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答弁書

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答 弁 書(控訴の趣旨に対する答弁)

2008年(平成20年)6月12日

第1 控訴の趣旨に対する答弁


 1 本件控訴をいずれも棄却する

 2 控訴費用は控訴人らの負担とする

との判決を求める。


第2 「沖縄ノート」の摘示事実―名誉毀損性等


 原判決が、座間味島及び渡嘉敷島の住民の集団自決について、日本軍が深くかかわったことを認め、梅澤隊長及び赤松隊長が関与したことが十分推認でき、両隊長が自決命令を発したとすることについて、真実と信じるについて相当な理由があったと判示したのは極めて正当であり、この点について異論はまったくない。

当審においてもその必要がある場合は同様の判断がなされるべきである。

 しかし、原判決が、『沖縄ノート』(本件書籍(2))について、梅澤隊長及び赤松隊長が住民に自決を命じた事実を摘示したとしたことについては、異論があるので、この点について、以下のとおり指摘する。

1 「本件記述(2)」は、控訴人梅澤及び赤松大尉が住民に自決を命じたとしたものではなく、両名の名誉を毀損するものではない。


(1)控訴人らが、控訴人梅澤及び赤松大尉の名誉を毀損していると主張する『沖縄ノート』の『本件記述(2)』(原判決の表記)は次のとおりである。

「慶良間列島において行われた、7百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題は、この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が総合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人に向かって、なぜおれひとり自分を咎めねばならないのかね? と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。」(69~70頁)

(2)控訴人らは、「本件記述(2)」は、控訴人梅澤及び赤松大尉が集団自決命令を下したとの事実を摘示するものであると主張し、原判決(105~106頁)もこれを肯定している。

 しかし、同記述は、「日本人の軍隊の《(中略)いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている」と記載しており、①集団自決命令が座間味島の守備隊長によって出されたとの記述も、原告梅澤を特定する記述もなく、また、②集団自決命令が渡嘉敷島の守備隊長によって出されたとの記述も、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、原告梅澤や赤松大尉が集団自決を命じた事実を摘示したものでは全くない。

 被控訴人大江は、『鉄の暴風』(乙2)や上地一史著『沖縄戦史』(乙5)などを参考にしたが、慶良間列島の集団自決は、日本軍―沖縄の第32軍―慶良間列島の守備隊というタテの構造の強制力によってもたらされたもので、日本軍の命令によるものであることが重要だと考え、あえて隊長の命令とは書かなかったものであり、隊長の個人名も記載しなかったものである(大江本人調書6~7頁)。また、「本件記述(2)」は、沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生という命題は、核戦略体制のもとでの今日の沖縄に生き続けており、沖縄に向けてなにひとつあがなっていないという集団自決の責任者の行動は、いま本土の日本人がそのまま反復していることであるので、咎めはわれわれ自身に向ってくる、と問いかけて自己批判をしているものであり、集団自決の責任者個人を非難しているものではない(大江本人調書4頁)。

 原判決(105~106頁)は、「この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」との記述が、慶良間列島の集団自決について、自決命令を発した人物が存在するような記述の仕方になっていることを理由に、守備隊長が自決を命じたとの事実を摘示したものと判断しているが、上記記述からそのように判断することは到底できない。

 ことに、『沖縄ノート』が座間味島の集団自決について記述しているといいうるのは「本件記述(2)」のみであるが、「慶良間列島の…集団自決は、…日本人の軍隊の…いさぎよく自決せよとの命令に発するとされている」「この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」との記述のみから、控訴人梅澤が自決命令を発したとの事実を摘示したものと判断することができないことは明らかである。

 以上のとおり、「本件記述(2)」は、梅澤隊長や赤松隊長が自決命令を発したとしたものではないことが明らかであり、控訴人梅澤や赤松大尉の名誉を毀損するということはありえないし、控訴人赤松固有の名誉を毀損するということもありえない。また、控訴人赤松の赤松大尉に対する敬愛追慕の情を侵害するということもありえない。

2 「本件記述(3)」は、赤松大尉が自決を命じた、あるいは自決を強制したとしたものではなく、同大尉の名誉を毀損するものではない。


    控訴人が、赤松大尉の名誉を毀損していると主張する「沖縄ノート」の「本件記述(3)」(原判決の表記)は次のとおりである。

「このような報道とかさねあわすようにして新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。僕が自分の肉体の奥深いところを、息もつまるほどの力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この旧守備隊長が、かつて《おりがきたら、一度渡嘉敷島にわたりたい》と語っていたという記事を思い出す時である。おりがきたら、この壮年の日本人はいまこそ、おりがきたと判断したのだ、そしてかれは那覇空港に降りたったのであった。」(208頁)

 「本件記述(3)」について、控訴人は、赤松大尉が集団自決命令を下したとの事実を摘示するものであると主張し、原判決(106頁)は、赤松大尉が「集団自決を強制した」との事実を摘示したものとしている。

 しかし、「本件記述(3)」には、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたとの記述も、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉が集団自決を命じたとの事実を摘示したものでは全くない。


 原判決(106頁)が言及している「新聞は、(中略)慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」との記述は、著者の論評の前提として、「そのように沖縄住民に受け止められている男が慰霊祭に出席するため沖縄に赴いた」と新聞(沖縄タイムス、琉球新報など)が報道したことを記載したものであり、集団自決を強制したとの事実を摘示したものではない。

 また、同じく原判決(106頁)が言及している「『命令された』集団自殺を引き起こす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」とは、日本軍―沖縄の第32軍―渡嘉敷島の守備隊というタテの構造の強制力によって命令された自決命令による結果について、その一員たる守備隊長として責任があるとの趣旨であり(大江本人調書12頁、乙97大江陳述書13頁)、隊長が自決を命じたとしたものではなく、また、隊長が強制したとしたものでもない(なお、集団自決の結果について守備隊長に責任があるとしたのは、真実に基づく公正な論評である)。

   したがって、「本件記述(3)」が、赤松大尉の名誉を毀損するということはありえないし、原告赤松固有の名誉を毀損するということもありえない。また、原告赤松の赤松大尉に対する敬愛追慕の情を侵害するということもありえない。

なお、「本件記述(3)」は、集団自決を強制したと沖縄の人々に受け止められている渡嘉敷島の旧守備隊長が渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたという新聞報道に接した著者が、かつてこの旧守備隊長が「おりがきたら、一度渡嘉敷島にわたりたい」と語っていた記事を想起し、その際に著者の肉体の奥深いところに生じた気分ないし感覚を表明した部分であり、真実に基づく公正な論評に該当するものである。

3 「本件記述(4)」は、赤松大尉が自決を命じた、あるいは自決を強制したとしたものではなく、同大尉の名誉を毀損するものではない。


控訴人が、赤松大尉の名誉を毀損していると主張する『沖縄ノート』の「本件記述(4)」(原判決の表記)は次のとおりである。

「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められた記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。いや、それはそのようではなかったと、1945年の事実に立って反論する声は、実際誰もが沖縄でのそのような罪を忘れたがっている本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。1945年の感情、倫理観に立とうとする声は、沈黙に向かってしだいに傾斜するのみである。誰もかれもが、1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう。本土においてすでに、おりはきたのだ。かれは沖縄において、いつ、そのおりがくるかと虎視眈々、狙いをつけている。かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、1945年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。かれにむかって、いやあれはおまえの主張するような生やさしいものではなかった。それは具体的には追いつめられた親が生木を折りとって自分の幼児を殴り殺すことであったのだ。おまえたちも本土からの武装した守備隊は血を流すかわりに容易に投降し、そして戦争責任の追求の手が27度線からさかのぼって届いてはゆかぬ場所へと帰って行き、善良な市民となったのだ、という声は、すでに沖縄でもおこり得ないのではないかとかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。このようなエゴサントリクな希求につらぬかれた幻想にはとめどがない。おりがきたら、かれはそのような時を待ちうけ、そしていまこそ、そのおりがきたとみなしたのだ。日本本土の政治家が、民衆が、沖縄とそこに住む人々をねじふせて、その異議申立ての声を押しつぶそうとしている。そのようなおりがきたのだ。ひとりの戦争犯罪者にもまた、かれ個人のやりかたで沖縄をねじふせること、事実に立った異議申立ての声を押しつぶすことがどうしてできぬだろう? あの渡嘉敷島の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったのではないか、とひとりの日本人が考えるにいたる時、まさにわれわれは、1945年の渡嘉敷島で、どのような意識構造の日本人が、どのようにして人々を集団自決へと追いやったかの、およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の、まったく同一のかたちでの再現の現場に立ちあっているのである。」(210~212頁) 

また、上記記述は、208頁の次の記述を受けたものである。

「おりがきたら、この壮年の日本人はいまこそ、おりがきたと判断したのだ。そしてかれは那覇空港に降りたったのであった。僕は自分が、直接かれにインタヴィユーする機会をもたない以上、この異様な経験をした人間の個人的な資質についてなにごとかを推測しようと思わない。むしろかれ個人は必要でない。それは、ひとりの一般的な壮年の日本人の、想像力の問題として把握し、その奥底に横たわっているものをえぐりだすべくつとめるべき課題であろう。その想像力のキッカケは言葉だ。すなわち、おりがきたら、という言葉である。1970年春、ひとりの男が、25年にわたるおりがきたら、という企画のつみかさねのうえにたって、いまこそ時は来た、と考えた。かれはどのような幻想に鼓舞されて沖縄にむかったのであるか。かれの幻想は、どのような、日本人一般の今日の倫理的想像力の母胎に、はぐくまれたのであるか?」

したがって、「本件記述(4)」は、筆者が「おりがきた」として那覇空港に降り立った渡嘉敷島の旧守備隊長の内面を想像によって描き、これが一般的な壮年の日本人全体の内面の意識構造(倫理的想像力)に他ならないのではないか、として論評したものである(大江本人調書12~13頁)。本件記述に「日本本土の政治家が、民衆が、沖縄とそこに住む人々をねじふせて、その異議申立ての声を押しつぶそうとしている。そのようなおりがきたのだ。」(211頁)とあり、本件記述の後に「おりがきたら、とひたすら考えて、沖縄を軸とするこのような逆転の機会をねらいつづけてきたのは、あの渡嘉敷島の旧守備隊長のみにとどまらない。日本人の、実際に厖大な数の人間がまさにそうなのであり、」(214頁)とあるように、日本人全体のありかたについて論評したものである。

   控訴人らは、「本件記述(4)」は赤松大尉が集団自決命令を下したとの事実を摘示するものであると主張し、原判決(106頁)は、赤松大尉が「集団自決を強制した」との事実を摘示したものとしている。

しかし、同記述には、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、自決が強制されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉が集団自決を命じた事実を摘示したものでは全くなく、また、赤松大尉が集団自決を強制したとの事実を摘示したものでもない。

    したがって、「本件記述(4)」が、赤松大尉の名誉を毀損するということはありえないし、控訴人赤松固有の名誉を毀損するということもありえない。また、控訴人赤松の赤松大尉に対する敬愛追慕の情を侵害するということもありえない。

なお、「本件記述(4)」には、「あの渡嘉敷島の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったのではないか、とひとりの日本人が考えるにいたるとき」と記載されているが、これは、日本軍―沖縄の第32軍―渡嘉敷島の守備隊というタテの構造の強制力によって日本軍が住民に自決を命じたのであるが、その一員である守備隊長が、「軍の自決命令を自分の命令であるとしている住民が、その命令をおとなしく受けいれる無抵抗の者だったのではないかと夢想するに至った」と、筆者が守備隊長の内面を文学的想像により描いたものであることが明らかであり、隊長が自決命令を下したと指摘したものではない。このことは、本書において、集団自決は日本軍の命令とし、守備隊長が集団自決を命令したとは一切記載していないことからも明らかである。

4 「本件記述(5)」は、赤松大尉が自決を命じた、あるいは自決を強制したとしたものではなく、同大尉の名誉を毀損するものではない。


控訴人が、赤松大尉の名誉を毀損していると主張する『沖縄ノート』の記述「本件記述(5)」は次のとおりである。

       「おりがきたとみなして那覇空港に降りたった、旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろうに、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は、かれを拉致しはしなかったのである。それでもわれわれは、架空の沖縄法廷に、一日本人をして立たしめ、右に引いたアイヒマンの言葉が、ドイツを日本におきかえて、かれの口から発せられる光景を思い描く、想像力の自由をもつ。かれが日本青年の心から罪責の重荷を取除くのに応分の義務を果したいと、『或る昂揚感』とともに語る法廷の光景を、へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力のにがい自由をもつ。」(213頁3行目~11行目)  

控訴人は、「本件記述(5)」は、赤松大尉が集団自決命令を下してこれを強制した事実を前提として、アイヒマンになぞらえて人格非難をしたものであると主張し、原判決(106頁)は、赤松大尉が「集団自決を強制した」との事実を摘示したものとしている。

しかし、同記述には、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉が自決命令を下した事実を摘示したものではなく、また、赤松大尉が自決を強制したとの事実を摘示したものでもない。

したがって、「本件記述(5)」が、赤松大尉の名誉を毀損するということはありえないし、控訴人赤松固有の名誉を毀損するということもありえない。また、控訴人赤松の赤松大尉に対する敬愛追慕の情を侵害するということもありえない。

     なお、控訴人は、「本件記述(5)」について、「赤松大尉をイスラエル法廷でユダヤ人集団殺戮の犯人として処刑されたアイヒマンになぞらえ、赤松大尉が、極悪非道の冷血漢として認識されているアイヒマンと同様、人民裁判によって絞首刑にされるべき犯罪者であるという最大限の侮辱ないし人格非難を行う意見論評である」と主張するが、同記述が、「イスラエル法廷でのアイヒマンのように沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろうが」としているのは、集団自決について責任がある守備隊長はアイヒマンのように「法廷で裁かれてしかるべきであろう」と論評したもので、アイヒマンと同様に絞首刑に処せられるべきだとしたものでないことは明らかである(大江本人調書20頁、乙97大江陳述書26頁)。

また、『沖縄ノート』は、「本件記述(5)」に続けて、次のように記述しており、「本件記述(5)」は、沖縄について心の罪責の重荷を背負っていない日本青年一般のあり様について論評したものである。

「この法廷をながれるものはイスラエル法廷のそれよりもっとグロテスクだ。なぜなら『日本青年』一般は、じつは、その心に罪責の重荷を背負っていないからである。アーレントのいうとおり、実際はなにも悪いことをしていないときに、あえて罪責を感じるということは、その人間に満足をあたえる。この旧守備隊長が、応分の義務を果たす時、実際はなにも悪いことをしていない(と信じている)人間のにせの罪責の感覚が、取除かれる。『日本青年』は、あたかも沖縄にむけて慈悲でもおこなったかのような、さっぱりした気分になり、かつて真実に罪障を感じる苦渋をあじわったことのないまま、いまは償いまですませた無垢の自由のエネルギーを充満させて、沖縄の上に無邪気な顔をむける。その時かれらは、現にいま、自分が沖縄とそこに住む人々にたいして犯している犯罪について夢想だにしない、心の安定をえるであろう。それはそのまま、将来にかけて、かれら新世代の内部における沖縄への差別の復興の勢いに、いかなる歯どめをも見出せない、ということではないか? おりがきたら、とひたすら考えて、沖縄を軸とするこのような逆転の機会をねらいつづけてきたのは、あの渡嘉敷島の旧守備隊長のみにとどまらない。日本人の、実際に厖大な数の人間がまさにそうなのであり、何といってもこの前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がない、新世代の大群がそれにつきしたがおうとしているのである。」(213~214頁)

6 控訴人ごとのまとめ


以上のとおり、『沖縄ノート』について、名誉毀損及び敬愛追慕の情侵害の不法行為が成立しないことは明らかであるが、これを控訴人梅澤及び控訴人赤松それぞれについて整理・補足すると、以下のとおりとなる。

(1)控訴人梅澤について

 控訴人は、『沖縄ノート』の「本件記述(2)」は、控訴人梅澤が座間味島の集団自決の命令を下したとするもので、控訴人梅澤の名誉を毀損すると主張し、原判決もこれを認めているが、同記述には、前記のとおり、自決命令が座間味島の守備隊長によって出されたことも、控訴人梅澤を特定する記述もなく、控訴人梅澤が集団自決を命じた事実を摘示したものでは全くない。控訴人梅澤自身、『沖縄ノート』に座間味島の隊長が自決を命令したことが記載されていないことを認めている(梅澤本人調書31頁。なお、原告梅澤は本件訴訟提起後の2006年まで「沖縄ノート」を読んでいなかったものである。同30頁)。

  したがって、『沖縄ノート』が、控訴人梅澤の名誉を毀損するものでないことは明白である。

 なお、「本件記述(2)」は、慶良間列島の集団自決について、「この事件の責任者」に言及しているが、慶良間列島の集団自決に日本軍が深くかかわり、守備隊長の関与が十分推認されることは原判決が認定しているとおりであり、これについて「この事件の責任者」の責任に言及することは、真実にもとづく公正な論評に該当する。控訴人梅澤自身、守備隊長としての責任を認めている(乙66の1手紙、梅澤本人調書31頁)。

(2)控訴人赤松について

 控訴人は、『沖縄ノート』の本件記述は、赤松大尉が集団自決命令を下したとの事実を摘示するもの、あるいは集団自決を強制したことを前提とするものであるから、赤松大尉の名誉を毀損し、その遺族(弟)である原告赤松の敬愛追慕の情を違法に侵害すると主張するが、前記のとおり、本件記述には、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、赤松大尉が集団自決を命じた事実あるいはこれを強制した事実を摘示したものでは全くない。

     したがって、本件記述は、赤松大尉の名誉を毀損するものではなく、原告赤松固有の名誉を毀損するということもなく、また、原告赤松の赤松大尉に対する敬愛追慕の情を侵害するということもないことが明らかである。

なお、原判決は、赤松大尉について、まず通常の名誉毀損による損害賠償請求の成立要件の有無を検討し、それが認められた場合に敬愛追慕の情侵害による損害賠償請求の要件について検討するとし、前者の要件を充足しないことから、後者の要件について検討するまでもなく、請求を棄却している。

 敬愛追慕の情侵害の不法行為が成立するためには、①故人に対する名誉毀損が成立すること、②摘示した事実が虚偽であること、それが歴史的事実に関するものである場合は「一見明白に虚偽」ないし「全くの虚偽」であるにもかかわらずあえて摘示したこと、③摘示した事実が極めて重大で遺族の死者に対する敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害したといえる場合であることが必要である(原審被告最終準備書面6~8頁参照)。

     この点について、原判決(99頁)は、敬愛追慕の情侵害の不法行為の成立要件が、上記のとおり名誉毀損の不法行為の成立要件よりも加重されるかについては見解の対立があるとしているが、上記要件は、落日燃ゆ事件東京高等裁判所昭和54年3月11日判決(判時918号21頁)及び百人斬り事件東京地方裁判所平成17年8月23日判決(乙1)、同事件東京高等裁判所平成18年5月24日判決(乙27)が判示しているもので、同事件の最高裁判所平成18年12月22日決定(乙46)によっても支持されているものである。

     『沖縄ノート』は、歴史的事実に関する論評を行った書籍であるが、百人斬り事件東京地裁判決(乙1)が、「歴史的事実については、その有無や内容についてしばしば論争の対象とされ、各時代によって様々な評価を与えられ得る性格のものであるから、たとえ死者の社会的評価の低下にかかわる事柄であっても、相当年月の経過を経てこれを歴史的事実として取上げる場合には、歴史的事実探求の自由あるいは表現の自由への慎重な配慮が必要となると解される。それゆえ、そのような歴史的事実に関する表現行為については、当該表現行為時において、死者が生前に有していた社会的評価の低下にかかわる摘示事実又は論評若しくはその基礎事実の重要な部分について、一見して明白に虚偽であるにもかかわらず、あえてこれを摘示した場合であって、なおかつ、被侵害利益の内容、問題となっている表現の内容や性格、それを巡る論争の推移など諸般の事情を総合的に考慮した上、当該表現行為によって遺族の敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害したものと認められる場合に初めて、当該表現行為を違法と評価すべきである。」(108~109頁)とし、その控訴審東京高等裁判所判決(乙27)が、「比較的広く知られ、かつ、何が真実かを巡って論争を呼ぶような歴史的事実に関する表現行為について、当該行為(故人の生前の行為に関する事実摘示又は論評)が故人に対する遺族の敬愛追慕の情を違法に侵害する不法行為に該当するものというためには、その前提として、少なくとも、故人の社会的評価を低下させることとなる摘示事実又は論評若しくはその基礎事実の重要な部分が全くの虚偽であることを要するものと解するのが相当であり、その上で、当該行為の属性及びこれがされた状況(時、場所、方法等)などを総合的に考慮し、当該行為が故人の遺族の敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害するものといい得る場合に、当該行為について不法行為の成立を認めるのが相当である。」(14~15頁)と、歴史的事実に関する表現の自由・論評の自由の重要性に配慮した判断を示していることを銘記すべきである。なお、歴史的事実を論じた学術的書籍である『太平洋戦争』に対する名誉毀損の成否についても、同様の配慮がなされなければならない。

前記要件(13頁)に即して検討すると、『沖縄ノート』の本件各記述は、①については、控訴人指摘の赤松大尉に対する名誉毀損が成立しないことは前記のとおりである。②についても、渡嘉敷島の集団自決が日本軍の命令によるものであること、また、それは現地の最高指揮官である守備隊長の命令によるものであることについて十分な根拠があることは、原判決が判示するとおりであり、虚偽であるといえないことは明らかである(したがって、一見明白に虚偽ないし全くの虚偽であるともいえない)。また、③についても、集団自決は軍の命令とし、隊長が自決命令を下したとしたものではないこと、隊長の実名は記載していないこと、「おりがきた」として那覇空港に降り立った渡嘉敷島の旧守備隊長の内面を想像によって描き、これが一般的な壮年の日本人全体の内面の意識構造(倫理的想像力)に他ならないのではないかと論評したものであること、集団自決の責任者の行動は、いま本土の日本人がそのまま反復していることであるので、咎めはわれわれ自身に向ってくる、と問いかけて自己批判をしているものであることなどからすれば、③にも該当しないことが明らかである。また、故人(赤松元隊長)が「沖縄ノート」の本件記述について抗議等をしていなかったこと、控訴人赤松も同様であったこと(赤松本人調書8頁)、控訴人赤松は「沖縄ノート」を飛ばし読みにしたに過ぎず、「罪の巨塊」を誤読し、「沖縄ノート」が赤松隊長を大悪人としているとの曾野綾子氏の「ある神話の背景」の記述に影響され、他者の勧誘によって本訴提起に至ったことも、③該当性を否定する重要な事情である。

以上


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