は軍事的・政治的にきわめて重要なことで
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あった。しかし、その勝利は、野蛮な残虐行為により、捕虜の大量処刑・市内の略奪・強姦・一般市民の殺害により、また無軌遣行為の蔓延によって台無しとなった。こうした行為は日本軍と日本民族の名声を汚すものとなろう。」(洞富雄編『日中戦争・南京大残虐事件資料集・第二巻英文資料編』青木書店、二八五頁)

当時南京に留まってその一部を目撃・見聞した新聞記者の、事件の深刻性を洞察した批判であった。

最近、共同通信が入手してその一部が紹介された旧東ドイツ国立中央公文書館所蔵のドイツ大使館南京分館のローゼン書記官の外交記録がある。一九三八年一月一五日付報告の中で、ローゼン外交官は次のように日本軍の強姦を糾弾している。

「日本軍が占領してから一か月以上も経っているのに、女性や少女の連行と強姦も同じくつづいている。この観点から言えば、日本軍はここ南京において自らの恥辱の記念碑をうちたてた。ラーべ委員会(南京難民区国際委員会のこと―笠原)によって概ねは破壊から免れた安金地帯でも、けだもののような強姦の例は数百件も、ドイツ人や米国人または中国人職員の証言によって反論の余地なく挙げることができる。」(本多勝一「ナチ・ドイツをも驚愕せしめた南京大暴虐事件(中)」『朝日ジャーナル』一九九一年二月一日、七一頁)。

当時、日独防共協定の締結国として、同じファシズム国家として友好・協力関係にあったドイツの外交官でさえ、南京における日本軍の婦女凌辱の事実を怒りをこめて本国に報告したのである。

いっぽう、中国の新聞『漢口大公報』(一九三七年一ニ月二八日付)は「匹夫匹婦のために復讐しよう」という社説を掲げて南京大虐殺を報じ、次のように世界に訴えている。
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「現在、南京だけでなく至る所でこのような殺戮を受け、善良な女性が汚辱されて、その数は計り知れないのだ。世界文明史の目からみれば、これは真に赤裸々で凶悪な獣行であり、人類のものではないのである。
私たちはこれらの被害を受けた同胞に対して、中国人の立場にもとづいて極度に悲しみ、慣激するだけでなく、人類の一般的立場から大声疾呼して、全世界の正義人道の観念をもつものが立ち上がり、匹夫匹婦のために復讐することを願わざるをえない。全世界の善良な人々よ! 州と国とを問わず、党派と職業を問わず、誰もが人道の勇士となって、現代の仮装した日本を糾弾するようお願いする。とくに女性を尊重する西洋人よ、日本軍が南京の各地でどのように善良な婦人を汚辱しているかを見てほしい!」(南京事件調査研究会編『南京事件資料集(2)中国関係資料編』青木書店、一九九二年、に所収)

以上は、南京事件がまだつづいている時の報道・報告であるが、いずれも日本軍の婦女凌辱を人道にもとる、人類の恥辱として憤っているのである。とくに中国紙は、世界文明史上、人類のものとはいえないとまで断言している。

また、日中戦争当時、アメリカにいて反戦活動を行なっていた石垣綾子さんは、アメリカで日本軍の蛮行を知らされた時の衝撃を次のように回想している。

「南京の占領で二〇万人の中国市民を殺害し、女とみれば凌辱し、病院を爆破した日本軍は、鬼畜とされて、ごうごうたる非難を浴ぴた時代であった。・・・・私には、その兵士たちと同じ血をわけあい、同じ祖先をもつ日本人であることが、身にこたえた・・・・私は自分の手を思わずじっと
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見つめた。汚れた血がそこに流れているような気さえした。」(石垣綾子『回想のスメドレー』現代教養文庫、一一三頁)

このように、南京事件および日中戦争における日本軍の中国婦女凌辱の事実は当初から世界に広く知られ、国際世論の糾弾をあびていたのである。しかし、それと対照的に当時の日本国内では、蛮行の事実を知らされないままに、大日本国防婦人会に組織された主婦や、先生に引率された女子中学生など、日本の女子、婦人たちは、南京陥落を祝賀する提灯行列に競って参加し、「万歳、万歳」を叫んでいたのである。


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