15年戦争資料 @wiki

準備書面の要旨(口頭陳述)

最終更新:

pipopipo555jp

- view
管理者のみ編集可

準備書面の要旨(口頭陳述) 平成20年9月9日


平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件    
(原審 大阪地方裁判所 平成17年(ワ)第7696号)   
控 訴 人  梅澤裕、赤松秀一
被控訴人  株式会社岩波書店、大江健三郎 



準備書面の要旨(口頭陳述)                   
平成20年9月9日 
大阪高等裁判所第4民事部ハ係 御中  

                控訴人ら訴訟代理人
                    弁護士  徳  永  信  一



第1 宮平秀幸証言の信用性について


被控訴人らは、宮平秀幸の証言の信用性につき、細かく論難していますが、それらは、いずれも、この度、証拠提出した藤岡信勝拓殖大学教授の意見書(2)において仔細に検討されたものばかりであり、そこで明らかにされているように、宮平秀幸の証言が持つ信用性と証拠価値は揺るぎないものであります。
<太>

第2 現実の悪意の法理について


北方ジャーナル事件最高裁判決が示した「明白性」の基準の射程については、控訴人準備書面(1)の第2で述べたとおりであり、それは事前差止めに関するものであって、本件のような事後差止めに関するものではないことは明らかです。また被控訴人らは、「現実の悪意の法理」に言及していましたが、それはアメリカの判例法理であり、日本の最高裁は繰り返しこれを退けていることは、周知のとおりであり、その採るところではありません。    

第3 住民の証言にみる軍の善き関与について


 控訴人準備書面(2)の第1では、数多く残されている集団自決の生き残りの住民達の証言に表れた軍命を否定すべきエピソードを整理しています。

 宮城初枝の証言には、木崎軍曹から「途中で万一のことがあった場合は、日本女性として立派な死に方をしなさいよ」として手榴弾を渡されたエピソードがあります。原判決はこれをもって「梅澤命令説を肯定する間接事実となり得る」としましたが、そのような評価がその後、初枝らと再開した内藤中尉や梅澤隊長が初枝らの「無事をなによりも喜んだ」ことと明らかに矛盾します。これに関し、被控訴人らは、梅澤隊長らが喜んだのは初枝らによる任務の遂行であり、自決命令とは矛盾しないと主張していますが、これもまた証言の前後の文脈を無視したものであります。初枝らは、集合地点である稲崎山に弾薬を運び終えた後、兵士達が誰もやってこないのに絶望して自決を図ろうとしますが果たせず、敵機の機銃掃射に追われながら谷川を彷徨っているところを島民に発見され、部隊が稲崎山に集合し、初枝らが自決したのではないかと心配して探していたことを聞かされ、急いで集合場所に戻り、そこで梅澤隊長らと再会したのでした。既に任務が遂行されたことを知っていた梅澤隊が初枝らを探していたのは、あくまでも初枝らの安否を心配してのことであり、再会して喜んだのは、初枝らの無事であったことは、「それにしても無事でなにより」の一言に表れています。控訴人梅澤が初枝を含む住民に自決を強いる命令を出していないことは明らかです。

 また、初枝と同じように「万一のときのため」として兵士から手榴弾を受け取った宮里育江の証言にも、軍命を否定すべき、「軍の善き関与」のことが含まれています。『座間味村史下巻』や『潮だまりの魚たち』に収められている育江の証言には、「女性の軍属の皆さんは、島の人たちが裏の山に避難しているから、持てるだけの食料を持ってそこへ移って下さい。部隊長の命令です」との命令があったことが述べられています。梅澤隊長は、伝令を通じて、女性軍属5名に住民が避難している裏の山に移るよう、そして食料を「持てるだけ持って」移るように命令しており、そこからは育江ら女性軍属に対して避難住民らとともに生き延びることを求めた梅澤隊長の当時の意思を明確に読み取ることができます。

    育江は、米軍が上陸してから数日後、重傷を負い死期の近いことを悟った長谷川少尉が部下の兵士らに対し、自らを殺すように命じるとともに、「この娘たちはちゃんと親元へ届けてやって欲しい」と指示したことを証言しています。もし住民に対する自決命令が出ていたとしたら、長谷川少尉から育江らを保護して親元へ無事届けろという指示が出てくるはずがないのです。

    育江が証言している「食料携行命令」や「保護命令」とでもいうべき指示が、『沖縄ノート』に書かれている「部隊の行動を妨げないため、部隊に食料を供給するため、住民はいさぎよく自決せよ」といった非情の命令と真っ向から矛盾することは明らかです。「万一のための」手榴弾交付は、そんな非情な自決命令などではなく、住民の安心と尊厳を守るためになされた兵士たちの人間的な行動であったと解されるべきなのです。これを自決命令の証拠だというのは命令のすり替えでしかありません。  

第4 垣花武一の陳述書について


被控訴人らは当時、阿嘉島の住人だった垣花武一の陳述書を新たな証拠として提出しましたが、その内容は、『沖縄県史第10巻』や『座間味村史下巻』に収められている当人の証言や父親である垣花武栄や親戚の中村仁勇の証言と食い違っており、全く信用性に欠けるものです。

例えば、阿嘉島の住民が、杉山という山の中に集まり、集団で玉砕しようとしたとき、日本兵が丘の上に機関銃を構え、住民に銃口を向けていたという下りがありますが、『座間味村史下巻』に収められた垣花武栄の証言によれば、防衛隊員の命令で、『米軍は撤退したから自決することはよせ』ということになったとあり、『沖縄県史第10巻』に収められた中村仁勇の証言によれば、そもそも杉山に住民が集まったのは、野田隊長の『早まって死ぬことはない。住民は杉山に集結させておけ』との指示によるものであったとされています。日本兵の銃口は米軍の進攻が予想された谷間に向けられていたのであり、垣花武栄の証言にも中村仁勇の証言にも銃口が住民に向けられていたといった内容は含まれていません。

また、垣花武一は陳述書において「慶良間列島の日本軍は、軍とともに住民を玉砕させる方針だったのだと思います」との意見を述べていますが、その理由として挙げられているのは、柴田通信隊長が打電した「軍も住民も全員玉砕する」との無線です。ところが、柴田通信隊長の話は、1974年に発刊された『沖縄県史第10巻』に収められた武一の証言にも出てきますが、そこでは、打電の内容は「阿嘉島守備隊、最後の一兵に至るまで勇戦奮闘、悠久の大義に生く」となっており、住民の玉砕のことは全く出てきません。中村仁勇の証言に出てくる無線の内容も同じです。柴田通信隊長による打電は、「住民の玉砕」が日本軍の方針だったという推測をなりたたせるものではありません。陳述書は、なんとか自決命令を導き出そうと事実を脚色する被控訴人らの姿勢を浮き彫りにしています。

  更に、垣花武一は、陳述書のなかで日本軍が座間味村の村幹部に集団自決を指示していたという話を座間味村の郵便局長だった石川から聞いたといいます。

この石川郵便局長の話は、垣花武一の伝聞に過ぎません。そして『沖縄県史第10巻』にも『座間味村史下巻』にも『母の遺したもの』にも『潮だまりの魚たち』にも一切登場しません。その内容の重大性に照らせば、余りにも不自然です。座間味島にきた垣花武一が「在職中何度も聞かされた」というのだから、石川郵便局長が当時、この話を秘匿していたわけでもないはずです。垣花武一自身も伝聞として語る機会はいくらでもあったにもかかわらず、これまでの証言録のなかでは、一切触れられていません。そもそも、昭和20年の2月頃は、島に米軍が上陸するようなことは日本軍においても全く想定されていなかったことを含め、石川郵便局長の話の伝聞に信用性がないことは明らかです。

第5 本件訴訟の目的について

 被控訴人らは、本件訴訟が、控訴人らの自発的な意思によるものではなく、特定の歴史観に基づき歴史教科書を変えようとする政治運動の一環として行われていることが明らかであると非難しますが、控訴人らが自らの意思で本件訴訟を提起し、出版差止等を求めていることは、彼らが法廷で述べたところからも明らかです。

  また、控訴人梅澤が提訴前に『沖縄ノート』を通読していなかったことや、控訴人赤松が、これを飛ばし飛ばしで読んだことを取り上げて非難していますが、名誉毀損訴訟においては、名誉を毀損し、敬愛追慕の情を侵害する記述が存することの認識があれば十分であり、事前の通読を必要とするかのような被控訴人らの主張は全く理解しがたいところです。例えば、新聞記事や週刊誌による名誉毀損訴訟において、誹謗箇所とは関係のないテレビ欄や社説、別事件の記事を読んでいなくとも名誉毀損を問うことの障害にならないことと同じであります。 

    そもそも控訴人らの提訴の動機は、単なる自己の名誉や敬愛追慕の情の侵害にとどまらず、権威をもって販売されている本件各書籍や教科書等の公の書物において、沖縄における集団自決が赤松隊長ないし控訴人梅澤が発した自決命令によって強制されたという虚偽の記載がなされていることに対する義憤であり、このまま放置することができないという使命感でありました。そのことは、また、代理人らも雑誌に寄稿した文章等において訴えてきたところでした。そしてその意味では、昨年の教科書検定を通じて教科書から「命令」や「強制」が完全に削除されたことは、勇気をもって提訴に及んだ訴訟の目的の一つを達したと評価できる事件でした。

    世間の耳目を集める訴訟が個人の権利回復に止まらず、より大きな政治的目的を併有していることは珍しいことではありません。著名な薬害エイズ訴訟や薬害肝炎訴訟もまた、原告本人に対する損害賠償という目的のほかに、被害者全員の救済、そこにはエイズ治療や肝炎治療に係る医療体制の充実や真相究明による再発防止も含まれていましたが、そうした政治目的を掲げていたことはよく知られています。

    被控訴人らによる前記主張は、控訴人らを冒涜するものであり、裁判所に予断と偏見を持ち込まんとするものであり、証拠に基づく審理がなされるべき司法において持ち出すべきものではありません。 

 本件訴訟を通じて思うことは、集団自決の歴史を伝えていくうえで『命令』説が果たしてきた役割のことです。すでに論じてきたように、集団自決の原因は、島に対する無差別爆撃を実行した米軍に対する恐怖や鬼畜米英の思想、皇民化教育や戦陣訓、死ぬときは一緒にとの家族愛、そして防衛隊や兵士から『いざというとき』のために渡された手榴弾など様々の要因が絡んだものでした。これを軍の命令としてくくってしまうことは過度の単純化、図式化であり、かえって歴史の実相から目をそらせるものです。

    そもそも仮に、「住民は自決せよ」という軍の命令があったとしても、果たしてそれにやすやすと従って、愛する家族や子供を手榴弾やこん棒やカミソリで殺せるものでしょうか。それは、現在に生きる一般人の想像を超えています。そこでの村民は、『沖縄ノート』に描かれているように、「若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者」であり、近代的自我や理性のかけらもない「『土民』のようなかれら」でしかありません。 

    それは日本がかつて経験したことのない地上戦としての沖縄戦において集団自決という悲劇を経験した沖縄県民の尊厳を貶めるものにほかならないと考えます。集団自決の歴史を正しく伝えていくことは、軍命令という図式ではなく、米軍が上陸する極限状況のなかで住民たちが、その時、何をどのように考え、どのような行動の果てに自決していったのかを伝えていくことにあると信じます。

そして、そのことが本件訴訟の目的であります。
                                   以上


目安箱バナー