15年戦争資料 @wiki

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pipopipo555jp

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  • 1、リードの部分>両島のいずれも1日しか過ごせなかった駆け足ツアーで、残忍にも話を聞きかじって去って行く。「ライター殿下」の不遜なふるまい。
    -- (ni0615) 2008-07-09 09:54:57

  • >両島に詳しいジャーナリスト鴨野守氏らから事前に勉強させてもらっていたので<
    つまり、鴨野の足跡をタダ追っただけ。何の独自性もないことを恥ずかしげもなく書くジャーナリストって?

    >安仁屋氏もそうだが大田氏も、集団自決を当時の日本、そして沖縄県の皇民化全体主義体制が引き起こしたものと考える<
    沖縄県が勝手に自主的に皇民化全体主義化したみたいな書き方。
    防諜対策の軍命があったことや住民をスパイ視して虐殺した事実はスルーしている(というか知らないらしい)。  今日はとりあえずココまで。
    -- (TIDA) 2008-07-09 22:14:51

  • 長谷川記者の不勉強箇所を指摘するだけの問題なのか。
    確かに長谷川記者は照屋証言や秦郁彦の論考を検証しているように思えない。従って不勉強であることは間違いない。相手が悪いという言い方ですますのはよくないが、曽野綾子・照屋証言・秦郁彦みんな嘘で固めた自作自演。
    TIDAは長谷川記者の論理破綻点を指摘するものではなくなどと言うが事実の検証をしない限りどのような大嘘も論理破綻していない場合が多い。
    大手メディアや文部科学省などの権力それに秦郁彦などの学匪・評論家一体となって事実をねじ曲げようとしていることが、無関心や検証をしないことによって彼らを増長させ広められ、あたかも真実であるかのように語られている現状となったのではないか。
    二つ事例を挙げる。
    http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/76183/%83m%83%82%83%93%83n%83%93%8E%96%8C%8F/17/
    未だに政府見解では、ノモンハンの日本軍戦死者は約8千人。
    http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/document2007.html
    靖国神社資料集により旧厚生省が靖国神社に戦死者等の名簿を渡していたことが明らかになった。従って、1966年10月に靖国神社でノモンハン事件の戦没者慰霊祭が行われた際、戦没者数を1万8000人との報道の数値は厚生省の集計といえる。ただし2,3千人ソ連軍の捕虜となり抑留されたと推定されそれらも戦死者扱いされているはずである。また、米具が沖縄戦で日本軍に投降を進めるビラにもノモンハン戦死者1万8000人と書かれている。しかし、ソ連も戦死者を過小発表していて、それを理由に歴史を改竄したい人達からノモンハン戦勝説が唱えられている。引用サイトに掲げている理由の他、日本軍は多数の大砲を捕獲され、軍旗を焼かなければならなかったケースがある、井置初め多くの将校が自決を強要されたなど敗戦の証拠は充分ある。 敗戦を戦勝と言いくるめるのはカンニングに等しい。カンニングをして自己を誇って何になるのか、同じ失敗をするだけだろう。

    秦郁彦に「従軍慰安婦と戦場の性」という著作がある。
    秦が出した一つの結論が従軍慰安婦の数は朝鮮半島出身者より、日本人のほうが多かったというものである。しかしその推定作業は恣意的作為に満ちたものである。秦は朝鮮半島出身者を含む海外渡航者の職業区分から従軍慰安婦の民族割合を推定する。そして、酌婦と職業区分された者はほとんど売春婦となる、ダンサー・芸妓の職業区分も相当数が売春婦になると言う。また、1941/12/8以前の樺太・サイパン・満州及び中国の大都市での統計をも戦地に近い地域と同じ扱いをして酌婦・ダンサー・芸妓を従軍慰安婦の変数として代入する。
    当然の事ながら戦前傀儡政権を通じて中国は日本の最大貿易国である。満州及び中国の大都市には従軍慰安婦などでない酌婦・ダンサー・芸妓がいるだろうし軍人を相手にしない売春婦もいたと思われる。
    そうすると、方法論として統計集計当時において戦地になりそうもない日本の植民地や満州及び中国大都市の数値は削除すべきである。
    また、数値代入に当たってはダンサー・芸妓には酌婦の0.5等のウェイトを乗じるべきである。 実はダンサー・芸妓には日本人が多く、朝鮮半島出身者が少ない。大都市の状況も同様。戦地に近くなると朝鮮半島出身者の割合が高まる傾向となっている。
    秦は初めから日本人の従軍慰安婦割合が高くなるように仕組んでいたとしか思えない。
    昔からこのようなペテン的手法をしていた学匪、秦郁彦を批判せずのさばらせてきた。
    曽野綾子も嘘の限りをついてきたが最近まで見逃されてきた。
    「ある神話の背景」で読者は少なくとも、古波藏と安里取材での恩納河原問答で取材順の嘘は感づくはずであるし、A高地が複郭陣地から離れているとの描写が複数あるのにA高地が複郭陣地だとの曽野の注に違和感を覚えるはずだが、曽野綾子そのものを無視してきたのが実態だったろう。
    -- (Beethoven) 2008-09-10 11:02:41
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