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琉球新報:「遊撃戦」継続命令

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解放されず「仲間戦死」 「遊撃戦」継続命令

琉球新報2008年6月15日

【写真】牛島満司令官が益永董大尉に対し組織的戦闘終了後「遊撃戦」実施を命じる訓令



 「解散命令を受けながら自由にされず、仲間が10代の若さで死んでいった。それが悔しい」。鉄血勤皇隊員が所属した情報宣伝隊(千早隊)に対し、第32軍の牛島満司令官が組織的戦闘終了後も「遊撃戦」を続けるよう命令した「訓令」を見つけた元千早隊の大田昌秀氏は、こう語気を強めた。

 1945年6月19日、北部へ突破を試みる第32軍の参謀らの案内役として千早隊員の6、7人が抜けた後、大田氏ら十数人は情報宣伝隊の壕の前に集められ、益永董大尉から「お前たちは死なずに、地下工作をするように」とゲリラ戦実行の命令を受けた。牛島司令官による命令との説明はなかった。大田氏らは同年10月まで投降せず、攻撃の機会をうかがっていたという。沖縄戦に動員された10代の若い学徒隊。15歳から召集する「義勇兵役法」などの法律はなかった。法的根拠もなく召集され、「解散命令後も最後まで戦えと命令された」と憤る。

 大田氏は沖縄戦における「集団自決」で、日本国、日本軍、現地の軍までを貫く「タテの構造」の中での命令に関する資料収集のため米国を訪れており、「訓令」の発見は「その一例」と述べた。
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